見出し画像

「映画かよ。」の解説かよ。 Ep55 パターソン|詩人は言葉を信じる

(写真は全て駒谷揚さんから提供)
 3シーズン目に入っている、駒谷揚制作・監督によるYouTube短編映画シリーズ、「映画かよ。」。Ep55「パターソン」が配信されている。

Ep55「パターソン」

映画オタクのミノル(伊藤武雄)は、ジム・ジャームッシュ監督の映画、「パターソン」の主人公、パターソンに影響され、詩を作り始める。ところが、一つもまともに完成させられないミノルは、映画オタク仲間の亜美(森衣里)のアドバイスで、詩作教室に通うことに。そこで出会った浅尾(石山将隆)という青年と親しくなって、一緒に詩を作り始める。次から次へと詩を作る浅尾だが、どれも、「パターソン」に出てくる詩の盗作まがいのものばかり。そのことをミノルが指摘すると、言いがかりだと浅尾はブチ切れる。ミノルはその姿をみて、彼が過去に遭遇したチンピラであることを思い出す。浅尾もミノルのことを思い出し、つかみかかるが、自分は詩人になったので、暴力ではなく、言葉で訴えるというのだが…。

鑑賞後、無意識のうちに俳優の表情や歩き方、口癖をまねしているということは、誰でも経験はあるだろう。ただ、映画オタクの場合、はまり具合がかなりしつこくて、周囲からうざがられることも多い。映画というものが、自分の知らない世界、カルチャーを学ぶものであると考えるのならば、擬似体験というか、勘違いというか、そうした成り切りを通しても、なにかしら学ぶものがあるはずだと自分の奇行も含めて弁護しておこう。

確かに、「パターソン」のアダム・ドライバーはまねしたくなる。佇まい、歩き方、話し方は、地味で、朴訥としていて、饒舌でもなく、どこにでもいそうだと思わされる。「観客が自分を投影しやすい普通の人」をリアリティを持って演じられる役者は、いつの時代にも必要とされるが、実はどこにでもいるわけではない。「マリッジストーリー」「ブラッククランズマン」、そして「パターソン」もしかりだが、ドライバーの演技力の高かさは、数々の賞にノミネートされていることからも分かるだろう。ドライバーというと、どうしても「スターウォーズ」でのミスター中二病、カイロ・レンを思い浮かべてしまうが、あれは例外だといえる。

「映画かよ。」では、表面的に詩人のように振る舞うミノルに対して、浅尾は粗野なチンピラの一面を残しつつ、あまりにもパターソン化して、「暴力よりも言葉の力を信じてるからな」と詩人の自覚すらも芽生えている。その言葉にリアリティを感じさせる浅尾を演じる石山の演技力の高さに感心した。また、どこか主体性を持たず、周囲の人や物事にゆらゆらと流されて生きているようなパターソンのキャラクター自体も石山がうまく表現している。

「映画かよ。」の楽しみ方のひとつは、いい役者を見つけることである。ゲスト的に登場する役者たちのうまさもそうなのだが、それを光らせるミノル役の伊藤武雄、亜美役の森衣里の存在もやはり欠かせないと思わされる回だった。

「映画かよ。」のリファレンス

【「映画かよ。」公式YouTubeサイト

「映画かよ。」ウィキペディア

【「映画かよ。」note】

駒谷監督はこんな人↓

駒谷揚監督インタビュー(Danro)

「映画かよ。」に関するレビュー↓

トリッチさんによる
カナリアクロニクル」でのレビュー

Hasecchoさんによる
「映画かよ。批評家Hasecchoが斬る。」
YouTube「映画かよ。」のコミュニティーページで展開

おりょうSNKさんによる
ポッドキャスト「旦那さんとお前さん」


よろしければ、サポートをお願いいたします。こちらは活動費に当てさせていただきます。