#55 三登九至/組織の空気感はどのようにつくられるのか?
過日、京都の山峡深くに佇む有名な料理旅館を訪れる幸運に恵まれました。
今回は、私がそこで受けた大きなショックについてです。
まずはお料理の話。決してお安いとは言えない価格設定ですが、全くもってケチのつけようにないお料理の数々でした。私の満足度の半分はこのお料理にあります。野菜類ははもちろんのこと、普段あまり好んで口にしない川魚やジビエもひと手間もふた手間もかけた調理方法で、とても美味しく食させていただきました。
次は掛け軸の話。食事の場所に掛けられていたお軸にこのお店の礎があります。ここはFBを引用させていただきましょう。
====以下美山荘のFBより=======
【三登九至のお軸の話】
常連さまは、このお軸を一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?
特に季節を問わないこのお軸は、たびたび美山荘の客室又はお座敷に登場致します。このお軸は、美山荘の哲学を表していると言っても過言ではないと思っております。
このお軸は、雪峰禅師(822-908年)という中国の禅僧についてのことを書かれています。先代は、この雪峰禅師に傾倒しており、生前に出した本の名前も『雪峰花譜』だし、私たちスタッフの住んでいる寮の名前も『雪峰寮』だし…
雪峰禅師は、修行時代、自ら典座(修行僧の食事係)の役を志願し、いつも杓文字を持ち歩いていたそうです。
そう、これは、杓文字のカタチです。
その中に「三登九至(さんとうきゅうし)」、「三登投子九至洞山」の略で、投子山に大同をたずね、九度(くたび)、洞山に登って良价に参じたという意味。
これは、どんなに修行を積んでも、なかなか大悟に至れなかった雪峰禅師のことを語っています。
結局禅師が、悟りを得たのは、この2人の師の元ではなく、仲間の僧と行脚していた時に、彼が禅師に言った「門より入るは、これ家珍(かちん。家宝)にあらず。もし大教を播揚(はよう。挙揚)せんと欲せば、一一自己の胸襟より流出し来たるべし」という一言でハッと気づき、大悟に至ったとのことです。
その下に書いてある「渓間拾流菜....」は、「一人の雲水(修行僧)が雪峰義存の師である徳山宣鑑に弟子入りしようとして渓流に添って上って行くと、上流から野菜の切れ端が流れて来たので『一筋の野菜といえど粗末にするようなところはろくな道場ではあるまい』と思い山をおりかけると、一人の僧(雪峰義存)がこの流菜を追いかけて下ってきたことから、雲水は思い直して徳山宣鑑に入門した。」というエピソードを語っています。
美山荘で働くと分かるのですが、「料理人」というよりは、まさに「典座」の仕事に近いです。表面的な技術面や能力よりも「心」が何よりも大切だと教えられます。
かの有名な典座教訓の重要な点は、
○食材に対して敬意を持つ
➡︎少しでも食材を粗末に扱うと激怒されます…
○整理整頓を心がけ、道具を大切にする
➡︎当社長、気づけばどこかしら整理整頓をしています。
○食べる人の立場になって作る
➡︎水野料理長は、とにかくお客さんのことを第一にいつも考えていて、お客さん同士の会話からその人が何が好きで何が嫌いかなどをすぐに察知して臨機応変に対応してます。
○手間と工夫を惜しまない
➡︎社長も料理長も調理場の者たちも、料理を出すギリギリまで、最善を尽くしてベストな料理を出す努力をしています。
美山荘のお客様から、よく「作っている人の心が伝わるお料理でした。」というお言葉をいただきます。
そして多くの方が感動して帰られます。
美山荘のお料理は決して華やかな煌びやかなものではございません。
地味だけど、「滋味」なのです。
美山荘で働く社長、大女将と女将、料理人も番頭もお給仕のものもいつも全力投球でお客様に向かっているから、それがお客様に伝わり、多くの方が感動してすぐに次の予約を入れていくのではないでしょうか…
==========以上=========
最後に組織の空気感の話。私の満足度の半分はお料理、もう半分はこのお店の空気感にあります。
私も小さいながらも会社を経営し、NPO法人を主宰しています。特に、NPO法人は業界そのものがまだ25年の歴史ですし、用語は認知されるようにはなりましたが、まだまだ本質的なところは理解されているとは言えません。ましてや「中間支援」となると?ってなりますし、今までになかった概念だけにご理解いただくのに骨が折れます。
それでも、当法人のビジョンやミッション、事業に取り組む姿勢、アウトプットのクオリティー、育成にかける時間や労力などに共感して若いスタッフが法人の門を叩いてくれます。
設立当初こそ私が引っ張りましたが、そんな奴らと「あ〜でもない、こ〜でもない」と議論しながら事業に向き合い、組織をつくっていく中でできてきた「組織の空気感」があって、それがある意味私の好きな創作物でもあります。
だだ、この名店に来てここの空気感の素晴らしさに頭をガツ〜ンと殴られました。FBの最後に「社長、大女将と女将、料理人も番頭もお給仕のものもいつも全力投球でお客様に向かっているから、それがお客様に伝わり、多くの方が感動して」と、自らが書かれているように、仕事に向き合う懸命さが伝わってくるのです。全員が同じ振る舞いをするのではありません、マニュアルがあって、その通りに動いているのではありません。それぞれの個性を発揮しつつも根っこの姿勢が「同じ空気感」を感じさせるのです。
思うに、最近の私はこのお店の社長や女将さんのようにシミンズシーズの代表としてスタッフにインフルエントできているのか?
以来、この想いが私の頭をグルグルと駆け巡っています。真摯さが足りていない、懸命さが失せている、努力から逃げている・・・・・のではないかと・・・
美味しいお料理ご馳走さまでした。
素敵な刺激をありがとうございました。
京都の山あいでプライスレスな価値をいただきました。
※次回は12月1日(日)で、テーマは未定です。