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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(35)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第6章 欲望のラディカル・アクセプタンス:切望の源に目覚める
【足りない自分】の否定

エデンの園の物語をご存知でしょうか?
神様は園のど真ん中に、美味で危険な果物の育つ知識の木を植えます。好奇心旺盛で果物好きな人間(エバ)は、食べてはいけない果物を食べてしまい、神様から辱めを受け罰せられてしまいます。

心理的に毎日経験するこの状況ですが、人より秀で、賞賛される人間になれと推奨される一方で、身勝手さを恥じよ、自己中心性は人間の欠陥。甘やかしは罪であると唱え続けます。

また、主流の宗教においても、欲望・愛着・貪欲は苦しみに繋がると説き、女性詩人のオードレ・ロードは、欲望への恐怖心が自分自身に対する色々な面での抑圧になると言います。

悟りと欲望の関係を仏教の教えの中で理解しようとする課題はブッダが生きている頃から続いていて、中国禅の昔の物語にこの難しさを語るものがあります。

老女が、それまで援助してきた僧侶のもとに若い女性に食事を運ばせ、その僧侶に抱きついたときの反応をみるのですが、僧侶が若い女性に対して、「石の上に立つ冬の枯れ木のように」接したことに激怒します。
何故僧侶に対し、老女が激怒したのか?
…己の心を閉ざす。これは悟りの境地ではないからです。

欲望を感じるのは精神鍛錬が足りないからと勘違いする…
私たちは、友人や師に助けを求めてもよいし、人と繋がりたいという欲求をもってもよいのです。

禅僧の物語は、私たちに教えてくれているのです。

欲望を押しのければ自分の繊細さを忘れ、「冬の石」のように人生に対して頑なな気持ちを持つようになってしまうのです。欲望を拒否すれば、自分の中に生きる愛と活気の源を否定することになるのです。


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