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楽園にて死すべし

 蛇苺毒美が結婚した。
 出勤前に覗いた郵便受けに結婚式への招待状が届いていた。見覚えの無い差出し人の名に間違いかと思ったが、印刷されていた写真を見て思い出した。毒美の本名を忘れ去っていた事に苦笑しながらも、かなり驚いていた。一年で人はこうも変わるのか、写真の中の毒実は柔和な表情で、そして、信じられないことに微笑んでいた。顔立ちこそ変わらぬものの、学生時代には考えられなかったことだ。
「秋波を送ることは痴態である」と言い、気が強く他人へ媚びることを嫌った彼女が、共に写っていた男性に甘えるようにして自らの腕を絡ませている姿には、正直落胆させられた。前衛一座はらいそ脚本家の毒美もまた、普通の女だったのだ。凡百で世俗的でどこにでもいるようなつまらない人間だったのだ。
 
 一般的であることがいけないのか、普通であることは罪なのか、そんな訳は無い。しかし我々は己の才能を活かすべく、平凡であることを嫌い劇団を立ち上げたのではなかったか。自らが持つ感性と表現力を信じ、劇団を立ち上げたのではなかったか!凡夫であることを良しとする者達とは我々は異なるのだと、例えそれが暗澹たるものであったとしても自らの生き方を貫くべきであると、私たちは叫んできた事を忘れたか!

 毒実からの知らせを鞄へと放り、出勤するべくマンションを出る。騒音と排ガスの街、私が首都へ越した時に抱いた感想だ。どこまでも続く都市高の高架は蛇の様にうねりながら重なり合って空を覆い、凄まじい交通量は町全体に排ガスを充満させる。私はその中を自転車で通勤し、毎朝汚れた空気に噎せている。
 大型量販店の前を通りかかり、帰りに洗濯用洗剤を買わなければならなかったことを思い出す。無限に続く仕事と家事の繰り返しが今の私の人生の全てだ。世俗的と言うには余りにおこがましいかもしれないが、学生時代のように自己実現のために使える時間は無く、ただ日々を繰り返すことに忙殺されている。
 それは私が大学四回生の時に自らの意思で決めたことであり、不平不満を漏らしたところで全て自己責任であるのだが、どうしても就職をせず劇団の活動を続けていた未来を夢想し、暗欝たる気分に沈むことを禁じ得ない。それは一種の呪いであり私を苦しめ続けるだろう。二十三歳という世間的には子供であることがもう許されない年齢となった私は、追憶の中でしか自らの個性を見いだすことができないのだ。

 会社に着き、挨拶をしながら自らの席に向かう。今日もまた個性の必要とされない仕事を、深夜近くまで続けなければならないことに心底辟易させられ愛想が無かったのだろう、早速上司に小言を聞かされる。曰く「溌剌さが無い」曰く「何を考えているのか分らない」朝早くから他人へ対し文句をつけるそのエネルギーにまた嫌な気分になるものの平謝りをする。
 総合商社の営業として働いていく中で、人とは何故こうも許容することができないのだろうかと感じるようになった。一つでもミスをすれば怒号の如く喚き、人間性を否定するか如く批判する。彼らも長くストレスに曝されてきたことで擦れた人間になってしまったことは分かる。しかし、だからこそ人を慮るべきでは無いのだろうか。そう思うものの私は直接文句を言う事は無い。正論を振りかざすことが人間関係において正解であることは稀で、人に好かれる性格でないからこそ何も言わない大人しい人間でなければならないのだ。

 「他人に合わせて生きることは馬鹿げている」前衛一座はらいそ女優、妖蘭シモーヌは常日頃そう呟いていた。腰にまで届く艶やかな黒髪、病的に青白い肌と細い体躯。真夏でも漆黒の衣服で身を包み、眼球をモチーフとした装飾具を身につけていた女。彼女こそ最もはらいそ的な人物であったかもしれない。小説を書き、詩を詠み、絵画を描き、音楽に造詣が深かった。周囲から好奇の目で見られようが、陰口を言われようが全てを諦観したような虚ろな眼差しで受け流していた彼女は大層嫌われていただろう。
 シモーヌが大学卒業後何をしているかは知らない、就職活動もしていなかったと思う。
 はらいその団員達、特に私たちの代はプライベートでの深い繋がりを持っていなかったし、日常生活や自らの事について会話した記憶もほとんど無い。個性的な人間が集まれば面白いモノが出来るという私の考えは間違っていなかったが、強烈な自意識の塊である我々は、同族嫌悪と優越感と劣等感が入り乱れ、個人的な親睦を深めることは無かったのである。

