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試験に出る(カンテの)チャイの歴史 その2

カンテ・グランデ 大阪マルビル店 1回目の改装後

1985年・・初代「カンテのアメリカ村店」オープン。西心斎橋のアメリカ村ロンコートビルの2階に出来たこの店舗は、レンガ、テラコッタ、タイルなどを多用したアーティスティックな空間のお店でした。

1986年・・カンテの「大阪マルビル店」がオープン。ガンジス川のガートを模した店内、エスニックな服の販売、アジアなお茶のメニュー、インドを意識した食べもの、ベナレスでの現地録音のBGMなど、「チャイ」にふさわしい舞台が整ったのでしたが、あまりにも前衛的過ぎて流行るにはあと10年程必要でした。

1987~1990年・・この時期、カンテでは、カレー&チャパティという家庭版インド料理の原型が出来上がり、チャイも作り方を本格化し「煮込むチャイ」へと深化していく。

1992年・・カンテのインド化はピークに。2代目「アメリカ村店」をミナックスビル3階にオープン。内装は極限までインド仕様にするも、アメリカ村の低年齢化によって「Chai Shop」は理解されず「ラッシー Shop」に。

1994~1996年・・2年のブランクの後、中津カンテがリニューアル。奇しくもこの年「スターバックス日本一号店」がオープンしています。

1980年代は、一部の熱狂的なカンテ及び加奈泥庵ファンの間でチャイは普及していきましたが、まだまだ「大阪名物」的な存在だったことは否めません。一歩大阪を出ると、誰も「チャイ」を知らない世界が広がっていたのです。

それが1990年代後半になると一変します。ウルフルズの「隠れた宣伝効果」で、カンテは「チャイの聖地」となり、徐々に全国区となったチャイは消費量を伸ばしていき、「チャイ」といえば「カンテ」を連想するまでになったのがこの時代。

1998年・・カンテの阪急三番街店オープン

1999年・・「なんばCity店」オープン

さらに2000年代にやってきたカフェブームが拍車をかけます。老舗のカンテは、その後に現れたカフェの象徴的な存在になるのですが、ここで思わぬ事態にみまわれることになるのです。スターバックスを代表とするシアトル系コーヒーショップの台頭です。

スターバックス的なお店の登場は、それまでカンテが築き上げて来た「混沌とした夢の世界に浸る楽しみ」を打ち砕きました。(カンテとは無縁の)シンプルで快適な店内、どこのお店も分かりやすく均一化された飲み物や食べもの、分断された個別の空間等が好まれるようになり、無味な店員とクールな客が増える事になりました。さらに、外食チェーン店の競争激化の波にカンテも呑まれ、2002年以降、「イーマ店」「うつぼ公園店」「富国生命ビル店」「NU茶屋町店」「グランフロント店」と姉妹店のオープンラッシュが続くも、徐々に力を失い、2020年の新型コロナ禍も影響してほとんどの店舗が閉店に追い込まれ、50周年のカンテは「中津本店」と「西宮ガーデンズ」の2店舗となってしまったのでした。(おわり)

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さて、僕はというと、2015年にカンテを退社し、2017年に「チャイの旅」を出版、2020年に「マツコの知らない世界」に出演してチャイの魅力を語り、今は「ワークショップ」でチャイの本当のおいしさを伝えているのですが、さて、これから僕はどこへいくのやら・・・。

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