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ソーシャル・マジョリティ研究が面白いという話

みなさん、「ソーシャル・マジョリティ研究」って聞いたことありますか?

主に発達障害やコミュニケーションを扱う研究で、知り合いの方がお勧めしていたのをきっかけに、僕は最近はじめて知りました。

以下の書籍に詳しくまとめられています。

初めは仕事に活かせそうだと思って手に取ったのですが、これが仕事にとどまらず本当に面白い内容でして。職域によらず、色んな分野で活かせる知見が詰まった研究だなあと思ったのでシェアしてみます。


学ぼうと思った背景

僕はファシリティマネジメントという仕事を生業にしています。

ざっくりいうと、企業が保有・賃借している建物を経営視点でマネジメントすること。会計的な目線でいうと、人件費に次いで二番目に大きい間接経費であるファシリティコストを司る役割であるといわれます。

ファシリティマネジメントを推進することによって、以下のメリットがあります。

・企業にとっては、建物にかかるコストの適正化や今後の経営に寄り添った施設を構築できる  

・社員にとっては、暑い寒いをはじめとした職場で起きる日常の課題が解決されたり、楽しく健康的に働ける場が得られたりする

具体的には、今はLINE株式会社のファシリティマネジメントチームで既存オフィスの運営や、新しいオフィスを作る際の不動産契約や与件整理・設計〜工事完了までのプロジェクトマネジメントなどをしています。

事業会社でファシリティマネジメントをするなかで、視座の高い課題として「これからのオフィスって、どう在るべきなんだろう?」ということを常に考えさせられます。

オフィスづくりにおいてワークライフバランスという考え方は古く、ワークライフインテグレーションと呼ばれる考え方が広がり始めている昨今。オフィスは仕事だけでなく、もはやセックス以外の生活行為を受け入れる器になりつつあります。

オフィスで生活するユーザーの行為や特性が多様化することで、オフィス設計の考え方や作法も変わります。言語化が難しいのですが、当たり前に行われるユーザーの行動と、設計時には予想も出来なかった行動をつなぐ思想が必要だと感じます。

多数派と少数派との間の壁を少しずつ取り除くような…

ソーシャル・マジョリティ研究とは

多数派と少数派について考えるときに、発達障害とコミュニケーションを扱う「ソーシャル・マジョリティ研究」の知見が役立つんじゃないかと思っています。

この研究は、発達障害をもつ方を少数派、いわゆる健常者を多数派と定義したうえで、2つのアプローチで進められます。

①少数派の方たちが当事者として自分の症状や悩みを言語化し合い、発達障害を個人で解決できる範囲と、社会が解決すべき範囲の2段階に分ける

②多数派が当たり前に行なっている行動の背景やプロセスを紐解いて言語化することで、少数派と多数派とのコミュニケーションの壁をなくす

①の詳細とメリットは…
例えば足が動かないという「身体障害」であれば、車椅子に乗るという個人で解決できる範囲と、建物にスロープを設けるという社会が解決するべき範囲の棲み分けが分かりやすいので、障害という課題の解決方法を検討しやすいです。

一方、「発達障害」は症状やレベル、個人が抱える悩みが複雑であるため、解決方法が個人/社会の2段階に分けづらく、根本的な解決につながらないことが少なくありません。

ソーシャル・マジョリティ研究では、発達障害の当事者が困っていることを具体的に言語化することで、課題解決の方法を探ります。

②の詳細とメリットは…
発達障害を持たない多数派の暗黙知を言語化することで、少数派との違いが見える化したり、少数派への理解や共感に繋がります(建築の設計で言うと、このあたりが活かされるはず) 。

具体的には、「人の会話を聞きとる仕組みってどうなっているの?」「場面にふさわしいやりとりのルールってどんなもの?」といった切り口で、多数派が当たり前に行っていることを分析して言語化します。

これによって、少数派の「普通の人ってこういう時どうしてるの?」という疑問に対して、「そんなの当たり前すぎて上手く説明できない」と多数派が答えられないといった少数派と多数派とのコミュニケーションの障害が、改善されるきっかけになります。

そうやってお互いを、少しでも理解し合える社会は幸せそうです。

なんでソーシャル・マジョリティ研究が色んな分野で活きるの?

研究では多数派と少数派の2つに分けて話が進められますが、実は多い"中立派"にとっても役立つんじゃないかと思っていて、むしろその観点が今後めちゃくちゃ求められるんじゃないかと思っています。

前に触れたように、今日の発達障害は症状やレベル、個人の悩みが多様化しすぎていて、正式に診断されているわけではないけど悩んでいる中立派が増えてきているなあと。

例えば、芸能人が発達障害っぽい特性の当事者であることを公言したり、それに共感する人が増えていたり。かくいう僕も、言葉の背景を理解しきるのに難しさを感じることがあったり、冗談を冗談として受け取りにくかったり、予想されるリスクに対して過剰に防衛反応が働くといった特性と共に生きています。

病名は与えられてないけど、けっこう悩んで、それらの特性を活かせるように仕事や家庭での行動や環境を考えています。

数値化されていないけど、実は多い中立派。

そういった中立派にとって、少数派と多数派との間に生じるコミュニケーションの壁を取り払おうとするソーシャル・マジョリティ研究は、自分の特性と向き合いながら生きていく良いきっかけになりそうです。

また、社会自体が複雑化していく今後、多数派/中立派/少数派の境界がさらに曖昧になっていくことも大いに考えられることから、何かしらサービスを提供したり、プロダクトを開発したり、広く社会を変えようとする方にとって幅広く活かされる研究だと思いました。

わかりあうことを諦めないために

僕の大好きな一冊、平田オリザさんの『わかりあえないことから』に次のような言葉があります。

わかりあえないというところから歩きだそう。湿潤で美しい島国で育った私たちには、それを受け入れることは、つらく寂しいことかもしれない。「柿くへば」を説明することは、とても虚しいことかもしれない。しかし、おそらく、そこから出発する以外に、私たちの進む道はない。

社会全体で、多様化という言葉が叫ばれて久しい今、グローバル文脈以外においても異文化を理解するスキルが問われています。

言葉を抜きにしてお互いの気持ちを察し合うような日本人の奥ゆかしさだけで、異文化を理解し合うことはできません。

「自分以外の他者とは、わかりあえない」という前提から関係性を築く、相手に共感して貢献する、楽しく共生できる社会を創る。

そのような志をもつ人にとって『ソーシャル・マジョリティ研究』は、たくさんの気づきがある一冊かもしれません。気になる方は是非、手に取ってみてください。


いただいたサポートでボールペンの替え芯などを買いたいと思います。ここまで読んでいただき、どうもありがとうございました。