「私」が麻雀の打牌批判が好きではない理由

私は麻雀の打牌批判やらをABEMAやOPENRECなどでのコメントでもツイッターなどのSNSでも全く見たいと思わず、むしろ見るだけで気分が悪くなる人間である。


自分の中での思考整理も兼ねて、その理由を言語化すべくいろいろと考えているがこの投稿をした本日現在までに理由として考えられるものは以下のとおりである。

1 そもそも人の批判が出来る能力・立場が無い
  麻雀において打牌の批判はどのような能力があれば出来るのだろうか?
  打牌をした人は当然自分なりの考えがあって選択をしているのであって、打牌の批判→考えに基づいた選択の批判→考えの批判?と言うことになりかねない。
  例えば「この考えならこちらがより考えに沿うのでは?」
  という話はまだわかる。ただ、当の本人において、テーマなんて1つだけあるわけではなくいくつかの考えを巡らせた上で決定をしているはずである。更に言えば当時の卓内の空気感などもあって選択がされているはずなので、それも踏まえないでの議論をして良いのかも分からない。
  本来は相当に言葉を選ばなくては内心にも関わるような話は出来ないのでは無いか。自分にはそのような言葉を選ぶ能力も資質も当然ながらない。

2 麻雀の打牌に唯一解があるとは思えない
  AIなどの普及により唯一解があるような風潮は出てきているが麻雀においては次に何が起こるか、情報もない中で分かりようも無く、将棋以上にAIが推奨する選択が唯一の正解と考えることはどうしても(個人的には)できない。
  実際に推奨の選択をした人が勝つわけでもない。都合の良いときだけAIを持ち出すような、唯一解を持ち出すような議論は嫌いである。
  「何故その牌を切るのか」
  その人の選択だからである。

3 批判を表に出す必要が皆無である
  視聴している我々が敢えて批判などと言う形(しかもその批判がほとんど非難の形)で打牌を選択した人やその人の応援をしている人の気分を害するような言動をする必要性はそもそも皆無である。
  そんなことをして読み手・受け手に何をして欲しいのだろうか、思いをぶつけて誰が得するだろうか。シュンとしてくれればいいのだろうか。
  ただ言葉をぶつけて自分が得をしたいだけではないか。

4 批判の大半は打牌批判に主眼がない(と読めるものしか目に付かない)
  打牌批判のコメントなどを見るとその言葉をぶつけることで自分をスッキリさせたいという思いが透けて見える。「応援をしているんだ!」「上手になって欲しいんだ!」
 ならそういう言葉をぶつけられた人のみになって考えてみて欲しい。どこの誰かもよく分からない人に批判をぶつけられてモチベーションは上がるのだろうか。少なくとも私は上がらないし、今後批判はあるかもしれないけど続けていきたい!とは思えない。怒りをモチベーションに、などという考えを持っているならばそのような人だけで社会が出来ているわけで無いことを認識すべきである。


どこかの政治家が言っていた。
根拠のない批判は単なる誹謗中傷だと。自分も本当にそう思う。

そうなると麻雀における「健全な批判」なるものは、根拠を持って行わなければならない。
が、麻雀における根拠とは何か?
正直唯一解があるわけでもない麻雀において客観的根拠はほとんど乏しい。
そうすると、根拠としての力は弱いが主観的な根拠を持ち出すしかない。
(この時点で弱いが・・・)
→ここは○○という場面であり○○という点を最も重視することが良いと考えられる→その観点からするとここは○○という理由で××ではなく、○○が良いと考えるがどうか
といったくらいに自分はこう言う理由からこう思うけどどうですか?
と聞くくらいしか本来は出来ないように思う。
ただ、このような話をツイッターなりコメントなりで出来るか?
答えは文字数などから考えれば明らかに否である。
そして、この文面ではなく××では○○だろ、と書くのでは、
根拠もない
言葉も足りない
ので見ていて毒である。

結論としてはもう健全な打牌批判などほとんど存在しないのである。
先程も言ったように内心にも関わる話でもある。
そのため、「健全な批判」に該当するやりとりは、しっかりとした関係値がある中で、言葉を尽くして行う必要があるものであると考える。

そうでないならば、本来は批判すべきではないし、1兆歩譲歩して、自分の意見ではこうだけどどう思うか、という自分の考えがどうか、と言う形で自分の責任で、真摯に言葉を尽くして聞くくらいが限度であると思う。

それ以外の批判的なコメント・言動は単なる誹謗中傷としか見ることができないので、そのような見たくないものを見るくらいなら淡々とブロックするしかないと思う。
今後も批判的な言動に対しては粛々とブロックをかけていくに尽きる。

むしゃくしゃしてヤジを飛ばしたいなら自分の家でやれば良い。
声を届かせる必要は無い。

なお、本投稿はあくまで個人の見解なので、
打牌批判の批判の批判は一切受け付けておりません。

サポート…?何それ、おいしいの?