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「こだわりがない」ことが「こだわり」~あたり前の身近さの中にある、ちょっと変わった果樹農家さん〜


「ヘンタイ」と言われたい!
自由人たちがつくる“まとまらない”地域づくり―上秋津編

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和歌山県田辺市の上秋津(かみあきづ)という地域に、野久保太一郎さん(以下、野久保さん)が営む果樹園『十秋園』(とあきえん)はある。

この上秋津という地域は古くから“地域づくり”が盛んで、1996年には農林水産省の行う「豊かなむらづくり全国表彰事業」にて天皇杯(最優秀賞)を受賞。その後も、1999年に当時まだ珍しかった農産物直売所「きてら」を開設し、2008年には旧上秋津小学校を利用した体験型グリーンツーリズム施設である「秋津野ガルテン」をオープンするなど、次々と地域における革新的な取り組みが行われてきた。

そんな地元・上秋津のことを、野久保さんは嬉しそうに「ヘンタイ」と呼ぶ。

「普通、産地って同じ種類をたくさん作ったほうが市場へ流通させやすい。でも上秋津では祖父の代から、温州みかんだけでなく、晩柑もやり、梅もやり、まとまらない地域なんですよね。田辺市の中でも上秋津はオカシな地域と認識されているというか。(笑)」
と言いつつも、

「みなさん一生懸命で、地域づくりに関していえば先進的なことをやっていて、田辺市の中ではダントツの地域だと思う。」
と誇らしげに語った。

どうやら、上秋津では長年の地域づくりの中で「未来のために投資することの大切さ」が培われ、新しいことを始めることへの反発が少なく、ちょっと変わったことを始めたとしても許されるような風土が根付いているようだ。
そんな上秋津の自由さが、他の地域とは一線を画すある種の「ヘンタイ」性として輝きを放ち、この地域に訪れた人々を魅了しているのかもしれない。

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そして、農家を継ぐ気がなかった野久保さんを「農家が好き、地元が好き、この地に骨を埋めたい」と言わせるまでに変えたのも、この地域「上秋津」だ。

元々、オートバイ好きが高じてお隣・三重県の「鈴鹿サーキット」で運営・管理の仕事をしていた野久保さんだったが、24歳のときに上秋津へUターン。この頃は正直なところ、かなり後ろ向きな気持ちで、家業である果樹園を始めたそう。

そんな野久保さんを変えていったのが、個性豊かな上秋津の人々とのつながりだった。地元へ帰って来て早々、野久保さんを待ち構えていたのは、消防団やら青年部やら地区役員やら…といった、地域の役割。地域づくりが盛んな上秋津ならではだが、これが野久保さんにハマった。「農家なんて“イケてる”イメージは全く無かったが、地域の役割をこなすうちに親しくなっていった周りの先輩・後輩たちには、こんなにも面白い人がたくさんいる。そんな上秋津の愉快な(ヘンタイな)仲間たちと共に過ごすうちに、農業にも前向きに取り組むようになっていった」と言う。


つながりが未来を創る、「身近さ」が笑顔を生む。
日々の生活の中で“農家”を誰より“楽しむ”男―野久保さん編

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野久保さんが「たなべ未来創造塾」や「たなコトアカデミー」などといった地域活動へ積極的に関わるようになったのは、2011年に農協の青年部で全国役員を引き受け、地道にすごいことをやっている農家、そして農家だけでなく他の業種とも関係性を築いていきたい、と考えるようになってからだそうだ。

「たなべ未来創造塾」とは地域を担う人材を育成する田辺市主催の事業で、2017年第2期開催の際に野久保さんにも声が掛かった。
「たなべ未来創造塾に入って、みんなが前へ前へと進んでいく中で、私は逆に自分の内側にある基本に立ち返っていったように思います。」
その背景には、昔、アメリカでのファームステイを通して感じた「ルーツ」の大切さがあった。自分の「ルーツ」である果樹園、そして身近なコミュニティである家族、地域農家とのつながりから「たなべアグリ48」という事業計画が完成した。

元々、昭和48年生まれの農家で集まる飲み会「48(ヨンパチ)会」なるものがあり、そのメンバーの6名が主体となって、地元の子供たちとマルシェを開いたり、耕作放棄地に紀州備長炭の原料であるウバメガシを植えたり、通販サイトを立ち上げブランドを共通化させる、といった事業を行ってきた。

その中でまず実現したのが「みかんマルシェ」だ。地元の小学生と一緒に「48(ヨンパチ)会」メンバーの畑で育てたみかんなどを販売した。その後もプロジェクトを進めていく予定だったが、メンバー各々が本業や地域の役割を抱える中、活動を続けるのは難しくなっていった。しかし、「今でもすぐに連絡が取り合えるようになっていて、今後もタイミングが合えばこのヘンタイ農家達で面白いことを仕掛けていけたら」と今後の活動に展望を示した。

