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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(55)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第9章 思いやりの輪を広げる:菩薩の道
【皆同じ

今回は「思いやりの心への目覚め」というリトリートに、仕事場で起きた屈辱的なある出来事を考えながら到着したキムのお話。

博士が初回インタビュー中に、頭の中でこのストーリーを繰り返すのを止めて心と身体に湧き上がる恐れと恥に集中するように促すと、彼女は胸に感じる深い痛みと喉のあたりを掴まれているような感覚を感じるのでした。

慈悲の瞑想をもとに、まず自分へのおもいやりを思い起こすようにキムを導く博士。そして、彼女がリラックスしたのを見て、家族や友人の中であなたと同じように間違いを犯したことや、感情的に反応したことを恥ずかしく思っている人がいるか彼女に尋ねると、母親と兄が思いうかぶキム。

身近な人たちから少しずつ、気遣いの輪を広げながら慈悲の練習を続けると、一人ひとりの人間としてのもろさを感じながら、気遣いの祈りをこの人たちに向けることで、彼らに親近感を抱きはじめることができたのです。

博士がキムを慈悲の瞑想の最終ステップへと導きます。
すべての生き物に対して彼女の心と意識が無限に広がり、瞑想を終えて目を開いたその表情は穏やかで身体は緩み、最後に「みんな同じなのよね」と博士に向かって自身の思いを伝えるのです。

自分や他者の苦痛と意図的に向き合う練習は仏教の慈悲の瞑想の基本的な形。この練習によっておもいやりの能力が深められ、他者の苦痛に意識を向ければ、自分だけが傷つき痛みを感じているわけではないと気がつくのです。私たちは皆人間として同じような弱みで繋がっているのです。

ここでもう一人、キリスト教神秘主義者のテオフェン神父が登場します。人里離れた修道院に深い叡智を持つことで有名な修道僧がいると聞き、彼に教えを請います。この賢者は質問の形でしかアドバイスしない。

賢者は、テオフェン神父に「彼らは何を必要としているのですか?」と問います。テオフェン神父はその場を去り、この質問を深慮しますがらちがあかず。もう一度教えを請いに行きます。

賢者は、「彼らは本当に何を必要としていますか?」
私たちは、テオフェン神父のように真の精神の内省とは自分自身に焦点をあてるものと思い込んでいます。精神の目覚めと他者は切っても切れない関係にあるのです。

賢者が提案した巧みな質問がテオフェン神父の中に、他の人間に細心の注意を払うことによって目覚める真の精神的な深みを呼び起こしたのです。


追記:個人によって感情の大きさには違いはあるかもしれません。ただ、その「感情」をもっているということは同じ(Common humanity)。深い(感じやすさ)は、練習によってコントロールすることが可能。ストレスとの向き合い方を学ぶ。
それがMBSR(マインドフルネスストレス低減法)。

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