明治期日本における精神医学と狸憑き

斎藤喬による論文。

問題設定

明治期日本における精神医学者の言説を参照しながら、徳島県下の狸憑きを個人の精神病理として診断する根拠について概観する。

要約

  • 明治33年(1900)に荒木蒼太郎が『岡山醫學會』第124号と125号に「徳島県下ノ犬神憑及ヒ狸憑ニ就キテ」を寄稿し、徳島の狸憑きに特化して報告する。そこでは先行研究として、島村俊一が『東京醫學會雜誌』に発表した「島根県下狐憑病取調調査」(1892)と島村の論文を受けて榊俶が『哲學雜誌』上で発表した「狐憑病に就て」(1892)の二つが言及されている。

  • 荒木は前景論文において一貫して「狐憑病」ではなく「附憑病」の表記を用い、「狐憑病」という呼称の一般化は避けている。

  • 明治35年(1902)に門脇真枝の『狐憑病新論』が公刊される。当時の日本精神医学における「狐憑病」の知識と経験が集大成されたかに見えるが、荒木が報告したような「犬神憑」「狸憑」への言及は限定的である。彼は「狐憑病」を症候群として措定し、多くの場合「狐憑證」と表記している。つまり「狐憑病」の名称に対して単一疾患という誤解を与えないよう配慮がされているように見える。

  • 榊は「狐憑病」の様態を①周囲から強いて狐憑病であると言われたもの、②自分の身体に狐が憑いていると、または自分の周囲に狐が居ると自覚されるもの、③自己が狐になってしまうもの。荒木は②と③に当たる「附憑妄想」「人性変換」を取り上げ、特に③を重視する形で「附憑病」の診断基準にしていく。荒木によれば体内に憑き物がいるという感覚と憑き物のように振る舞う行動は症状としては地続きの異常であり、どちらも同一自我の妄想である。

  • 荒木は「附憑妄想」と「人性変換」の二大症状を合わせて「附憑狂」という一般病病名にすることを提案しており、これは門脇が「狐憑病」を症候群であることを強調し「狐憑證」と表記したのとは逆の方向性に見える。

  • 後者の名称は「狐憑」であり、おそらく「犬神憑」や「狸憑」を念頭に置いて個別の動物名を排除して「附憑病」と表記した前者とはの思惑とは相違がある。「狐憑病」は病状についてだけでなく病名について揺らぎを抱えている。

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