そうして「たなべ未来創造塾」での慌ただしい日々が終わった矢先、新たに「たなコトアカデミー」という、雑誌『ソトコト』と田辺市が協働で行う「関係人口」創出のためのプロジェクトへも参加することとなる。

たなコト1期生との交流の中で、野久保さんは「自分の自己紹介がしづらい」といった悩みを打ち明けたそう。「僕自身は普通の農家で、特別変わったものを作っているわけでも、変わったことをしているわけでもない。農業における“こだわり”は何ですか?と質問されても困ってしまう。」

するとそこにいた、たなコトのメンバーから「身近さ」というフレーズが出た。その瞬間、「これは僕のための言葉だと思った」と野久保さんは話す。それ以来、「特別ではなくもっと身近さを。」が野久保さんの農業スタイルの“こだわり”となったそうだ。

こうした地域づくりの活動に関わっていくうちに、野久保さんの周りには自然と、様々なカタチの「つながり」が生まれていった。そういった様々な「つながり」が、野久保さんのポジティブなパワーの原動力となっているのかもしれない。

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そんな野久保さんはいつも明るく、ユーモアも忘れない。農業日記を書くついでに情報発信ができれば、と始めたFacebookの投稿にも、見る人を笑顔にする工夫が散りばめられている。

みかんに顔を書いてみたり、みかんで人型を作ってみたり、文字を表現してみたり、柑橘を使ったハロウィン風のランタンを作ってみたり…さらには、畑の急勾配を飛び降りていくパルクール動画まで!!

そしてそのポジティブ精神と「愚痴は言わず・前向きに・くだらない」がポリシーの投稿は、どんな状況下でも変わらず発揮されていた。突然のコロナウィルスの感染拡大、緊急事態宣言、長引く不況…どうしても暗くなりがちな知り合いの投稿を横目に、「週末は"農耕接触" で暮らすだ」「Stay Farm」といった具合で、野久保さんの投稿からは「笑顔の感染拡大」に歯止めが利かないようだ。


軽トラでの飛び込み販売で苦境を乗り切り
口コミで広がったお客様の輪と未来へのクロスポイント―十秋園編

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『十秋園』では温州みかんだけでなく、約30種類の柑橘類、さらには、梅、キウイなどといった果樹を育てており、野久保さんは5代目の園主となる。
主な販売方法はなんと、電話やFAXで注文を受け、お客様へ直送する、というもの。このデジタル社会の中で、インターネットの通信販売に頼らず、口コミと代々ご贔屓のお客様からの注文のみで生産物のほとんどを売り切ってしまうという。

そこには代々引き継がれる、強靭な開拓精神とおもてなしの心があった。

みかんの生産過剰で、メインの生産物である温州みかんがなかなか売れなかった苦しい時期、4代目である野久保さんのお父さまとお母さまは、軽トラックにみかんを積み、需要のありそうな地域まで1日に何十キロも走って民家を回り、みかんの飛び込み販売を行った。地道な方法だったが、手塩にかけて育てたみかんの味はお客様のもとへ確かに届き、その後口コミで広がり、お客様がお客様を連れてきてくれる状況が今でも続いているという。こうして『十秋園』は独自の方法で、新たな顧客を獲得することに成功した。

こうしたお客様がずっと『十秋園』のファンでいてくれているのにも理由がある。注文の商品を届ける際には、必ずお手紙やお花を添えているのだ。箱を開けた際に広がる、柑橘と花の香り、そこに混じる田辺の空気と田辺の風景。まさに産地直送。そこには、スーパーでの買い物や大手通販サイトには真似できない、特別な体験がある。

しかし一方では、経営者としての視点を持ち、しっかりと未来も見据えている。みかんの木にも代替わりがあるように、お客様もまた代替わりしていく。おそらく自分の代でそのクロスポイントが訪れると感じ、今後は通販サイトも戦略的に活用していくという。

実は、2年ほど前に「ポケットマルシェ」という通販サイトで既に商品を販売できる状態にしてあるそうだ。しかし、現状では既存のお客様のみで商品が売り切れてしまうため通販サイトに載せる分の余剰がない。
「通信販売もやっていきたいのですが、口コミで広がっているご贔屓のお客様のおかげで、今のところネットに載せる商品在庫がありません。」と嬉しい悲鳴をこぼした。

十秋園のみかんと梅が通販で買えるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。


文:永井里沙 
写真:永井克(1, 6枚目)/内山慎也(3枚目, たなコト1期生)/野久保太一郎


▽野久保さんのインタビュー動画もぜひご覧ください!


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