見出し画像

都市で自然を生きる(つづき)

 自然農で畑をやっていると言うと、
新鮮な野菜がたくさん採れて良いねとか言われる。
そう言われると、少し違うなぁと、いつも思ってしまう。

まず第一に、収穫物はすくないし、野菜も小さいことが多い。
店で野菜を買うようにはいかない。
料理するのに、適当な量がないことなんでざらだ。
この量で、いったい何が作れるのだろうと、かえって困ってしまうことも多い。
つまり、効率的に野菜を手に入れるのなら買ったほうが早いくらいだ。

にもかかわらず、なぜ畑をするのか。

9年間、畑や自分のうちの庭で野菜を育ててわかったことは、
まず、少量であってもほんとうに美味しいものを食べたいからなのだ。
これは、やってみた人でなければわからない。
高価な自然食品店の無農薬野菜や、有名な農家さんの作ったものよりも
ピカッと光ったホンモノの味がする(ような気がする)。

その、ピカッと光ったホンモノの味がわかると、
買った野菜がどこか物足りなく思えてきて、
がんばって自分で作ると言う事になる。

さらに言えば、同じ種類の野菜でも肥料のあるなしや、種類によって、
また、同じ条件でも、畑や作る人によって味が違うのもわかってきた。

これは、個人的にウルトラスーパー大発見だと思っている。
(表彰状が欲しいくらいだ)

料理が、同じレシピ、同じキッチンでも作る人によって味が違うように、
野菜も、いろいろな条件で味が全く違う。

そして、これは一番の大発見なのだが、
料理と同じように、作る人の在り様が現われるのだ。
厳密に言ったら、作る人とそこの土壌によって姿形と味が全く違ってくる。

人が作ってくれた料理も美味しいけれど、
日常的には、家庭で、自分で、作ったものが一番心身に良いように、
野菜も、自分で手がけたものの方が、味も良く、
体にもスッと入ってくれる気がする。
野菜を育てると言うことは、土と向き合うと言うことだった。

身土不二(しんどふに)=身体と土は、分けられない。同じものだから。

この言葉の意味が、農的な暮らして、実感としてわかってきたようだ。

都会に住んでいると、土を見ないし、土のことを思うこともまずない。
自分の身体を大切に思うように、
自分の周辺の土、コンクリートの下にある土を、大切に思うことから、
農的なくらしは簡単に始められるのかもしれない。

農をやってみて気づいたことは、あまりに大きくて、広範囲で、
なかなか書ききれないけれど、少しずつ書いていきます。

今日はここまで。

(写真はある日の収穫)


#暮らし


サポートしていただくととても喜びます!いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費にさせていただきます。