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地方で働くということ ―田辺の愛され茶娘、なっちゃんが選んだ道

新卒で飛び込んだのは、お茶畑。ハワイ仕込みの波乗り型キャリア?

和歌山県田辺市、その中でも市街から離れた山の上、熊野本宮大社のある本宮町に、一人の若き茶娘がいる。“なっちゃん”と呼ばれ、皆に愛される倉谷夏美さん(なっちゃん)は現在25歳で、茶畑で働き始めて2年が経つ。もともと食に興味があり、大阪にある専門学校の管理栄養士学科で学んでいた。管理栄養士めがけて一直線と思いきや、卒業後になっちゃんが飛び込んだのは、お茶畑だった。

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なっちゃんが現在仕事をするお茶畑。祖父母が自らの手で開拓した土地だという。

転機は専門学校在学中のハワイホームステイ。海外に興味を持ち始めたなっちゃんに、知人がハワイにいる日本人を紹介してくれたのだ。日本にいたときは「管理栄養士になれなければ自分は終わりだ」とまで考えていたというが、ここでの経験が世界を広げた。「そうでもないかもな」と思えるようになったという。

さらに大きな転機は、茶畑をやっていたおじいちゃんが急逝したこと。お茶畑が売りに出されてしまうかもしれないということを、Facebookに英語で投稿すると、ホームステイ先のホストマザーからエールが届いた。「あなたが継げばいいんじゃない?」

人生の先輩として信頼していた人からの一言は、心強かった。後ろにハワイのみんながついていると思うと、困ってもなんとかやっていけるんじゃないかと勇気が出た。

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「自分大好きみたいな感じになってますけど、違うんです(笑)」となっちゃん。事業名の『Natsumi Chatsumi』も、商品名の「なっ茶」も、ハワイの友人がつけてくれた名前だ。

完璧じゃなくても大丈夫。

ハワイのホストマザーに背中を押され、きっかけをものにして茶畑での仕事を始めたものの、すべてが順調にはいかず、まだまだ自立できているとは言えないそうだ。

しかしなっちゃんの言葉の端々からは、未来への希望があふれていた。
「ハーブ園を作りたい」「農家民宿をしたい」
「ゆくゆくは~って話ばっかりですね」
今は難しい状況かもしれないけど、それでも前を向き続けることができているのには、多くの人の支えと、それを惹きつけるなっちゃんの”愛され力”がある。

お茶畑での仕事を始めて参加するようになった生産者の総会で、若者はなっちゃんくらい。それでも、「おじいちゃんの後を継いでやっていくんです!」と声に出すと、熱心に教えてくれる人がたくさん現れた。若者は希少な存在だからこそ、喜ばれ、大切にされる。心を開けば、助けてくれる人たちがたくさんいるのだ。

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お茶作りをすべて一人で行っていくことは難しい。作業を手伝ってくれるボランティアの人々の力も加わり「なっ茶」は生まれる。

お茶生産者以外でも、地域にあるつながりは頼もしい。
後にバイトをすることになった近所の洋食店『くまのこ食堂』、ボランティアでお茶畑の手伝いに来てくれたスイーツ店『choux』、祖父母の代から付き合いのあるおじさんが始めた古本屋・カフェ『Kumano森のふくろう文庫』では、なっちゃんのお茶をお店に置いてくれるようになった。「地方は人が少ないけれど、だからこその強いつながりがあって、それに助けられている」となっちゃんは語る。

なっちゃんの応援団は地元だけにとどまらない。一昨年に募集を始めたボランティアには、2年目にして早速、県外からも応募があった。残念ながら新型コロナウイルス感染症拡大の影響によって、県外から受け入れることはできなかったが、それでも「コロナが落ち着いたら絶対行きます!」という声や、SNSの更新に毎回してくれる「いいね!」からは、直接会えなくても励ましをもらった。

たとえ一人では完璧でなくても、幅広い人々の助けを借りて「なっ茶」は作られる。それを可能にしているものは、どんな縁にも感謝し、味方につけるなっちゃんの"愛され力"だ。「善意を無駄にしないようにお茶づくりに励んでいきたい」と、助けられた恩をエネルギーに変えて挑戦し続ける。

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『くまのこ食堂』の少名子遼太さん(写真左上)、スイーツ店『choux』の矢倉実咲さん(右奥)など、地域で挑戦する若者同士のつながりもある。

助けられているだけじゃなかった―支え合いが生んだ新たなきっかけ

多くの人の支えで日々奮闘するなっちゃん。
しかし、助けられているようでいて、そこで生まれたつながりは助けてくれた人たちにも新たなきっかけを与えていた。
 
パティシエの矢倉実咲さんは、なっちゃんを支える頼もしい仲間の一人。
現在、本宮町でスイーツ店を営んでいる彼女だが、もともと本宮でお店を開くつもりはなかったという。
そのきっかけとなったのが、なっちゃんだ。

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矢倉さんのスイーツ店『choux (シュー)』。なっちゃんとのコラボで「なっ茶シュークリーム」も販売した。

田辺市の隣・白浜町出身の矢倉さんは、東京で修行した後、白浜のホテルでパティシエとして働いていた。その後、フランスでのワーキングホリデーを計画し、次の仕事への申請をしている間に、ボランティアでなっちゃんのお茶畑を手伝いに来た。

しかし、申請はおりず、同じく本宮町にある『くまのこ食堂』でアルバイトをすることに。その間ずっと本宮町に住み込んでいた矢倉さんは結局、この地でスイーツ店を開くことになった。

「ボランティアを呼ぶという私の活動によって、この土地に縁してくれる人が増える可能性があるんだなと、強く感じた出来事でした。」

自身も支えられた経験から、つながりの力を強く感じたというなっちゃん。
ハーブ園や農家民宿など、今度は新たなつながりをつくっていく側としての活動も始めようとしている。

文:久世哲郎
写真:永井 克(3, 5枚目)、倉谷夏美(1, 2, 4, 6枚目)



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