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ゆるやかに菜食主体になっていこうと思った話

肉が好きだ。肉を焼くのも好きだ。熱くした鉄の上で、血と脂の匂いが香ばしく甘く変わってゆくのをかぎ分け、組織の縮んでいくのや、表面の焼き色を観察し、油の気泡の大きさに目を留め、指で押して、そういったあらゆるすべてで焼き具合を確かめる。すこし休ませてから包丁を入れると、目でもその断面のやわらかさ、なめらかさを感じ取れる。今すぐひときれ口にすべり込ませたくなる気持ちを抑えながら、思った通りに火が入っているのに喜ぶ。付け合わせと一緒に皿に盛って食卓へ運ぶ。口に入れると焼き固められた表面の歯触りが気持ちよく、噛めば繊維を断ち切る感覚と同時に肉汁が滲み出てくる。焼き締めた部分の塩けと香ばしさ、柔らかいままの肉の甘さがすべて一緒になって、とても旨い。

こんなに肉を愛しているけれども、ここ最近いろいろと思うところがあって、菜食主体の生活へと変わっていこうと考えています。今回はきっかけ編。追々勉強したことも書いていければいいな。

そもそも、菜食主義というものをたいして理解してもいないままに雑にネガティブな印象を持っていました。厳格だとか、痩せてるとか、なんか怖いとか、栄養失調なんじゃないかとか、あと、金銭に余裕のある人しかできないと思ってた。だってそうじゃないですか?ヴィーガン対応の食事って高いし。野菜だけでお腹一杯になるための調理の手間やかかる食費のことを考えると、途方もないな...よくできるよな...と思っていました。

Instagramでmaorimurotaさんという方をフォローしています。

いままでは、”パリ在住で、食関係の仕事をされていて、日々いい意味で肩の力の抜けたおいしそうなものを作っている人”という認識でした。数週間前、こちらの投稿を見てはじめて、この方がヴィーガンだと気づいたのでした。

卵を使わないマヨネーズレシピに絡めた投稿なのですが、noteだと文が出ないので、長いですが一部抜粋して転載します。

(前略)卵って当たり前なんですけど、鶏が産んでいるのですね。で、卵を産む鶏は、メスですが雄はどうなるのかというと卵を産まないのでヒヨコのうちに殺されます。殺され方は、生きたまま粉砕、袋の中に入れて窒息死、又はコンテイナーの中にザバザバと入れられて、自分達の重さで圧死などだそうです。一番「優しい」処分の仕方で、ガスで殺す。です。日本ではその殺され方さえされずジワジワと死んでいく圧死が多く、というかそもそもどう殺すか、の議論さえされないと言う。そして、更に卵を産む雌鶏はどういう環境で卵を産むか、と言うと狭い金網の中にぎゅうぎゅうに入れられて短い一生を終えるまで卵を産み続けるそれは更に又別の問題です。
と言う事実を知ると、あんまりそこまで卵いらないかなあと言う気になるのでこのマヨネーズは嬉しかった!
こういう話をするのは実は抵抗があって、と言うのも卵を食べる人に、え、それって食べてる私は人でなしって言いたの、、、?って居心地の悪い思いをさせてしまいそうで。
全然そんなこと思ってないです。つか私は食べませんが娘も旦那も食べるし。私自身出されりゃ食べますし家族にもリクエストがあれば出します。ただ自分が食べない理由をたまに話すのもいいかなぁと最近思うようになったのです。
こういう話って完璧に虫も殺さない人しか話しちゃいけない、みたいな雰囲気を感じる事があって偽善的と言われたりすると、うん、先ずは偽善的でいいじゃあないか。そこで話を強制終了して思考停止するよりと思うのです。
一人の完璧なヴィーガンよりも週1日はヴィーガンと言う人が百人いる方が、結果的に消費量は減ると思いませんか。そもそもこのテーマを話す時にもっと風通し良く何故話せないのか。肉が大好きな人も、野菜しか食べない人も、魚は食べる人も、卵だけは食べないって人も、鶏肉は食べるけどブロイラーは絶対食べないという人も、お互い自分がどうしてそのチョイスをしたかを話す事が出来て、お互いの選択をあなたはそうなのね、と認め合えればいいのにな、といつも思うんです。

その為には食べ物がどうやって生産されているか、の情報は共有できたらいい。
問題はその情報が余りに語られず現代の私達は食べ物がどうやって出来たか、を知らないで食べている事だと思うのです。知ってたら食べなかったよ!って言う食べ物も山程あると思うのです。
こんな事を考えながら時々ヴィーガンな日々を中途半端に私は送ってます。(後略)

