少女(吉本リィア)

この記事は推しを語るアドベントっぽいカレンダー2日目の記事になります。執筆者は吉本リィアさんです。

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漠然とした「理想」

 私が推しを語るうえで、私自身の育ちや思考を語っておかなければならない。どうか嫌味と思わず読んでいただきたいと思う。

 私は物心ついた頃から「かわいい」と言われていた。しかし私の思いは違っていた。人見知りな性格で表情のあまり変わらない子どもだった私は、大人たちが「不愛想」「せっかくかわいいのに残念」などと言っているのを何度も耳にしたことがあり、幼いながらにコンプレックスとなっていた。

 そんなコンプレックスを加速させていった原因の一つに姉の存在がある。姉とは10歳以上の年の差があり、私とは正反対の性格だった。良く笑い、いつも元気でハキハキとして運動もできた。天真爛漫な性格の姉は容姿も良くメイクや香水もいろいろな物を持ち、服装もオシャレだった。

 小さい頃の私にとって、姉は憧れでありコンプレックスの原因でもあった。姉はいつも良い匂いで、私に「汗臭い」と指摘をした。私は幼いながらに、女子は“良い匂いでなければならないのだ”と思った。そういう小さなことの積み重ねは、少女マンガを読むようになったり、テレビで女優さん、モデルさんを見るようになったりすることでさらに増えていった。

 “いつもかわいいのが当たり前”や“髪の毛はさらさらなのが当たり前”など、自分で作った“当たり前”に縛られ、どんどん劣等感に支配されていった。

 それでも自分の容姿は気に入っていた。ただ、うまく笑えないことや寝起きの髪のぼさぼささえ私は許せなかった。いつの日からか、周りの人がかわいいと言っているのは身なりを整えた自分だと思うようになり、周りが自分に抱くであろう理想を私自身に求めるようになっていった。

 その結果、家の中でも理想を求めるようになっていった。1日家にいる日の私は、部屋着のままメイクもせず髪も整えない日が多いが、それが許せないのではなく“部屋着もかわいくなければならない” “すっぴんが美しくないとダメだ” “セットをしなくても髪はさらさらでなければならない”と、自分に厳しくなっていき、それができない自分を好きになることができなかった。

 一方で、身なりを整えた自分の容姿は好きだった。だからこそ、ちゃんとしたら好きな自分でいられるのにそれが24時間保てない自分に苛立ち、受け入れることが出来ず、人に「かわいい」と言われてもどこかに喜びきれない自分がいた。

 そんな漠然とした理想に囚われ、自分でもどうして良いのか分からなくなっていたとき、私は1本のアニメと出会った。

「美しい」出会い

 今までに見たアニメの中に「絶園のテンペスト」というものがある。シェイクスピアの「テンペスト」の要素が含まれた構成になっており、挿入歌にもベートーベンのソナタ「テンペスト」第3楽章が使用されているのが印象的だった。

 ベートーベンの「テンペスト」第3楽章を聴いたことがあるだろうか。激しく力強いかと思えば弱々しさを覗かせ、繊細でどこか儚さも感じさせる。これがこの曲への私の印象だ。嵐のように表情をコロコロと変え飽きることがない、心の深いところに響く曲だ。

 私はこの曲の印象に当てはまる少女を追い求めていたのだと「絶園のテンペスト」を観て思った。このアニメに登場する少女、不破愛花こそ私の少女像だった。この少女との出会いで私の少女像が完成した。それほど不破愛花の存在は私に大きく影響を与えた。

 不破愛花は、強かさのあるミステリアスな雰囲気の華奢な少女だった。肌は白く手足は長い、ベージュの髪は艶やかに輝くストレートのロング、大人っぽい印象に綺麗に切り揃えられた前髪が少しの幼さを覗かせる。あまり大きく動かない表情も相まって、人間味のない美しさを感じた。

 作品の中で不破愛花はセーラー服を着ており、中学生という設定だった。現実の中学生よりかなり大人びた容姿だったがそれがまた良かった。シェイクスピアの「ハムレット」や「テンペスト」を引用したセリフも多く、知的な印象も魅力的だ。またずっとフルネームで記している“不破愛花”という名前も綺麗な響きだ。

 とにかく私の中で不破愛花こそが死に方まで含めて美しく完璧なのだ。そしてこの少女の死に方が私の脳裏に焼き付いてずっと離れないものだった。

 不破愛花の家はお屋敷と言える大きさで、何部屋もあるだろう内のひと部屋で彼女は死んでいた。白く広い部屋には柔らかい光が満ち、部屋の真ん中にぽつりと置かれた椅子。その椅子に横向きに座り、背もたれにかけた腕に頬をのせて彼女は眠るように安らかな表情で死んでいたのだ。白い服には血が滲み、床にも大量の血が流れていた。現実でこんな光景を見たら悲惨な殺人現場に過ぎないが、アニメだからこそ美しく描くことができたのだと思う。この死の真相は物語が進んでいくにつれて明らかとなり自殺だったことが判明するのだが、簡潔に言うと大切な人たちがこれからも生きていける世界を残すために自ら命を絶ったのだ。映像の演出もあって、私はこの光景に魅了された。

切り取った「無機質」な世界

 不破愛花の死が、もしアニメではなく現実に目の前で起きたことだったら、私はきっと美しいとは思わなかったと思う。それを美しいと思わせたのは、アニメだったからだ。

 アニメではなかったとしても、美しく創ろうとしてできた映像や写真は現実感が薄れる。

 私は、そんな現実感を薄れさせてくれる映像や写真を通して、自分に不破愛花のような無機質な美しさを求めていけばいいんじゃないかと考えるようになった。

 そうして今、私はポートレートムービーを撮る活動を始めた。風景や建築物に合う衣装を着て、メイクをして撮影をし、完成した映像は音楽の力も合わさり、どこか現実感のない美しい部分だけを切り取った世界となる。まさに私が求めていたものだった。

 現実で求める自分像を創れる場所があると知った今、私は現実の自分も前よりは少し好きになれたように思う。そう思えるようになったのは、やはり不破愛花との出会いがきっかけであり、今もこれからも不破愛花の美しさを私は目指していきたい。

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