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お茶は淹れられないけれど、飲みたい!!、なのかな?

2018年現在、お茶を飲もうとすれば、小銭があれば自分で淹れなくても飲める状態です。コンビニや自動販売機、スーパーなどでペットボトルや紙パックのお茶が簡単に手に入りますから。

伊藤園のこちらのページを読んでみると、500mlのペットボトルの登場が1996年。
およそ20年前。それより前に缶の緑茶が1985年。

子供のころは、お茶といえばほとんど麦茶だったし、お客さんがうちに来る場合だけ煎茶を淹れて出してたような気がします。
両親の田舎に帰ると出てくるのがお茶というイメージもありました。

当時は、家で淹れて出てくるもの、それがお茶でした。

それが今だとどうでしょうか?

お茶は、自分で淹れたり、おうちで淹れて飲むものというより、買うものという人が多いのでは?

とあるペットボトルの有名ブランドのブランドマネージャーの方のお話を聞く機会がありました。
そこで、男女雇用機会均等法でそれまでお茶汲み業務を女性従業員に、というのが、できなくなって、そのお茶を飲みたい需要を逃さないように、ペットボトルのお茶の開発が進められたそうな。お茶の味を忘れられないオジサンがターゲット。

ところが、ペットボトルのお茶が普及して時間が経つと、働くオジサンだけじゃなくて、家庭でもペットボトルのお茶が普及しました。

お茶を自分で淹れるようになってから、気づいたことがあります。

スーパーで2Lの緑茶ペットボトルを購入される光景、高齢の方でもまあまあ、見かけるなぁ、と。
たぶん、お家で飲むためですよね。

なんとなく、お茶は淹れられないけれど飲みたい!!ということなのかな。。
それと、淹れる手間をかけるくらいなら、買う!というところも。

実はお茶を淹れるのにコツがいります。
というのも、それぞれの茶葉の形状や香味の特色でお湯の温度や注ぐタイミングがまあまあ違いますから。

お茶をおいしく淹れる技術というか、そういう知識がないと、おいしく淹れらない。

お茶を淹れる術がなくても、いつでもお茶が飲める状態というのが、現代のような。
そんな気がしました。

現代のお茶事情をちょっと振り返りたくなったので、書いてみました。

では、またー。

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日本茶、紅茶、まなび合いの茶の間「種ノ箱」。 種ノ箱は、昭和三十年代に建てられた大阪玉造の木造長屋の中にある茶の間です。 四畳半のたたみと三畳ちょっとのキッチンがついた和室で、紅茶と日本茶のゆるいセミナーをやってます。