勝手に太字にしちゃいましたが、なにか、ヴィーガンを選択した人たちに対する怖さを取っ払ってくれるような文章でした。厳格にヴィーガンでなくてもいいじゃん、どんなきっかけでも、偽善者だなんて言わないよ、みたいな。
それよりなにより身に染みたのが、自分が食べ物について、知らないことがある、ということに目を瞑って、さらに目を瞑っていること自体に目を瞑っている部分がある、というのを実感したことでした。ぞっとするよね。雄ひよこの死に方のことだって知らなかった。ぜんぶ食肉になるんだとおもってた。もちろん全てがそうではないとは思うので、追々勉強していこうと思っているところです。そして卵といわれたら、なんとなく鶏舎で走り回ってる鶏からうまれたものを想像して手に取ってた。ぎゅうぎゅうのケージだって見たことあったのに、実際にスーパーで卵を手に取る時は、そんなことパッケージにひとことも書いてないのに牧歌的な養鶏を勝手に思い浮かべてたわけです。脳よ。

この投稿を読んだ後、DEPTのeriさんのことを思い出しました。彼女も菜食を選択し、動物愛護や環境につよい関心を寄せている。

https://note.com/e_r_i_e_r_i/n/n1e3fc2b3db6a

というわけで、彼女がinstagramで推薦していた映画を二本みました。

感想です。9月のとこから引っ張ってきてます。

ゲームチェンジャー 肉食の環境負荷について、および菜食と健康の関係 というドキュメンタリーとして見た 菜食は健康上問題ないという主張はまだしも、菜食の方が肉食よりおおいに優る!と主張しているトピックについてはなんともヤバめの表現乱発で...あとそれをデータとして主張しちゃうのは理系初心者のわたしでもさすがにマユツバ〜と思っちゃう実験も多い あと男性機能を「男らしさ」と表現して、菜食でも男らしさは保てる!みたいな切り口があったんですが、データの取り方の雑さと、あとなによりその男らしさみたいなのを大前提とする世界をやめないとなんか根本的にダメなんじゃ...とドキドキした / Cowspiracy〜 一個前のを見てウーンなんかもっと多少冷静なやつ...と思って観た これを観てゆるやかに菜食になっていこう...と思ったのでそれはまた別に書きます スーパーで買える肉や卵や牛乳を前にして、それらの生前居た場所を思い浮かべる時、その想像した環境では、私たちが安く手に入れられるだけの量のものは生産できないのだ ということを改めて見せられて、それがすごく重かった ちゃんと想像してる側だから...ちゃんと感謝して食べてるから...と思ってた節があるなと自覚しました

書いてある通りちょっと疑問に思う描写も所々あるのですが...追加で本を何冊か読み、農水省とか畜産のページで現状を確認して、それで畜産および飼料のための農業がかなりのレベルで環境、人々、動物たちに多大な負荷を強いているものであると理解したし、それを知らないでいた自分を振り返ってあーあと思って、こんなふうに、こんなふうにというのは、工場式畜産によって作られている可能性のある食べ物を、ひとまず、自分の家でなにかを作って食べる時に選択しないようにしようと決めました。

というわけで、少しずつ勉強しながら、菜食主体、プラントベースと呼ばれるあり方をやっていこうと思っているところです。行動の指針としてはこんな感じ。

・自分1人での食事の時は、菜食主体
・卵を食べたくなったら、平飼い表記のあるものを買い、大切に食べる
・肉を食べたくなったら、少し高くても国内で人道的な育て方をされた動物の肉を買い、大切に食べる
・牛乳はいまのところ飲むのにも料理にも豆乳で代用可能なのでそれでいいかな
・海産物に対する勉強は追ってやる
・冷蔵庫や冷凍庫、保存食などで家にある動物性のものはもちろん大事に食べる
・友人や家族と食事をする際にヴィーガンを求めることはしない
・栄養失調にならないように勉強する
・絶対においしい菜食をやっていく

たとえばレストランに行ったら喜んでシェフの火入れした肉を食べるし、魚介だいすきだし、どうやってもプラスチックに頼る生活だし、でも別に偽善者だとかは思う必要なくて、やれるなと思うことから始めて、勉強するうちに選ぶものや方針が変わってもそれはそれと思っています。

とりあえずインターネットで大豆ミートを買ってみたんですが、それって矛盾してるよね、ウケるね。でもいいんだ。

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