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9年ものゆううつを経てようやく手に入れた当たり前の日常

10代最初の8月31日の気持ちは、ほとんど覚えていない。
8月31日だけじゃなく、10歳のときに何があったのか、1年間の記憶がほとんどないのだ。

社会人になったある日、実家に帰省して母とおしゃべりをしていたら、なぜか小学校のときの話になって、「4年生のときは、あんた、ほんとにつらかったね…」とぽつりと母が言った。

「え?、何のこと?」

と私が言うと母はおどろいて、

「あんた、覚えてないの?」

「何のことかくわしく聞かないと分かんないよ、なに?」

「いい、何でもない!、ごめんね、変なこと言って」

それ以上はどんなに聞いても、母はぜったいに続きを話そうとしなかった。ただ、5年生のときにはもうひどいいじめを受けていたのは覚えているから、いじめが始まったのが10歳なのかもしれないなって、ふと思った。

母に、「学校に行きたくない…」と始めて言ったのが4年生のときだったのかも。そして、思い出すのがつらい記憶を、私の心が封印したのかもしれない。

母の口ぶりが気になって気になって、一時はなんとかして思い出そうとしてみたけれど、そのうち、あの日の母の蒼白な顔のほうがむしろ気になるようになって、きっと思い出さない方がいいんだろうなって考えるようになった。

だから、小学校4年生のときの記憶はいまもほとんど戻っていない。

けれど、どうでもいい。
3年生まではすごく楽しかったって記憶もないし、小学校を卒業して、いじめから解放されたら毎日が楽しくなったわけでもない。

小学生のときも、中学生の時も、昼休みはどこにいればいいのか分からなくて、いつもひとりで図書室にいた。やっぱりいじめを受けていた別のクラスの子が、「図書室にいればいいよ」って教えてくれたのを、うっすらと覚えている。

そうやって6年間、昼休みは図書室に通い続けた。

高校生に進学すると、クラスに知っている子は一人もいなくて、ちょっとだけ心が軽くなった。

高校では給食が無いから、1学期くらいは自分の席でひとりでお弁当を食べていたけれど、そのうち「一緒に食べよう」って声を掛けてくれる子が出て来た。
断るのもどうかと思って、一緒にお弁当を食べるようになって、そのままみんなで昼休み中はおしゃべりをして過ごした。

でも、ホント言うと、ちっとも楽しくなかった。
おしゃべりをする子は決まっていたし、内容はちっとも面白くなくて、ひとりでお弁当を食べて、さっさと図書室に行きたかった。

だから、適当に言い訳して、お弁当を食べ終わったら図書室に行っていた時期もあったけれど、翌日、「お弁当に誘わないほうがいい?」って不安そうに声をかけてくれた子がいたから、その後は図書室通いをやめた。

なんでみんなで机を合わせて一緒にお弁当を食べないといけないのか、いまでも理解できない。社会人になった後もずっと、会社のお昼休みは死ぬほど嫌いだった。

そんな私でも、少しくらいは10代の楽しい思い出がある。

学級委員や生徒会の役を頼まれると、面倒を押し付けられているだけだと分かってはいたけれど、昼休みの時間をつぶすことができたし、みんなが面倒だと思っている仕事は、くだらないおしゃべりより楽しかった。

頭数を増やすためにサークルに誘われることもあって、誘いを断るのが苦手で、「毎日は顔を出せないけど、それでもいいならいいよ」って引き受けていたら、いつしかたくさんのサークルを掛け持ちしていた。

「今日は来れる?」と聞かれるたびに顔を出していたから、放課後の居場所がちょっとずつ増えて、居場所が増えると「楽しいこと」もちょっとずつ増えた。


今日は8月31日。

同じマンションに住んでいる小学生の子供たちが、奇声をあげて大はしゃぎしながらボール遊びを楽しんでいる。

あの子たちはまだ、8月31日の恐怖を感じたことがないんだろうな。もしかしたら、この先もずっと感じることはないのかもしれない。

8月31日の恐怖は、誰もが感じるわけじゃないってことは知っている。
明日が楽しみで仕方がない小学生も、きっとたくさんいる。
世の中は不公平だ。

10代になってから9年間、私にとって8月31日は恐怖しかなかった。あの恐怖と9年も向き合う必要があったのか、分からない。

死ぬほど逃げ出したかったけれど、行く場所なんてなかったし、学校を休み続けるなんて親がゆるしてくれなかった。ときどきは休んでいたけれど、休み続けて心配をかけたくもなかった。

10代最後の8月31日は、大学一年生でひとり暮らし。
何を考えていたかは覚えていない。でも、10代で唯一の、楽しい8月31日の夜だったんじゃないかな。

大学生になったら気の合う友人ができて、サークル仲間と過ごす時間は心から楽しかった。大学では、ずっと苦手だった机を合わせてみんなで一緒にお弁当を食べるお昼休みからも解放された。

生活はすごく貧乏だったけれど、毎日が充実していて、翌日が来るのが待ち遠しかった気さえする。


つらいときや苦しいときと違って、楽しいときは「楽しい」とか「自由だな」って感じない。それは当たり前の日常だから。

つらい9年を生き抜いたら、翌年いきなり、幸せな当たり前の日常がやってきた。できればもっとずっと早く来てほしかったけれど、その日が来るまで、生きることを続けていてよかった。

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