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カップ9(2020年10月5日)

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今日は小アルカナのカップ9。

今日のサビアンシンボルは、天秤座13度「しゃぼん玉をふくらませている子供たち」です。

虹色に輝くしゃぼん玉は、地上に生まれ落ちる私たちのようです。息を吹き込み膨らませ、生まれては消えていくしゃぼん玉は、生まれ変わりの多彩さのように見えます。あっという間に終わる人生は、様々な時間と空間で、様々な色を見せます。しゃぼん玉である私たちは、世界が虹色に彩られているように見えるわけです。

高次な存在から見ると私たちは、肉体の形は見えず幾何学模様や彩に見えます。しゃぼん玉を凍らせると結晶化して幾何学模様の球体になりますが、そんな感じです。

私たちの世界は宇宙の縮図で相似しています。恒星が、しゃぼん玉を膨らませるように私たちの人生を作り出し、私たちもまた同じように人生を多彩にしていきます。生まれては消える思いつきは、天秤座13度では形にならないことが大切なのかもしれません。形骸化し物質化すると、そこで一旦終了です。

ひとつのテーマをたくさんの言葉や色にすることは、風の元素の分化であり、恒星が自己分割して下りてくることも同じです。しゃぼん玉に息を吹き込むことは自己分割です。

13という数字はカリスマ性があり、環境に淘汰されることがありません。生まれては消えていくアイデアは、どんな具体的な条件や周囲の意見にも押しつぶされることはありません。むしろ時間が経てば消えてなくなることが天秤座13度の特徴です。何も成し遂げることができない、私たちの人生のようです。

地上的なことに夢中になると、しゃぼん玉は硬い石となって地上にとどまるかもしれません。ふわふわと浮かび、風に乗っていつか消える方が身軽です。

感情体は、高次なものから低次なものまで虹のように階層になっています。高次なものは恒星にたどり着きますが、低次なものは身近な人などへの憎しみや嫉妬心です。私たちは、恒星意識から憎しみまですべてを持ちます。そのどの階層が強調されるかによって、その人の意識状態が決まります。低次な部分が太り、低次な感情に囚われるのなら、恒星まで飛べそうにありません。

カップ9は身軽な感情体を表します。9はどこにも着地せず、なにも掴みません。着地せず掴まないことを旅と言います。心が何かに反応して足を止めるなら、どこにも行くことはできません。自由に歩いているつもりが、興味や好奇心に振り回されていたり、恒星に辿り着いているつもりが、家の中をうろうろしているに過ぎないこともあります。

カップ9は地上に捕まらないしゃぼん玉のようなものです。低い感情に囚われれば、アイデアも思いつきも多彩に広がることはありません。軽ければ軽いほど次から次へと思いつき、恒星意識をそのままアイデアにするでしょう。

恒星に行くとき、肯定的に捉えがちな愛情ですら重りになります。地上にいる理由が一つでもあるのなら、恒星に帰れないと考えてもよいわけです。毎晩すべての思いを箱にしまう練習をするのがよいです。ぷかぷか浮いてくる心配事や誰かへの思いを、浮かんできては箱に入れ、浮かんできては箱に入れを繰り返し、慣れてくると一瞬にして軽くなることを感じれるはずです。

しゃぼん玉のように何にも捕まらず、自由に軽やかに生きるのがよいです。人生は虹色に輝き、時間の経過とともに肉体は終わり、いずれ永遠の自己に戻ります。そのためにも地上に捕まらない軽さが大切でしょう。

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