オリンピックの落とし穴
オリンピックみたいな世界的なイベントが始まるとテレビ局はテーマソングを打ち出してその曲をガンガンにかける。
勇気がわいてくるようなアッパーな曲でオリンピックを盛り上げる。それぞれの局でテーマソングが設けられるわけだから、全部で5〜6曲あるってことになるのかな?
一日の終わりにはその日のハイライト映像の後ろでテーマソングが流れる。感動的なシーンでは実況などもそのまま流しつつ後ろでテーマソングが流れる。
ハイライトは毎日あるから観てるうちに映像と曲が強烈に結びついてくる。ハイライトっていうくらいだからどこを切り取っても感動的なシーン。そうすると、感動と曲が強烈に結びついてくる。
やがて、曲を聴くだけで感動のシーンが脳内再生されるようになる。条件反射というやつだ。
何年か経過するとオリンピックの細かいことは忘れているが、曲を聴くと「なんか感動した」という記憶だけが呼び覚まされて「名曲認定」することになるわけだ。
しかし、ここでひとつ落とし穴がある。
オリンピックを現地ではなく日本にいてテレビで観ている人達にはテーマソングと感動が強烈に刻み込まれているんだが、オリンピック選手本人はどうかというと、彼らはその感動のテーマソングには馴染みがないのだ。
なぜなら、感動との癒着が行われているその瞬間、彼ら選手は日本のテレビを観ることなく現地で戦っていたから!
ハイライトを毎日観ることもなく、テーマソングを毎日聴くこともなく、ただただスポーツマンシップにのっとっていたから。
名曲をバックに躍動する選手たちの映像。しかし躍動する選手たちはその名曲を聴いてはいない。大いなる落とし穴。というか、矛盾。というか、なんかヘンな気持ちになる。