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2女教皇(2020年2月6日)

今日は大アルカナの2女教皇。

2の数字は陰陽の図のように、他方が動けばその動きに合わせてもう一方も自動的に動き、選択することはできません。
自動性に任せるとは、意識化することができない癖のような資質や、遺伝的な過去の蓄積によって無自覚に生じるものです。

自分の本性に従って生きることは、自由に生きていると感じるものです。
だけど無自覚な自分らしさの中で生きるということは、ある意味呪縛でもあります。
2の数字は天と地という解放と凝固の対比を表しますが、地という凝固されたもの、つまり自分らしさの中では解放されることはありません。
しかし天という向かうべき方向があり、つまりは自分自身の中に無限の可能性があるということです。

前提として持ち合わせた、恩恵のような資質は女教皇が表すものです。
女教皇は、アカシックレコードのような、その人の物語が書かれた書物を持ち、今必要な部分、相応しい部分だけを読むことが許されています。
自分らしく生きることは、可能性の宝庫から自分らしさを探し出すことかもしれません。
それを積み重ねることで、物語は解読され解放されていきます。

今日のサビアンシンボルは、水瓶座17度「ガードをしている番犬」です。
16度で理想の実現のため自己中心的な推進力を発揮しましたが、これは個人のテリトリーを侵害します。
そして17度では個人のテリトリーを守ることがテーマになります。
16度でビジネスマンが侵害したのは他者なのか、あるいは自分自身の限界なのか。
どちらにしても境界線を越えることの危険性に、番犬が吠えだしたということです。

女教皇が表すような、本性に従うという真っすぐな立ち位置が、左右に大きく揺さぶられることで、強い生産性や推進力が生まれます。
限界を超えるような揺さぶりが16度で起こり、17度では女教皇の表す本性に立ち返るということでしょう。

真っすぐな道を歩くだけでは気づかないような、道草をしてはじめて自分自身の可能性が多彩に開くような変化が、16度17度で起こります。
ただ「これ以上道草したら戻れないぞ」と番犬は吠えだすということです。

16度でペンタクルスの4、17度で2女教皇。
どちらも偶数であり、また土の元素に関わり、資質に関係します。
限界を超えるにしても、自分らしさを解放するという点が強調されているでしょう。
水瓶座は普遍性に生きますが、16度で獅子座の自己中心性が侵入することによって、山羊座的環境依存から脱したあと、真に自分らしさを取り戻したのかもしれません。

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