#005 帰り道ジェット

うちにかえろう いちにちのおわりはそっとあいのうた
こころやすめて あなたがわらえばしあわせなのです
こんやはとくにゆめのよう

帰り道ジェット/スムルース

今回は、スムルースのデビューシングル「帰り道ジェット」。早速の引用は、この曲のサビ。

今にも駆け出したくなるようなイントロを聴くだけで、心が沸き立つ。私はずっとドキドキしている。彼らの音楽に。それと同時に、安心もしている。まさに「帰り道ジェット」はそういう曲なのだ。

星が降ってくるようなギターのフレーズから始まり、ベースとドラムが足を前に走らせていく。Bメロのキメの部分なんて、ライブで一度聴こうもんなら、一心に手を振り上げているに違いない。はやる気持ちを抑えられないベース、一筋縄ではいかないのにどこか真っ直ぐなギター、徳田さんの息遣いのわかる歌い方に、どんどんと気持ちは高まっていく。
これだけ疾走感やときめきを感じさせる曲のサビならば、きっと爆発的な何かを期待してしまうかも知れない。だが、彼らはスムルース。彼らの核は歌、もとい徳田文学。サビは「うちにかえろう」だ。

「うちにかえろう」と言うために、誠心誠意ドキドキさせてくる。どういうことだスムルース。それはどんなうちなんだろう。


この曲のサビは、全てひらがなだ。前回たむさんも歌詞の表記の仕方について書いていたけれど、これは私も曲にとって意味があると思う。

ひらがなの理由は、私は2つあると思っている。
1つ目は、帰る場所を聞き手に委ねているから。

たとえば、「うち」に「家」の漢字を当てていたとしたら、家に帰ろう、家庭に帰ろうという印象が強くなるだろう。徳田さんの曲は、直接的・間接的にも家庭が出てくることも少なくないし、ご実家の話が出てくることもよくある。だが、この曲の「うち」は「家庭」と聞いてもいいし、そうでなくてもいい。

それは、自分が帰る「うち」はひとつではないから。生まれ育った家かもしれないし、新しく築いた場所かもしれないし、生まれ故郷ではなくともふるさと的な場所かもしれない。
ホーム。これらの共通点はひとつ。帰ればまた新しい一歩を踏み出せる場所、だろう。

例えば、私にとっての帰る場所のひとつは、ライブハウス。私はライブが好きになって10年くらい。ジェットのごとくライブハウスへの道のりを走り抜けてきた。そのときだけは疲れをわすれ、心ときめかせ、汗を拭いながら入ったライブハウスで、ゆめのような時間に何度も立ち会ってきた。
その瞬間と音楽にどれだけ力をもらってきたかわからない。



ひらがなである理由、2つ目の理由は、こどもになっているから、なれるように。あるいは、こどもに語りかけているから。

帰る場所では、大人である必要がない。物理的な場所があるかのように書いてしまったけれど、こどもになれる場所、と考えた時、それは時々で違うかもしれない。誰かといる時かもしれないし、物かもしれない、時間か、空間か、気付いたらそうなっているものもある。

弱虫僕らは恋をして 大切が増える純愛心配性
あなたに出会えば意気地なし 失わないよう守る弱さは強さ

帰り道ジェット/スムルース

例えば、好きで夢中になれることだってそう。好きってとても素直な感情で、説明ができなくて、どうにもならない。言葉になる前の感情、漢字なんてない世界のものだと思う時がある。

でも、そんなの大人になったら口に出すのも恥ずかしくて、ブレーキをかけている。けれど、どうしても溢れ出してくる時、もうそれは、こどもが駄々をこねるくらいに素直になるしかない。その時は、こどもなくらい純粋だし、それができる場所こそ自分の原点なんじゃないか、と。


「帰り道ジェット」が発表されてから4年後ではあるけれど、もう1つ歌詞のひらがなが印象的な曲がある。

「よるをつないで」。この曲は、歌詞カードを見て欲しい。どんだけさみしいねん!って突っ込みたくなるくらいのインパクトがある。

「よるをつないで」収録「UNITE」歌詞カードより

でも、それだけ感情がつまっていて、大事に大事に歌っている。この曲に関しては、涙と鼻水で顔ぐちゃぐちゃになってそう。でも、それくらいになれるのって、こどもか、おとなが安心できる場所にいる時だけだと思うのだ。その時は、もう、大人でいる必要がないから。

キミをまもるこのいえは せいいっぱいのボクのうつわです ずっとずっとこきゅうして すってはいて ただいま 

よるをつないで/スムルース

ここでいう「いえ」も、帰り道ジェットの「うち」と同じように感じる。いつだったかのインタビューかMCで、徳田さんがまさにライブハウスのこと、と言っていたこともあった。
すると、帰り道ジェットの「失わないよう守る 弱さは強さ」の歌詞の意味が補強される気がする。


帰る場所があるから、どこかへ歩き出すことができる。
自分に戻れると、また新たな自分をはじめられる。
そして、そんな場所にこれからも出会っていく。

楽しいことばかりではないけれど、やっぱりそこに期待や希望がある。それが、スムルースの音楽が、色鮮やかでポップな所以だと思っている。帰り道ジェットは、そんな曲。


以上、徳田文学を深読みして遊ぼうのコーナーでした!
さて次は、たむさん。なんか、最近この曲気になるぜ、または、ここ気になっちゃうぜな曲でお願いします。




以下は、本文に直接関係ないのだけど、私の自分語りです。基本、Uターンしてください。

この記事は、2年前に書いたものを書き直した。コロナ禍で延期となる諸々を前に、そうだ!大好きなスムルースのこと語り合おうぜ!で、始めたこのnote。感染状況に振り回されながら、鬱屈とする社会の空気の中。私は折を見て、探り探りライブに参加したりしなかったり、自分の生活をした。だが、音楽やライブが不要不急のものとされている状況にモヤモヤとしつつ、何もできなかったことに私は悩んでしまった。
変わっていくこと、変わらないこと、大切なものの優先順位が変わっていくこと、それってなんなんだ、と思った。大好きな音楽に対してもそう。私は、音楽に対しては、なぜか無常を受け入れることができなかった。

今年3月、スムルースのワンマンライブに行った。
どうしても仕事で開演時間に間に合わず。でも、猛ダッシュでたどり着いた時に始まったのがちょうど「交差点」だった。個人的に、スムルースに出会った高校生の頃いちばん好きで、お守りにしていたような曲。イントロが始まった途端、びっくりするくらい泣いた。感情に名前をつけることができないけれど、これは、完全にその時の気持ちに戻っていて、それを今感じることが奇跡のように思えた。

その時、何かが腑に落ちた。私にとって、スムルースの音楽は帰れる場所なんだ、と。
いろんな変化がある中で、またこうして集まって、音楽を楽しんでいる。スムルースがスムルースであることに、なんの違いもなかった。変わっていくものも、変わらないものも、愛しく思う。そう思った。

これを、簡単に言葉にできず、しても足りず。でも、とても大切な存在。ありがとうスムルース。これからも、ともにゆこう!です。

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