書評:Z世代の人生観・処世感「映画を早送りで観る人たち」

帯に「現代社会のパンドラの箱を開ける!」とあるが、たしかに衝撃的な世代論だった。

私自身、映画・動画を早送りでまったく観ないわけではない。飛ばしながら観ることもある。特にブルーレイで録画しているときなどそうだ。料理を作ったり、食器を洗ったりの、「ながら視聴」もある。

映画だけでなく、本を読むのも「倍速読書」もしている。ページをめくりながら、目に飛び込んでくる活字の箇所を読むというやり方だ。

ただ、倍速読書だと細かいストーリーが追えないので小説には不向きだ。同じように映画を芸術鑑賞とすると、倍速視聴・10 秒飛ばしでは不可能だろうとも思う。

ともあれ、倍速視聴という行為自体はあっていい。しかし、注目したのは、それを必要とするZ世代の人生観・処世感だ。以下に抽出するが、あとがきで著者が一言述べる「倍速視聴という習慣そのものは、たまたま地表に表出した現象のひとつに過ぎず、地中にはとんでもなく広い範囲で「根」が張られている」というのと同じ感慨を抱いた。

・ 今の大学生は忙しく可処分時間が少ない。大学生は暇で時間が有り余っているというのは過去の話。大学で出席が厳しく求められ、仕送りが少なくアルバイトもしないといけない。加えてインターンやボランティア活動とメニューが多い。さらに仲間との話題に乗ることが昔と比較にならないほど重要になっており、SNS(とりわけLINEの常時接続)という習慣がある。仲間と共有できる話題(情報)を常に集めていなければならない。

・ 2000年代頃から学校や職場で時短・効率を求めはじめた風潮があり、彼らはここからコスパとタイパ(タイムパフォーマンス)を何より重要と考えた。無駄撃ちを嫌い、最小の労力で最大のリターンを得ることに無上の喜びを感じる。素性の知れた人が作っている・勧めている作品なら、という安心とお墨付きに弱いが、「絶対に外れを引きたくない」というメンタリティを起源とする。

・ PVを稼ぐ目的のネット記事の金科玉条とは「結論を1行目に書け、タイトルにひねりはいらない。一言で要約できる内容にしろ」となる。すぐに正解を求める。「失敗してもいいから、まずはやってみろ」という新人教育は、懐の深さを見せたつもりだろうが、彼らにとっては「いじめ」に近い。失敗して理由を質すのであれば、「そんなことを言うなら、先に正解を教えてくれればいいじゃないか」と感じる。「やってみて、失敗しないとわからない、身にならないことがある」という理屈は通じない」。

・ 仲間との関係において、物語や言説の価値を共感を求める。従って「共感できない価値観に向かい合い、理解に努める」ことに慣れていない。それには大きなエネルギーを要するうえ、コスパが悪い(快適でない)からだ。自分の考えを補強してくれる物語や言説だけを求め、ただそれを強化する。その先にあるのは、他者視点の圧倒的な欠如、他者に対する想像力の喪失。自分とは違う感じ方をする人間を安直に「敵認定」する。

・ 若者には「個性的でなければならない」という世間からの圧力が厳然としてある。「個性がないとサバイブできない」とされ、実際に「面接はもちろん、エントリーシート上でも人とは違う自分を見せなきゃいけない」。ところが、彼らは「無駄は悪、コスパこそ正義」として近道を探す。大学生は趣味や娯楽について、てっとり早く、短時間で、「何かをモノにしたい」「何かのエキスパートになりたい」と思っている。たくさんのハズレを掴まされ、その中で鑑識力が磨かれ、博識になり、やがて生涯の傑作に出会い、かつその分野のエキスパートになるというプロセスをけっして踏みたがらない。そこには、「コツコツやっても必ずしも報われない社会」という認識がある。

・ こうした中で、ストレス過多と感じている。先のわからないことや想定外の出来事が起きて気持ちがアップダウンすることを“ストレス”と捉える傾向が強い。「フタを開けてのお楽しみ」は歓迎されない。大学の授業では、何の話をするか事前にアップしている。サプライズの誕生日パーティーはご法度となる。ネタバレでこそ満足感が高まる。スポーツ観戦について、応援するチームが必ず勝つわけではないので、「スポーツ観戦する若者は減っている」。

・ 彼らが受けた教育では、「容姿や人種やセクシャリティの多様性に寛容であるべし」との2010年代を通じた機運から、個人に関するセンシティブなことは「言及せざるが花」と学んだ。他人に干渉しない。すなわち批判もダメ出しもしないし、されることもない。これは一見して「他者」を尊重しているように見えるが、そこには「自分と異なる価値観に触れて理解に努める」という行動が欠けている。単に関わり合いを避けているだけだ。

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