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嘘みたいな教師の話

こんな記事を読むと、親世代からは「教師は聖職だったらしい」と聞かされる。

「らしい」というのは、私の親世代ではすでに教師は聖職ではなかった。

ここで教師とは、と熱く語っても仕方がないので思い出話を語ります。

私が「この人は聖職としての教師だな」と、つまりは「理想的な教師だな」と思った人間は4人です。

多いと思いますか?

ところが、この内、二人は学校教師、二人は塾講師です。つまり残る二人は厳密には教師ではありません。

しかも、小学校時代の担任は皆無。中学校時代の担任と教育実習生だった時のクラス指導の先生だけです。

詰まる話が、小学校、中学校、高校と通って理想的な教師に出会える確率はそれほど高くないことを思い知らされます。

しかし、実際には一人いればいい方です。

そう感じることのできる教師が皆無なのも珍しくありません。


小学校時代のやばい担任

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少なくとも私の場合、小学校の6年間は地獄のようでした。まだ無力な子どもで、社会も知りませんので逃げ場は「自宅」以外ありません。

そんな私でも普通なら小学生は嫌がるかも知れない塾に行くのが一番の楽しみでした。そこで日本史を教えている講師の先生の授業がとても楽しかったからです。

皆さんに私の当時の学力をお教えしますと、国語は70点以上、社会科は日本史だけ90点以上は常にキープしていました。しかし、算数は20点以下、2点の時もありました。今思えば、どうやったらそんな点数取れたんだろうかと疑問に思いますが、算数だけはダメでした。理科はもっとひどいです。10点取れればいい方です。

理科では人体の仕組み以外で興味を持つものはありませんでした。化学だろうが薬品や星の名前だろうが興味が湧きませんでした。算数なんて何を言ってるのかさっぱりです。理由は簡単です。国語、歴史は全て塾で習って楽しいと思えたから良かったのですが、算数と理科は学校でも塾でも致命的にダメでした。LDにかかっていた可能性も今にして思えばありますが、それはまた別の話です。

小学校はいわゆる区立。教師は体育会系が多かったイメージです。どこもそうなのでしょうか?

1、2年生の担任は海外へ転勤してしまい、3年からは新任の先生で、サッカーが好きな人でした。その頃から確実に学力が落ちてしまいます。5年からはダンテの地獄篇も裸足で逃げ出す苛烈ぶりを極めました。以下、エピソードを列挙しましょう

海外留学自慢

この5年生の担任は、海外留学の経験があり、いつも自慢ばかりしていました。「俺は銃撃戦に遭遇して危うく死にかけた」とか、「ホームレス生活もしていた」とか「アマゾンでピラニアが死体を食う場面を見た」とか。今そんな話をしたら、どうなるのだろうかなと思いますが。

しかも、なんの実のあるテーマ性のない話ばかりです。

授業は知力系(学力ではない)のプリント

国算社理そっちのけで体育ばかりやってました。学力系はプリント出して解かせて終わりです。「四角い頭を丸くする」的な感じでパズル要素のあるものばかり出されます。「知識」よりも「知性」を重視するというものなので、学力ではなくIQっぽい問題です。そんなので学力上がると思いますか?

案の定ですが、塾に通う同級生が多かったです。親が心配したのだと思いますが。

体力なし、基礎疾患持ちへの追い打ち

体育会系の担任でしたが、限度というものがあります。私は「喘息」でしたが、他には心臓が弱かったり、何らかの呼吸器系の病気を持っている子が何人かいました。

そうした子どもは体力がないため、休みがちになったり、体育授業も思うようにいきません。3,4年の担任はそうした子でも参加できるような運動をみんなでやるという意味ではかなり配慮してくれましたが、「この担任」はそうもいきません

やるなら、陸上競技。マラソン、持久走、ハードル走は日常茶飯事。学校企画でも「めざせ校庭100周」、いつからいつまでに100周走り、走った分だけシールを自分の名前のある紙に貼り付けるというもの。

その紙は教室の後ろの掲示板に貼られるので誰が何周走っているのかすぐにわかってしまう。しかも、大昔の「隣組」よろしくシールを貼るところは誰かに見られていて、ズルをするとすぐにバレるシステム。まさしく監視社会

これがたまらなくだるい。クラスだけやるので、ほかのクラスや学年はやらなくていい。休み時間を使ってただひたすら走る。

体育会系の生徒たちは洗脳済みというか、槍玉に挙げられるのが嫌で従っていたという印象です。

ちなみに心臓の弱い子が中々シールがたまらないため、担任はキレて延々と走らせたことも。

食費をケチるために

家庭科の授業では主食、主菜、副菜を完璧に生徒にマスターさせ、栄養計算をしっかりした料理を作らせる。これは普通に家庭科の授業っぽいですが、担任は各テーブルを回り、生徒の作ったものを一個ずつ食べて回る。

あくどいのが、美味しそうな料理だけをつまみ食い。女子生徒の比率が自然と高かったですね。

塾通いを迫害

この担任が何よりも嫌悪したもの。

それは「頭の良い生徒」。塾に通い、勉強し、私立へと進学する生徒です。

塾通いの人間は重点的に「塾は甘え、受験休みは甘え」をスローガンに徹底的に嫌がらせを受けました。

私も塾通いだったので当然被害を被ります。特に学力に関しては惨憺たる結果の私は、「塾通いなのに」「こんなものもわからないの?」と言われ続けました。

いじめは、生徒が原因か?

