シュメールにはじまる拡大-栗本慎一郎の全世界史
「栗本慎一郎の全世界史」を読んだ。まだ存命であるが、最後の一冊であるという。1980年代、学者がメディアに露出するようになり、ニューアカ(ニューアカデミズム)と呼ばれた頃に自分は大学生であった。学部こそ違うが栗本教授の大学に在学していた訳で、「経済人類学」なる師の本はいくつか読んでいた。当時の文系、就職組は同じだと思うが、経済学部、商学部、経済学部という受験選択肢に余り大きな意味はなく、自分も何故経営学部かというと入りやすかったから、、、というぐらいしかない。履修科目も経済学、簿記会計、とか学部をまたがっているし、経済学に至ってはマルクス経済学の先生ばかりで、ろくに勉強しないながらもこれ企業に入るのに役に立つの?と思っていた。まだまだ全共闘名残の立看板がキャンパスの入口に立っていた時代である。肝心の経営学というと組織論や財務会計が目立っていたが、実務家に対して有用かどうかという議論の中で研究の立場はまだ確立していなかったのかもしれない。(単に私が学部時代に勉強してなかっただけ)最近大学院で経済学や経営学を少しずつ読んでいるが、この30数年でかなり変ったのだろう。経営学はドラッガー以降のビジネススクール系というべきか戦略論が。経済学は行動経済学や経済心理学など。いずれにしても、人間の行動や心理の追求から経営なり経済を見るアプローチになったと思う。その様な変遷から考えると、ニューアカ時代に栗本教授が経済を人類学からアプローチしたのは、「見えざる手」では経済を説明できないという点で時代を先取りしていたのだ。人類の起源から経済活動を見る必要があり、それは市場でも取引でもない。「パンツをはいたサル」なのだと。
その30年間に私が何に興味をもったかというと、超古代史、神社めぐり、少し脱線したムー系ドンデモ系だった。思いおこせば、栗本教授が駿河台に通ってたころ、民俗学専攻(何故か経営学部だか専攻ゼミがあった)の友人に付き合って秋田の神楽のフィールドワークに同行した事が有った。まだ珍しい大きなVTRカメラ(パスポートハンディカム以前のカメラとデッキが別体型のもの)で神楽を記録するという当時としては新しい試みだったと思う。ついでに、東北ミステリーツアーと称して、秋田の血を流すマリア、大湯ストーンサークル、亀ケ岡遺跡、戸来村キリストの墓を廻って来たのだった。(パワースポットブームで最近はご存じの方も多いと思う)この旅がその後の古代史や信仰への興味、ひいては日本人はどこからきて何処へ行くのかという事への探求心をかきたてたと思う。
で「栗本慎一郎の全世界史」であるが、その様な経済学の進化、日本人の起源探求という両面で興味深い。シュメールに始まる文明が南シベリアを中心とする遊牧民系につながり、のちのヨーロッパやアジアもその拡大を指向する文明パターンになるというもので日本の渡来の文化もその影響下にあるというものだ。例えば信仰というとミトラ教をベースにマニ教ユダヤ教キリスト教仏教が求世メシアという展開で広がり、極東の島国では聖徳太子の求世観音として表れる。この観点でいくと、トンデモ系でよく出てくる日本ユダヤ同祖論もその風俗や様式で単に似ているという以上の説得力をもってこの本は迫ってくる。西欧、日本の歴史観が見ていない空白が有る。正に全世界史を書き直しする栗本教授の集大成というべき書で、古代から現代、ヨーロッパ、アジア、世界中の歴史をおさらいし、視点を変える事の面白さにあふれている。過激な点や論理の飛躍はもちろん感じるが、そうでなかったという事は誰も言えない。2013年に書かれた書であるが、EUの危うさの問題、中国の進出の危険、アメリカのアジアへの対応と日本の振る舞いに警鐘をならしている事は、すべて現実となっている。栗本教授のいう「シュメールに始まる拡大を指向する経済」の結果である。いつまで人類は拡大をするのだろうか?かといってシェアリングエコノミーがその回答ではない。