 シモーヌの現状は気になることではあるが、実際問題として自らの現実に立ち向かわなければならない。
今日は大口の客先に謝罪をしに行かなければならなかった。仕入先の製品がユーザー下で故障し、工場のラインを停止せざるを得ない状況となったのだ。常識的に考えれば欠陥品を作った仕入れ先の責任であると思うが、中堅商社の営業マンとはそのようなものである。責任の所在を明確にして然るべき対応を行う者もいるだろうが、私にはそんな気力もなければ意欲も無い。謝罪して済むのならば地に這いつくばることも厭いはしないし、必要とあらば自腹での菓子折も持参する。仕事に対するプライドなど皆無であり、人間的な尊厳も最近は希薄となってきた。
 要するに面倒なのである。なにもかも面倒で面白くないのだ。食べるためにルーチンが如く働き、ただ疲弊する毎日。鬱屈した思考と疲れ切った体で運転が荒くなっていたのだろう、後方でクラクションが鳴った。

 個人の関係がどうであれ、はらいそそのものの活動はこれ以上に無い程に楽しかった。それもそうだろう、悠久とも思われる時の中で自らのやりたいことだけをただひたすたに行っていたのだから。
 そこに責任は無く、しがらみも無い。利益を追求していたわけではなかったので、公演のチケットノルマ等で揉めることも無かった。また、創作活動のための資金は各々が出し合っており、不平不満は出なかった。
 一座と謳いながら私たちは何でもやった。演劇、映画制作、同人誌発行、音楽活動、ゲリラ的パフォーマンス等、個人団体問わず各々が様々に活動し、公的な祭典やコンクールに出品もすれば、イベントにも出演していた。本当に楽しかった。本当に楽しかったのだが、活動を行っていく中で我々はどこか自分たちの限界を悟っていた。
 どの分野においても自分たちより優れたモノを創り出す人々がいて、その現実を目の当たりにしては、誰しもが才能に嫉妬し自らの矮小さを自己嫌悪した。
 劣等感に塗れた人々はそれを払拭すべく、行動すべきである。そんなことは分かっていたのだが、それがはらいその限界だったのだ。根暗で内向的な人間の集団、それは明日への活力無き団体だ。認められなければそれを仕方ないものとし、或いは評価する側の人間への怨嗟だけを口にするだけで、誰しもが自らの価値観を変える事を放棄していた。
 だが、私たちはそれでも楽しかったのだ。楽しかったが故、結局は凡俗な現状を迎えることになったのは、当然の帰着であると言えるかもしれない。

 周知の事実であろうが、大企業の人間は横柄である。しかし彼らは横柄であることを許されている。何故か。それは彼らが大企業に勤める事が出来るまで努力してきたからだ。
 頭を下げている私に嫌味を言っているこの男も、根は明るく人生経験豊かで社交的なのであろう。立場の弱い商社の人間に横柄な態度をとろうとそれは必然であるように感じる。言わば努力の差であるのだ。私は社交性が無いことを自覚しながらも、改善しようと努力はしてこなかった。はらいその活動をとってみても、やりたいことであったからアクティブだったのであり、力仕事といった面倒な作業も楽しむことができたのだ。
 人と上手くコミュニケーションをとるには、相手に興味を持つことが重要であるとよく言われるが、私はこの男に全く興味が持てない。それどころか社会人となってから出会った全ての人々に対し興味を持つことができなかった。
それは抑鬱の症状などではなく、ただ単に社会人達がつまらない人間であったからだ。彼らは私が学生時代に凡百と見下してきた人間そのものであった。
スポーツに明け暮れ、休日は数多くの友人達と出掛ける人々。芸術などには興味は無く、知識は浅く広ければそれで満足する人間達。学生時代から気付いてはいたが、それが正しい生き方だったのだ!凡百であるということは普遍であり、普遍的なモノは好かれるのが理だ。そんなことはわかっている。わかっているがどうしろと言うのだ。
 彼らはつまらない、何も面白みがない。興味が持てないどころか、憎みすらしている。しかしながらいくら私が嫌悪感を持とうとも、そのような人々と共に働かなければならない状況は一生変わらないのだろう。
 芸術に関わる仕事に就けるようなコネもなく、知識も無く能力も無かった。目の前の凡夫は謝る私をよそに携帯を触っている。平凡極まりなく低俗で下らない奴等。こんな人間達と関わって生きていかなければならない状況を作り出した自らの怠慢。如何ともしがたいことは分かっている。分かってはいるが故にどうしようもなく辛いのだ。誰か助けてくれ!誰でもいいから私を救ってくれ!誰か、誰かお願いだからこの醜悪な環境から抜け出す救済の手を差し伸べ、私を楽園へと連れて行ってくれないか。

