インドの生活と自己実現

インドの山奥に住む友達は、日本に帰ってくると「なんでもあるのに満たされない」ことに心底疲れていきます。ですが、電気もままならず冬の寒さに耐えられないので、冬の間だけ日本で過ごしています。彼女が体調の悪いときに、「栄養をつけるためにマーケットで丸鶏を買って捌いて食べた」と聞いたときは驚きました。日本は「なんでもあるから、何にもないんだよ」と、私はその友だちによく言います。だからこそ心底楽しいことをしなければいけないんだ、と。

マズローの提唱する自己実現には段階があり、まずは「生理的欲求」が満たされ、次に「安全欲求」が満たされ、それから「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」と続きます。生きていくための安心安全が満たされてはじめて、社会に認められたい、他者に認められたいと思うことができるということです。インドの生活は安心安全が日本のように確保されていないので、この二つの欲求を満たすために生きることで、生きている実感を持つことができます。

どちらが良い悪いという話ではなく、恵まれすぎているから不安定な生活をすべきだというわけでもなく、安心安全の先に人の可能性はあるということです。なんでもあるところで創造行為なんて存在するの?という難題に取り組むことができます。役に立たないこと、実用性のないもの、社会の外に、本質と創造行為があります。一生懸命に断捨離をして、してもしてもまだまだ捨てるものがある生き方に疲れたら、インドに行ったらいいかもしれません。癖とこだわりから解放されることは、インドの生活のように安心安全から解放されることで、そこからまた新たに自分を創造することになります。

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