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ポジティブな感情はゴミ!?「頭のゴミ」掃除で「クリアな頭で生きる方法」

「ある条件に合致してしまうとプラスの感情もゴミである。」と断言します。その条件とは、「楽しい」「嬉しい」「幸せ」といった感情そのものを目的にすること。そうした途端に一見ポジティブな感情もゴミになるのです。

上記の文は、認知科学者/カーネギーメロン大学博士の苫米地英人氏の著書:「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!
という著書の引用です。一瞬、目を疑ってしまうような一文ですが、自分の頭をクリアにして、自分の成し遂げたい目的を達成するには邪魔になることがあるそうです。

ぜひ、興味深い内容でみなさんにも読んでいただきたいので、著書を引用しながら紹介していきます。

例えば、おしゃれが好きな人にとって、服を買うことは楽しみであり、その人にとっての幸福感の源でしょう。「いつもおしゃれですね」と言われ、モテたりすれば、楽しさ、嬉しさ、幸福感を味わえます。
しかし、高いお金を出して買ったお気に入りの服が汚れたりほつれたりした途端に、嫌な気分になってしまう。あるいは、パーティーで、自分よりもっとおしゃれで、もっと美形で、もっとモテる人物が現れるやいなや、楽しい気分など吹き飛んで、嫉妬にかられるかもしれません。
このように「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などの気分は、風向きが変われば瞬時に吹き飛んでしまうものなのです。吹き飛んでしまうものを目指しても、手に入れたと思ったら消えてなくなる。一生その繰り返しです。
目指すべきは「嬉しい」「楽しい」「幸せ」という気分ではありません。
目指すべきゴールです。

とても身近で、経験あることではないでしょうか。誤解してはいけないのが、お気に入りの物を買って喜ぶことがいけないと言っているわけではなく、ポジティブな感情を得ることを自分のゴールにして生きてはいけないということです。良い感情はもっと抽象度の高いゴールまでのモチベーションを保つための材料として役立てようということです。


感情を娯楽にせよ

すべての感情を娯楽にすること。
これが感情のゴミと付き合う根本原則です。

もし自分のいる場所が、大昔の恐竜がいる時代で、生命の危機が脅かされるような状況に身を置いている場合は「怖い」「危険だ」という感情は必要ですが、現代において感情の動きは、生命の維持に必要ではなく、あってもなくてもいいもの「娯楽」といっていいものだそうです。

感情を「娯楽」としてとらえることは抽象度を上げることにつながります。
抽象度を上げていれば、自分に降りかかった理不尽な出来事に対しても執着することなく生きていけるのです。


ゴールのために、「自分」とは何か

自分が望むゴールを設定するためには、「自分」というものについて考えなくてはいけません。「自分」とは何か、「自分」を説明するできるものはどこにあるのか説明していきます。

「自分」を定義しようとしても、使える情報はすべて「他者」の情報。ということは、「自分」とは、「他者の情報」で出来ていること。
「自分」とは、「他者との関係にまつわる情報」が寄り集まったものなのです。

これは「自分」を紹介しようとしても「会社」「家族」「場所」「資格」他者との関係からでしか説明ができず、様々な「他者」の点の集合体ということでしか説明ができないということです。

このような処理が、自分自身の頭の中でも起きており、無数の情報から自分にとって重要だと思う情報だけを認識するシステムが備わっているそうです。自分に関係のない情報は無意識にシャットアウトして優先順位をつけて、世界をつくっています。驚くことに、それが同時に実際に観ている世界なのです。

例えば、普段道を歩いていて、住宅街を通ります。普段はひとつひとつの家に注目などすることなく歩きます。ですが、自分が結婚して家が必要になると、急に道に並ぶ家が目に入るようになり、土地の値段や建築会社はどこのものかなど気になり始めます。

では、この自分がみている世界は「自分自身」だけが選んだ情報だけでできているのでしょうか。


自分のモノサシで生きよ

例えば公務員の親から「公務員は安定しているからいい」という言葉、TVからながれるCM、結婚相手としてはこういう人物がいいなど、外部からの様々な刷り込みにさらされており、そのような他人から与えられた価値観を自分の価値観として生きていることが多くの人の真の姿だと述べています。

私たちの頭がスッキリしていないのは、私たちが「他人でいっぱい」だからです。「他人のモノサシで自分を計りながら生きているからです」
その正体は他者からの刷り込み。子供のころから親や周囲や世間から刷り込まれ堆積してきた価値観やルール。頭はガラクタでいっぱいでゴミ箱状態。

みんな問題なく生きているようで満たされない人が多い理由はこれだったのですね。自分の価値観の外にある「他の人にとって良いもの」が知らずのうちに刷り込まれていき、かけがえのない自分の中身を他人のモノサシでいっぱいにしていたのです。

「お前は同期で一番仕事ができない」と上司に言われたとします。しかし、心が折れる必要などありません。仕事の成績とあなたの価値とは何の関係もないからです。仕事の成績が良いほうが人として優れていると感じるなら、それは会社のモノサシで頭が占領されているからです。
あなたは自分なりのモノサシで自分を計ればよい。自分のモノサシでワークライフバランスを計り、自分のモノサシで自分の働き方・生き方を決めていけばいいのです。

この一文は読んでハッとする、すごく勇気がもらえる言葉です。会社や学校など他者がつくった価値と自分の価値は無関係なんだということ。自分のモノサシで生きれば他人の価値観など入る余地はなく、感情に左右されず、まっすぐ自分のやりたいことに集中できるでしょう。

最後に

紹介したのは一部で、さらに身に覚えのある事柄が例として取り上げられ、回答されています。こんな内容の著書がamazon primeで無料で読めますので、続きに興味ある方はぜひ読んでみてください。


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