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「大人の絵本の作り方」

終演の御礼申し上げます

脚本・演出を担当した、一茶企画オリジナルミュージカル「大人の絵本の作り方」(於ウッディシアター中目黒)の千秋楽から1ヶ月が経過しました(時間の流れ、早すぎます)。

お陰様で、誰一人欠ける事無く合計8公演を終了し、その後も関係者・来場者の皆様に陽性反応の方はおらず、無事終了致しました。
この様な状況な中でも、無事に終えられた事は、ひとえに関係者の皆様はじめ、お客様一人一人の高い意識の上に成立した事だと思います。心より御礼申し上げます。

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紆余曲折四方山話

今回上演した「大人の絵本の作り方」ですが、そもそものプロトタイプは一茶企画が発足する前に完成しておりました(という様な四方山話が続きます)。
2019年の秋ごろ、僕がまだ出身の劇団に社員として務めていた頃、劇団の稽古場で小公演を出来ればいいよね、という話がフンワリと有り、その公演の為に着想したのが発端でした、
稽古場が川崎街道にほど近い、町工場の交じる地域にあったため、車の走行音や機械音等、外部の音がどうしても入ってくるので、そんな環境でも違和感のない舞台で、さらに当時の同僚に男女1名づつ、歌の達者な役者が居たので、歌メインで・・・それで再演したときにも違和感なく出来る様に多少今の年齢より老けた設定でーーーと考えていくうちに”国道沿いの長屋建築の元ラーメン屋の1階の土間”にて”アラサーの姉弟”が右往左往する話。という形になって行きました。
(・・・今回、コロナ対策の為に常時換気扉を開放しての上演でしたので、若干の外の音が入ってくる環境での上演でしたが、この「外の音が入ってきても違和感のない舞台」という設定に結果的に助けられました)

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歌の達者な2人、筑根昌平(中央)と小渡優菜(右)
今も仲良し(だと信じている)。


ちなみにですが、書き始めた当時から、弟の剛はコッソリ高橋伊久磨をイメージして書いていたので、今回の公演で本人に演じてもらう事になったのは、1ヶ月たった今でも不思議な感じ〜という印象です。人生って凄いですね。

その後コロナで公演が延期になり、そして僕が劇団を退職し事実上のお蔵入りになりかけたのですが、旧友の高橋伊久磨の舞台を手伝う事がキッカケで一茶企画のメンバーに、目立たいない方の副代表として参加する事になりました(人生って凄いですね)。
そして10名で新たにスタートを切った一茶企画の、オリジナルミュージカルの第二弾として、やっとこの「大人の絵本の作り方」は日の目を浴びる機会が出来た、という、今思い返すと中々に、紆余曲折がありましたが、書き始めた当時では全く想像もしなかった環境で、頼もしい仲間に囲まれて上演が出来たことは僥倖であります。

高橋伊久磨という男

思い返せば、この高橋伊久磨という男とは、随分付き合いが長く、
遡る事8年くらい前、二十歳前後の時分に中野の劇場で、自主制作のショーケースを一緒に作った事が始まりで(今思えば、この公演が僕の制作として初めて劇場で上演した作品でした)

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爆踊り伊久磨(右上)

伊久磨は当時、ニューヨークのステップス(有名なダンス学校)の留学から帰って来た直後のイケイケアツアツな状態で(頭がくるくるパーマだった事から、今でも僕の母には「モジャオ君」と呼ばれている(失礼すぎるだろ))、1部を僕の先輩が振付、2部を伊久磨が振付という形で携わっていました。

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当時は、まだ出ても居た(中央)、左側に伊久磨先生。

ちなみに、この公演で舞台監督をやってくれていた”あべし”という僕の親友(だと思っていた)とは、数年前に突然連絡が取れなくなり、そのまま無視され続けていること(補足すると、僕以外の取引先とも連絡が取れなくなっている状態です(本当です))や、
二十歳そこそこの男女が集まっての自主公演なので、ふと思い出すと「やっべ〜〜!」となる思い出が死ぬほどある等、香ばしい話は沢山あるのですが、大人なので割愛(いつか伊久磨とケンカしたら暴露するかもしれない)。
ともかく”こんな熱い男が居るのか!”と衝撃を受けた事だけは、いまでも鮮明に覚えています。

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当時の高橋・田中(若い)。
当時は通し映像のビデオを回す時に”変な顔で笑う”という謎の潮流が有った(ちなみに当時は容量の問題(?)で、LINEでは無くいちいち”写真袋”というアプリを使ってやりとりしていた(懐かしすぎ)。ちなみに写真袋は、その後法律に触れる写真の共有を助長したとかで摘発されて潰れたらしい(怖))


今回の「大人の絵本」では、お金やら性別やら、いろいろとモチーフの対比があるのですが、そのなかでも”動かざる者”涼子/”動き続ける者”剛、という対比があります(そんなに単純な話じゃないのですが・・・あくまでモチーフとしての話です)
この剛の”動き続ける”というイメージは、僕の中で明確に伊久磨のイメージとして存在していて、この厳しい世情でも声を上げて「やろう!」とみんなを先導して責任を持って進んでいる事は、常に尊敬しています。
・・・何が言いたいかというと、うちの代表はスゲーんだぞ、という事ではなくて(そういう事にしておけばよかった、という説も有る)、
土下座とか会社を潰すとか胡散臭いとか散々な役を”伊久磨のイメージで書きました”と言うとあらぬ誤解を招くかもしれないので、あくまでそれは副次的なもので(とはいえ伊久磨の土下座は見事だったし、胡散臭さは「コレコレ〜!」と思った)、肝要なのは、剛のイメージは僕の伊久磨さんに対するリスペクトから来ている、という言い訳をしたかったので、この場を借りて申し上げます。

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尊敬する高橋さん渾身の一枚


幸せだった40日間

作品について舞台の外で説明するのは、あまり好みでは無いので、本来であれば、あかりさんのズッコケ方がプロだとか芝居が良すぎるという話や、廣瀬さんとの遣り取りのおかげで自分の脳が感じる「チャラさ」の定義と条件について研究した事、尾川さんが美人すぎる(こんだけ美人だったら、涼子は、もうちょっと人生上手くいっていたのでは?)と一瞬悩んだ事や、”いい女”って何回も書いてゴメンナサイ(でも、いい女でございました)など、四方山話は山の様にございますが、割愛させて頂きます(シャイなので)。
とにかく実力の有る皆様と創作できた、稽古初日〜千秋楽までの40日間は、本当に幸せでございました。
愛想が尽きてなければ、ぜひまたお願い致します。

次にやるときは、飲みに行ける様になっている事を信じて・・・。


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お気に入りのシーン
(自分はある意味、進行係を出したいから作品を作っているのじゃないか、と思う節もあったりします、そのくらい好きです、進行係。)

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