42才のアキラは、どの地点が自分の西暦ゼロ年だったのだろうとよく思う。やはり、娘を産んだ14年前か。

それとも、毎日が苦しかった14才の頃か。

ほんとうに14才の頃は苦しかった。私はほんとうに孤独だった。孤独、という言葉も知らなかった。

この、なんとなくさまよう感じ、なんとなく誰にも頼れない感じ、なんとなく誰にもこんな感じを言ってもわかってくれない感じのことを、

孤独、

というのだとは、大学生になってから知った。そんなこと、誰も教えてくれない。

けれども、その苦しい感じはどこかに分水嶺があった。

その峰の地中には、たぶん冷たい水が流れていた。それは水脈か、水流か、どっちでもよかったが、最近になるまでアキラはそこに流れる黒くて太い流れがいちばん怖かった。

けれどもいつの頃からだろう、たぶん娘がカネや服のことばかり言うようになったここ数年かな、その太くて黒い流れが怖くなくなってきた。

その水流は、私にとって貴重なものである。その黒い流れに逆らうことなどたぶんできない。

 ※※※

不思議なのは、その黒い流れが、誰にとっても普遍的だということだ。私はそれが最近になってやっとわかった。

夫も娘も、私が生きている間はずっとつきまとってくる。そんな覚悟を少し前に決めた時、水脈が怖くなくなった。

その水流は、私を平凡にするものではなくなった。

その水流は、逆に私をスターにするものでもなくなった。

その大いなる流れは、多くの文学や宗教や哲学に頻出するように、私を単なるひとつの彗星にしてしまった。バァーっと流れ堕ちる、その鮮やかな彗星で私はよかった。

これは、娘のおかげだろうか。

 ※※※

BCとADの境目には死などあるわけなく、バァーっと流れる彗星がある。せいぜいあってそんな彗星程度で、歴史を変える大きな出来事などありはしない。

40才を過ぎて、それがやっとアキラにはわかった。蠢きつづける流れ、黒い流れ、その黒さの勢いに、アキラは14才の頃から負け続けてきた。

あるいは、その流れの奔流に吸い込まれても仕方ない人間なのだから、なんて、19才の頃には考えていた。いずれにしろその奔流はアキラにとって敵であり憧れだった。

でも、いつからだろう。そうした黒い流れを恐れることもなく憧れることもなく、帰結でもなく結論でもなく、そこに私は帰るにしろそこ以外にも私の居場所はきっとあるんだろう的、その奔流と水流とその根本の水脈をなかったことには決してできないと悟った。

だから私は、私だけの表現を探した。

だが、私は詩人ではないから、そんな表現、所詮しれていた。だから、もがくことなく、その水脈と奔流に自分を重ね合わせればよかったのだ。

 ※※※

水流の折り返し点には何があるのだろう。劇的な事件や誰かの死があるわけではない。また、その水流は、誰からも見える平野を流れているわけでもない。

けれども、光に時々包まれながらキラキラ光る折り返し点はどうやらあるようだ。

私は泣きながらその流れをやり過ごし、まずは、やっぱり娘を探す。娘は最初は4才くらいだが、すぐに赤ちゃんに戻り、小学2年生になり、何よりも鮮烈な中学2年生になる。

もちろん、夫も探す。夫は、私にとってどういう人かはまだわからない。それでもいい。その、結局は私と夫を救ってくれる水脈の流れに、私といちばん近い場所でただよう人は夫なのだ。そこに善悪の基準は必要なく、かといって娘ほど原初的でもなく、諦めという親密さとともにいる人、そんな人がいてもいいではないか。

アキラはいつの頃からか、14才の姿になっていた。それは、今の娘の年でもあった。

アキラはいつも、走ってばかりだった。誰も私のことをわかってくれない。だから、走った。そんなあの頃の焦りを、42才のアキラは思い出した。

鉱石のわずかな光は、

とアキラは思った。生まれたばかりの産声でもなく、時々泣いてしまう夫の涙でもなく、14才の私の疾走でもなく、19才の私のスイートさでもなく、今の、この今朝の(いま5:00)、ベランダの外に広がる光なのだ。その光こそが、娘と私の悲しみを包み込み、まあついでにいうと、夫の孤独も包むんだろうな。

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