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#08 地域活動履歴とマイ・キーワード 2(1980年代編)

 私の活動履歴2回目。今回は1980年代編です。
全体編でも紹介したように、1980年代に私の地域活動はスタートします。うっすらと「ふるさと意識」のようなものの大切さを感じていた私の潜在意識を顕在意識に変えたのは、学生生活を都会ではなく地方で過ごしたからだと思います。
日本史、中でも明治維新に興味があり、剣道をしていたこともあって、高知を青春の場として選んだ私は、その独特の文化に酔いしれることになります。
酒、議論、学問、歴史、喧騒、自由、恋愛、多世代、ふるさと・・・・・・
そんなエレメントが交錯し、積み重なっていくうちに、私の地域愛のようなものが芽生え、育まれていきます。

 大学を出て、丁稚に出ることもせずに実家で仕事をすることになった私は加古川青年会議所に入会し、多くの先輩に揉まれながら地域活動の門を叩きます。
加古川で「まちづくり」をしよう。単純な青年の想いがスタートしました。

1980年代

🔸大学設置運動(政策提言)

 当時の青年会議所活動は、全国各地でどちらかというとクリーンキャンペーンや
集客を狙ったお祭りを中心にしたイベントの開催が中心でした。そのような中で、加古川青年会議所では献血や青少年の育成事業に加えて、先駆的な取組みとして加古川に4年生大学をつくろうという政策提言をしました。
加古川市には4年生の総合大学がなく、当時人口20万人以上のまちで4年生大学がない基礎自治体が極めて少なかったこともあって、高等教育機関の設置もしくは誘致を提案しようということになりました。
 日米貿易摩擦などという時代背景もあって、その緩和を狙って、アメリカの大学(具体的にはボストン大学)を誘致しようという行動も起こしましたし、文部科学省への陳情も行いながら、その実現の難しさも痛感しました。
紆余曲折があって、最終的には当時あった短期大学を基盤に4年生の総合大学を新たにつくる運動を起こすことになりました。署名活動や資金集め、地元への説明会などを粘り強く、地道に行いました。
そして、1983年の提案から12年後の1995年に兵庫大学経済情報学部の設置が認可され、4年生大学が誕生しました。

※写真は当時加古川青年会議所が出した新聞への意見広告で、私が担当しました。

次回は1990年代前半の1回目です。
1990年代前半(1/2)  加古川ツーデーマーチ/ 加古川レガッタの運営(イベント)
        


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