あの頃のわたしへ大きな声で 「 お つ か れ さ ま ! 」(2023.6)
友人に少し前、
「ふたりが幼稚園に入るまで人格変わってた」と言われた
「それはそれほど大変やったんやね、私も二人目が産まれていまようやくわかった」と労いの意味でのことばだった。
ただ、人格変わってた、、?
わたしには記憶がない。
余裕はなかったし、極限まで追い詰められていた。
疲弊しきっていた。
虐待のニュースなどを見るたび、その母親の気持ちを考える、
私も毎日限界、隣り合わせだよ、とまで思っていたのだから。
長女1歳9ヶ月のときに次女が生まれた
長女は一日に何度も何度も癇癪起こす
何もかも母ちゃんじゃないとだめで
2時間でも3時間でも泣き続ける
赤ちゃんのお世話をしながら
意思を持った大きい赤ちゃんと四六時中一緒。
それでいて毎日ワンオペ。
長女はとにかく繊細だ
夜泣きまではじまり
ほんとうに24時間体制だった
目が固く、昼寝もしない。
夜の寝かしつけも3〜4時間はかかる。
しかもその3〜4時間はずっと背中をさすってね、という任務まである。
こだわりもすごい。
かろうじで、児童館に通っていたから朝昼晩、曜日の感覚はある。
ただほんとうにそれだけ。
しんどかった。
できるだけ長女を優先するけれど
どれだけ優先してもだめだった
なぜ今これを書いているかと言うと、
友人にそれを言われるまで忘れていたから。
でも忘れてはいけない大切な日々だし、消してしまったら私は残らないと思ったから。
いや、少し前までは忘れたい記憶だったのかもしれない、
だからこそ向き合って浄化させたい、と言うのが本当の気持ちなのかもしれない。
やっとあの頃の私、おつかれさまと胸を張って笑顔で言えそうだ。
今やりたいことにも好きなことには軽やかに進み始めているよ
母親と私がようやく共存し始めている
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