崩壊する日常

 第二子が産まれたと報告した会社の後輩が同じ年に家を買った。35年ローン、ボーナス払い無し。一つ上の先輩も同様に家を買い子育て談議に花を咲かせている。入社9年目で既婚者ながら子供のいない私は少数派で、この令和の時代に「子供はまだか」などとハラスメントを受けている。
 三十余年の人生で無自覚な迫害を受け流す強さを得たが、子供を持つことは考えられなかった。何も子供嫌いな訳では無い。塾講師のアルバイトをしていたし、友人の弟の面倒もよく見ていたりもした。ただ同じような給料を貰っている筈の同僚が子供を持つ事が信じられないのだ。
 将来を考えると不安で仕方がない。己が生きていく事だけで精一杯な生活の中で、他者を養う余裕は何処にあるのだろうか。もし私がもっと高給取りで、資産を持ち、健康で、まともな人間であったのならば違った考え方が出来たのかもしれないが、最早自らの老後の為に如何に金を貯めるかが最優先事項になりつつある。
 海外に行き現地の美術館を訪れる事がなにより好きだった。ギャラリーで絵画を買い、本を収集し、映画館に通い、仲間と共に舞台を作り上げる事にアイデンティティを感じていたのだ。そこにいくら支出があろうとも気にすることは無く、経験こそが何よりも重要だと思えていた。
 貯金に何の楽しさも感じない。それでも節制に励み金を稼ぎ続けることが安寧への道だと思わずにはいられない。歳を重ね何故このような考えに至ったのかが分からない。明確なきっかけも無かった気がする。ただ一つ確かなのはかつての青春は完全に失われ、空虚な人生になってしまったという事。
 虚ろに嘆く私の横で、今日もまた人々は成長を続けている。


オールジャンルマガジン「さかしま'21」掲載

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?