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私は小学校時代、散々ないじめを受けました。むしろ、いじめられなかった日はないくらいに古今東西のあらゆる責め苦を受けました。

ダン・オルウェーズは「いじめ」の原因を突き止めるためにノルウェーで大規模調査を実施し、いじめの特徴や原因を探り「家庭環境」や心理的特徴などを取り上げている

しかし、私はこれにかなり懐疑的である。家庭環境や心理的特徴は「いじめっ子」「いじめられっ子」「追従者」「傍観者」にも当てはまる場合があり、普遍的ではない。

しかしそれが発生する共通する環境がある。それは「学校」という場で「教育を受けている立場」で「身体・精神的にまだ未熟な状態」であることである。私は家庭環境の悪さは単なる偶然に過ぎないと考えている。家庭環境がよかったとしてもいじめたり、いじめられたりする人間は多い。

聲の形という映画を見た人ならわかると思うが、いじめっ子だった子どもがいじめられるようになったりするという展開は一概に家庭に問題があるということはいえないことを示している。

では何が問題か?

これも聲の形で解答を導き出している。

実のところ、聲の形でいじめっ子が聴覚障害を持つヒロインをいじめていた理由は単純明快である。何も彼の性格が悪かったり、家庭環境が問題だったりするわけではない。

母子家庭だから問題だとする人もいるが、私の知っている母子家庭の子は品行方正で成績も優秀、大卒で普通に就職して懸命に働いている。そんな子が多いのも事実である。

問題なのは「誰もとめない」こと。「誰もがいじめっ子の行為を正常化している」ことにほかならない。

理由は「学校、あるいは教室の環境そのものである」

生徒に静止を求めるのは酷というもので、その役目を担うのは「担任」のはずだ。いじめの事実があれば担任の教師はすぐに対応するべきだ。しかし、聲の形の担任は「高い補聴器を壊した」ことで事を大きくした。後付けのような学級会と説教をして、いじめっ子を弱者に変換した。

ここで最悪なことは生徒の生殺与奪を担任が握っていることだ。子どもにとっての世界は学校と家庭だけであり、社会性は学校だけにある。そのため、学校から切り離されると子どもは社会から否定されることにほかならない。その学校社会の大統領は「担任教師」なのだ。

聲の形までとはいかないまでも、というかそれ以上のことが私の教室で起こっていたのも事実である。

病弱な生徒、勉強のできる子には何をしてもいいという「制度」が完成したのだ。そこから先は、その教室内で担任がラベリングした「弱者としての病弱とガリ勉」を迫害してクラス内での一定の地位を確保しようという中流階級と上流階級の権力争いだ。まだ毛も生えてないのような子どもの時分から、大人たちの醜い争いを学校で再現させようというのだ。

だからこそ言いたい、「嘘みたいな教師」はそんなことができるのだ。

たなすずがやられたこと

とかいってもどうせたいしたことないんでしょ?的な疑問もあるでしょう。参考までにやられたことを列挙しておきましょう。こんな「嘘みたいな教師」に出会ってしまった人、あるいは今まさに出会ってしまって嫌になっている人がいたら、コメントください。この後に、たなすずが「やろうとしたこと」を列挙します。これを読んで、もしたなすずが「やろうとしたこと」をしようとしている人がいたら、悩まずにコメントをください。

1.ランドセルを壊される(引っ張られたり、踏まれたりして金具がいかれたり、ボロボロになったり、肩紐が引きちぎれたり)

2.給食に嫌いなものを載せられる(これ嫌いだから食っといて)

3.身体的特徴への罵倒(デブ、ほくろ、短足など)

4.ハブられる(給食、班分けで仲間はずれ)

5.犬のウンコがついた木の棒を口に入れられる。そして翌日「ウンコマン」と呼ばれる

6.首を締められる

7.弁当をひっくり返される

8.プリントを隠される。提出できず担任に立たされる

9.盗撮される、ネットにさらされる

10.シャーペンの先で首を刺される

11.ゴミ箱扱いでバナナの皮とかその他もろもろを捨てられる

12.掃除後のバケツの水をぶっかけられる

まだまだこんなもんじゃありませんが、5年生から6年生の夏休み前までこんなことをされ続けました。

たなすずがやろうとしたこと・やっちまったこと

1.家出 やっちまった

2.いじめっ子の椅子の上にGの死骸を置いておく。やっちまった

3.いじめっ子の教科書を〇やす やっちまった

4.いじめっ子のランドセルをライターの火であぶる やっちまった

5.自殺 未遂

精神がボロボロになると色々と判断力がなくなります。自分でも驚くようなことをしてしまいかねません。特に「自殺」を考える人は決意をしてしまっているかもしれませんが、よく考えてください。

一人一人、経験や経緯は異なると思いますので私からは何も言えません。一つだけアドバイスするなら、死ぬ気があるなら恥を忍んで親なり、投書なり、ネットでの相談なり、なんでもいいです。誰かに言ってください。心無いコメントは無視して、自分が好ましいコメントや人と話してください。そしてメンヘラっぽくならぬよう、ネガティブなことは言わぬよう、好きなことを好きな場所で誰かと話してください。

学校に行かないというのもはっきりいって選択肢です。この世の中は、いじめている生徒には教育の権利が保障されていて、いじめっ子がいなければ学校行って勉強するのにって子の教育の権利を保障しないものです。

子どもっぽいこと言うなよなと思うかもしれませんが、いじめられていてそれこそ死ぬことを覚悟している子からすればそれは死活問題です。

そっちが権利を保障しないなら学校なんて行ってたまるかという話です。

今日はこのへんで。次回のリトルたなすずは逆転劇です。

以上!解散!

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