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年が明けると共にプチ妊活の決意をした2024年

新年を迎えると、人間なにかしら始めようと思えるようになるのか。「プチ妊活をしようと思うんだけど」と、初めてパートナーに言えたのが2024年1月、つまり今月のことだった。年始に親戚で集まったときにいとこの子供たちをおだやかにながめる父・母の顔を見たのも影響しているかもしれない。たしかに、1年前くらいから考えていなかったわけではない。

ただ、いまのパートナーと付き合い始めてすぐ半同棲になったときには考えていなかったことだ。そもそもお付き合いをすることから遠ざかっていた30代半ばのこと、一人暮らしも長かったので「他人と暮らせる気がしない、結婚するかは分からない。それでもいいか」と了承を得てのお付き合いだった。ただ、暮らし始めてみると、そこそこ楽しく暮らすことができていて、この人と一緒に暮らしていなかった場合、わたしは一人でどうやってコロナ禍を過ごせていたのか想像がつかないほどステイホーム期間を快適に過ごしてきた。今では、パートナーのことを、この世知辛い世の中を生き抜いていく相棒のような存在に思っている。いい意味で、鬼退治にいく際についてきてくれる、相棒の犬みたいに思っている。つい4年前くらいまでは「誰かと一緒に暮らしていくこと」が想像ができなかった私が、「誰かと家庭を持つこと」の選択しを頭の片隅に持つことになった。単純に、パートナーが、子供をもったときにどのように変容していくのか見てみたいし、父・母にも孫の顔を見せてあげたい、そして何よりもわたし自身が、子どもをもってみたいと思うようになったのだ。社会人として働き始めてから早14年・・決して「自分は結婚しない」「子どもをもたない」と積極的な決意をしてきたわけでない。目の前のことを1つ1つ、その時なりの、ベストではなかったかもしれないけど、自分が後悔しないためのベターな判断をしていくうちに38才という年齢になってしまった。世の中のステータスでいうと「独身38才女性」の私である。その私が、後悔をしないために「プチ妊活をしよう」と決めた。

「プチ」がついているのは、これから妊娠力の検査をしていったり、両家の親・親戚とことを進めていくうちに、ことがもう進まない(例えば、妊娠は難しい状態であるとわかってしまったりとか)となったときに、また、妊活をしていない自分にすぐコマを戻せるように、自分のなかに「期待しすぎない」安全レバーを設けているからかもしれない。自分にも、まわりにも、期待しない・期待させすぎない。そうすることで何かあったときの「ガッカリ」を極力少なくしようとしているのかもしれない。

このnoteは、友人・家族に言いづらいその「プチ妊活」の記録を留めていきたいと思う。もしかしたら、しょっぱなでつまづいてしまうかもしれない。でも、やらない後悔より、やった後悔のほうが良い。見返したときにこれからの自分の糧になるかもしれない、誰かの参考になるかもしれない。そんなおもいで、ゆるく、初めてみようと思います。

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