その2本の線の間を塗りなさい

カナタが初めてブランコに乗ったのは3才の頃だったかしら、とアキラは思い出してみた。はしゃぎながらブランコに座るカナタを見てアキラは、その勢いで後ろに倒れて頭を打つのでは、とハラハラした。

だがカナタははしゃいではいるけれども慎重で、母のアキラがブランコに座るカナタの背中を押して初めて、それを前後に揺らし始めた。そのわりにはキャッキャッとはしゃぐので、アキラはその慎重な娘がやはり後ろに倒れるような気がしていた。

カナタは母からそうしたことを聞かされてももちろん覚えておらず、小学生の頃、鉄棒で逆上がりをして落ちそうになったことを思い出した。

足の蹴り上げで身体が上を向く勢いと同時に世界が反転していき、そして自分の帽子が落ちるのではないかとも気になり、カナタは鉄棒から手を離すところだった。回転速度が遅く逆上りできなかったため落ちることはなかったが、後頭部がうしろに引っ張られ、空がぐるっとまわり始めるあの感覚を今でも思い出せた。白い雲が絵の具のようになり、青い空が自分を覆うベールのように思えた。

そんなことを高校生になった頃、カナタは母に話した。それを聞きながら母のアキラは、カナタの3才のブランコの映像を思い出した。続いてアキラは、自分が高校時代、高校なのに運動場のはしっこにあったブランコに座り、放課後一人で過ごしたことを思い出していた。

運動場を挟んだ向こう側に校舎があり、その3階から吹奏楽部の音が聞こえていた。その教室の窓際にいつも誰かが立ってこちらをみているような気もしていた。

「誰かが見ていた気もしてたのよ」とアキラは言った。

「吹奏楽部の人? ママが好きだった人?」とカナタは聞いた。

「わたしはなかなか人を好きになれなくて」とアキラは娘を見つめた。「思春期の時というか、中学と高校時代」

「わたしも、あまりその感覚がわからない」とカナタ。「好きになる前に、まず嫌いになってばかり」

そうして笑う娘を見ながらアキラは、わたしは嫌いになるというよりは、いつも何かを探していたな、と思った。その探し癖は今でも続いており、アキラは油断すると河原に下りていってそこに生えている草の根っこを見つめたり、川底の石を睨みつけたりしていた。

そうして川底の石を睨みつけていると大学生の頃に行ったキャンプのことを思い出した。みんなでビールを飲みながら、浅くて透明な川の中を歩いた。アキラはいつも川の中を凝視し、流れに翻弄される石たちのことを想像した。夏なのに彼女はあまり夏空を見上げることはなかった。

飲み干した空き缶をかばんに入れ、アキラは川に手を入れて川底の石をごろりと転がしてみた。その、石がぐらついて回転する感じがアキラは好きだった。軽い石を持ち上げて、その裏を見てみた。だいたいは何も着いておらずただ黒いだけだった。その黒さにアキラは惹かれた。

 ※※※

アキラがその黒い石を思い出している時、娘のカナタは最後にジャングルジムで遊んだ記憶を取り戻そうとしていた。それはたぶん幼稚園の頃ではなく、もっともっと後のことだった。それは、中学に入ったあとだったかもしれない。

夏の夕方、みんなが帰ったあとカナタはひっそりと教室に戻ってきて自分の椅子に座り、教室を満たす透明な空気のようなものを感じていた。忘れ物をしたのかもしれない。教室に戻った理由は忘れてしまったが、10分ほど自分の席で彼女は過ごした。教室には夏らしい強い夕日が差し込んでおり、運動場を見ると、中学なのにそこにはジャングルジムがあった。

カナタはジャングルジムへと歩いていき、慎重に足をかけた。ブランコでもジャングルジムでも彼女は慎重に始めた。一つひとつ枠を登り、その大きな遊具の頂上に到達した。

さすがにそこで立つことはできなかったものの、遊具の上部の枠に腰をかけ、正面の校舎を見てみた。

校舎には強い夕日が差していた。カナタは目を細めて、その光の線のはじまりを確認しようとした。ジャングルジムを左手で持ち、右手を額にやって光の線のはじまりをたどろうとした。

光は珍しく線としてはっきり認識することができた。そのおおもとはもちろん太陽なので直視はできない。けれども夕方の太陽は目を焼くことはなく、チラ見するだけなら危険だけどできた。

「まぶしいなあ」と彼女はつぶやいた。「けれども、薄く輪郭はたどることができる」

たどることができる、とつぶやき、カナタは笑った。私はまた空を見てしまった。あろうことか今日は太陽を見ようとした。それは夕方の太陽ではあるが、見てはいけないものだ。目が焼かれてしまうし、その光のおおもとを見たとしても、わたしにはたぶんそのおおもと自体には関心がない。じゃあ、なぜわたしは太陽を見ようとするのだろう。

 ※※※

このように、母は川底の石を掘り返し、娘は夏の夕方の太陽を見つめようとする。たぶん、ふたりとも真実には関心はなかった。おそらくではあるが、自分にもあまり関心はなかった。他人にもそんなに関心があったわけではない。

だが、ふたりともいつも底と上を目指す。その目指し方はふたりとも不器用で、そういうところが親子なのかもしれない。

高校生になったカナタはそんな分析も少しできるようになっていたから、母親にこう聞いてみた。

「どうしておかあさんはいつも川の底や洞窟を目指すの?」

「あら」と母のアキラは答えた。「カナちゃんはどうしていつも空ばかり見上げているの?」

少し間が空いて、

「わからない」

とふたりは同時に言った。

それは、ドゥービー・ブラザーズのコーラスのように、ハイエイタス・カイヨーテのコーラス隊のように、スペインでの夏のジャズフェスで開場前にかかっているBGMのように、きれいに重なってつぶやいたのだった。

「そうやって、なにかを求め続けていることが、わたしたちをわたしたちにならしめているゆえんね」と、これは大人のアキラではなく、高校生のカナタが締めくくった。

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