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12吊られた男(2020年10月19日)

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今日は大アルカナの12吊られた男。

今日のサビアンシンボルは、天秤座27度「頭上を飛んでいる飛行機」です。26度の鷹と鳩は飛行機になり、上空を意志と目的を持って飛びます。地に足をつけず上空から全体を見渡すと、一つ上の次元から物事を見通すことになります。

惑星意識では目の前の出来事に自己同一化し、自分しか見ることができず、できることにも理解できることにも限界がありますが、一つ上の惑星を統合化した全惑星意識は、部分に囚われることがないので、詳細は分からないけれど、意味や本質を見通すことができます。

リーディングをしていると、つい個人の詳細に下りてしまうことがあって、それは共感と呼ぶものですが、それをすると驚くほど疲れます。詳細を見ることはあっても、下りることは普段ないのですが、下りてすぐに戻っても、後遺症のようなものが残ります。これは数日続きます。

そんなわけで絶不調な日々を過ごしていて、サロン参加者さんが月のステーションで見た私は畳にうずくまり、だけどお守りなどいろいろあげているという笑。私の夢でも、やりすぎ関わりすぎと散々言われていたのでね。

誰でも高次な部分から低次な部分まですべてを持っているので、そんな絶不調なレベルと高次なレベルとが共存しています。絶不調であるが故に、高次な夢と個人的レベルの夢の違いがはっきりとわかります。新月の夢では、冥王星の影響が首に巻きつき入り込んできて、おもしろいのが、蛇という文字「巳」と冥王星の記号「♇」が重なり、蛇が首に巻きつく印象でした。この印象は高次なものです。一晩に何層もの体験をしているということです。

興味を持つとうっかり下りてしまうのは、ヘルメス文書の「水の中に人間の甚だ美しい似姿の映像を見、地上にその影を見たからである。」というのに似て、世界に興味を持つと世界内存在になっていることの縮小版です。単に共鳴する部分があり、引きずられる点が私にあったということで、落ち度でしかないのですが。

27という数字は、9の「目を瞑り自己に導かれ旅をする」こと、18の「恒星の元型に相応しい型をエーテル体から探し出す」こと、その両面を持ちます。9は10という時間と空間のある世界を探索し、18は時間と空間の存在しないエーテル体を探索します。すると27ではエーテル体と物質体が繋がりを取り戻した状態で、つまり本質と環境や生き方が合致し、より高度に発展させるため集中力と向上心を発揮します。

天秤座は上空を飛び、それは意識レベルの向上そのものであり、地上に下りないための集中力と向上心を必要とするでしょう。同じ目線だから見えること、同じ目線では見えないことがあり、多くの人が同じ目線で見ることを好みますが、それは進化のない次元の話です。

恒星が自己分割して下りてくると、世界すべてが自己の欠片で、まるで身体の組織のように世界を内包します。下りることはできるのだから、上がらないように共感しあう必要はないということです。飛行機は撃ち落とされないように注意ということでしょう。

吊られた男は外界との繋がりを断ち、地上ではなく天上に足をつけています。地上原理ではなく恒星意識に従うのは、天秤座27度の飛行機も同じでしょう。全惑星意識が足場にするのは集合意識で地上ではありません。そこには恒星が型押しされ、恒星意識が宿っています。

吊られた男は横の繋がりで共感したり、図書館で情報を得ようとはしません。内側から張り巡らされるネットワーク網によってすべに繋がり、肉体は移動することなく、むしろ肉体感覚が停止することですべてに繋がります。外界からの刺激を遮断し、静かに深く集中すると、自分の考えとは到底思えないような発想に行きつきます。

このネットワークを使いこなすと、天秤座27度の飛行機は地上に下りることなく意図を打ち出すことができます。天秤座は外界に閉じていないので、思いが実現しやすいサインですが、後半の度数にもなると、わざわざ言葉にして誰かに打ち明けずとも、意図はネットワークに打ち込まれあっという間に広がるのでしょう。これは地上に下りていてはできないことです。

27について再考しますが、一桁上の2と一つ下の7の組み合わせでは、地上に張り付いて下から上に向かう7が、上位の2に従うと、上から下りてくる7に変化すると考えられます。それは天秤座27度の飛行機であり、吊られた男のように天上に足をつけた状態です。

吊られた男が引きずり降ろされないよう、巧みに外界をかわすには、腹筋を鍛えた方が良いかもしれません。チャクラで言うと下から三つ、ムラダーラ、スワディスタナ、マニプラの使い方が肝心でしょう。

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