論文メモ 『十二類絵巻』 の主題 ―狸の描写、 鵄と仏教に着目して―

梅田昌孝による論文。

問題設定

『十二類絵巻』は一般に、室町期から江戸期にかけて制作された、いわゆる「お伽草子」と総称される作品群に分類される作品である。多くある諸伝本のうち、最古の巻本とされる旧堂本家本を底本として用い分析を行い、本作品が当時どのように読まれていたのか、ということを明らかにしたい。

要約

  • 網野善彦や小峰和明は、『十二類絵巻』を風刺の物語としてとらえる。対して勝俣隆はこれらに対し、本作品を「狸を主人公とした言葉遊びの戯作」と捉え、風刺は直接主題には結びつかないのではないかと疑義を呈している。

  • 稿者も勝俣の主張と同様に、本作品は狸に焦点を当てた、狸を主人公とする作品として読むのがよいと考える。一方、勝俣の言語遊戯の戯作という説についても疑問が残る。確かに『十二類絵巻』は言葉遊びの戯作としての面も持っているが、それは表現の特徴に過ぎず、主題ではない。

  • 『十二類絵巻』は仏教の枠組みによって成り立つ作品である。作中に登場する古鵄は、天狗の眷属=仏教への反逆者として描かれる。

  • 『十二類絵巻』は狸を主人公として描かれている。

  • 狸は田舎武士の中でもさらに常識がない者・とるに足らない、失敗を繰り返す弱者として描かれる。歌合に推参して受け入れられず打擲され、雪辱を果たそうと仕掛けた合戦で敗退し、変身も見破られる。その後妻子を捨てて出家するくだりでは、妻子眷属含めて狸の哀れを誘う姿が描かれる。

  • そのような弱者であった狸は、出家遁世することで、優美な詩作に明け暮れる生活を送るようになり、京上がりの本意を遂げることが出来る。一方鵄は、仏教への反逆により殺されてしまう。

  • 『十二類絵巻』が仏教への枠組みを背景に持っていることを考えると、鵄のような仏教への反逆者は、そのために殺され、狸のような取るに足らない弱者ですらも、仏教への信仰により救済された、と読むことが出来る。

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