 はらいその創立メンバーは全て私が声をかけて集めた。個性的な人間を集めることはできた、しかし、彼らは決してアクティブな人間ではなかった。活動的な団体を作りたければ、能力を持った人間を集めればよいだろうが、なにより社交性の無い私が、そのような人間に声をかけることが出来るはずもなかった。当時の私は陰気ながらもプライドは高く、馬鹿にされることがなにより嫌いだった。周囲と馴染めず孤立している人間に声をかけることが出来たのは、やはり同族意識と優越感からであろう。
 積極的ではないとは言え、自らを表現したくない人間などいない。私はそう信じている。実際に私たちはただ群れるだけではなく、はらいそを創立し活動を行った。その活動によって捩じれた私たちの自意識はより、たちの悪いものとなっていたが、今思えば各々が確実に変わっていたように思う。

客先への謝罪を終え、納入業者用の駐車場に停めていた営業車へと戻り考える。
 そうだ、確かに彼女たちは変わっていた。固く閉ざしていた追想の扉が開かれ、記憶の深淵へと立たされた気にる。これ以上は思い出しても何一つ有益ではない、心の片隅ではそう思いながらも、流れ込んでくる追憶に抗うことはできなかった。もう、ただ辛いだけの現状には目を向けたくなかったのだ。
 
 自らが認めるもの以外は全てを批判していた毒実は、四回生の頃には他人の意見を客観的に認め、自分の意見を修正するようになっていた。設立当時は前衛的で誰にも理解できないような脚本を書いていた彼女も、脚本の基礎を学んだ上で、彼女の個性を残しつつ大衆的な物語を描くようになっていた。
 シモーヌにしても、団体として行動するにつれて大人びた言動をとるようになっていた。イベントで多くの活動的な大人たちと接し、自らの態度を恥じたのだろう、人に話かけられても無視することはなくなり、後輩への演技的な指導も行うようになった。作品が受賞を逃した時は素直に悔しがり、自らの演技の至らない点を改善しようと努力するようになっていた。
 彼女たちは明るい性格へと変わっていった。むしろそれが彼女らの元々の性格であり、場所と機会を与えられることにより、抑えつけられていたそれが表出したに過ぎないのかもしれない。クラスでは馴染めずともそこを離れれば明るく社交性を持ちえる人間へと、いや、単に私が知らなかっただけで、クラスでも打ちとけ、楽しく充実したキャンパスライフを送ることができる人間へと変わっていたのだろう。
 では、私はどう変わったか。斜に構え気に入らないものは全て否定し、自らの感性に自惚れ、マイナー趣味を誇りとし、はらいその中でしか生きていけなかった私。一回生の時にはらいそを設立し、四年間多くの活動を行ってきた。出会った人も大勢いる。多少なりとも認知され評価されるようになった団体を率いていた私は。
 前衛一座はらいそ代表の私は……

 四回生の冬、後期授業の終了日、私はお決まりとなった大学内図書館三階の窓際の席で本を読んでいた。最上階であり学術書がおいてあるそのフロアは、めったに人が来ない。ましてや授業終了日であるその日に読書などを行うのは私だけであった。
 最上階とは言え、かすかに外の音は聞こえる。大学生たちが楽しそうにはしゃぐ声。学生生活最後の休みを前に浮かれる学生たちを余所に、何故私はこんなにも必死となり芸術評を読んでいるのだろうかと、急になにもかもが馬鹿馬鹿しく思え、本を机へ放り窓の外を見た。
 雪がちらつく中、笑顔の学生たちを見下ろす。なんて楽しそうなのだろうか。社会へ出ることへの不安など微塵も感じさせず、或いはまだまだ続く学生生活を存分に楽しみつくそうという気概を感じさせる彼ら彼女らの中に私はいなかった。四回生になった頃から私ははらいその活動に関わらなくなった。ついていけなくなったのだ。
 大所帯となり、和気あいあいと練習を行う団員達、後輩たちは練習後や休日には皆で食事や遊びに出掛けていた。団体を大きくしようと、来るもの拒まずで門戸を開いたのが悪かったのか、決してそんなことはない。後輩たちは優れた感性と才能の持ち主で、積極的に創作活動も行っていた。では何故、何故楽しそうに群れることができたのか。何故私はその輪の中に入ることができなかったのか。
 根暗な性格を直そうとせず、他人を羨み卑屈に生きてきた。そのような生き方になった原因を探ってみても意味は無い。ただ、変わることはできたはずだ。明るい人間として、社交的な表現者として団体を率い、練習の無い日は団員達と遊びに出掛けるのも良かっただろう。しかし、私には無理だった、怖かったのだ。後輩たちの輪に入ろうとしても、疎ましがられるだろうという恐怖。その陳腐な思いこみは、はらいそへ行くことを止めさせた。

 雪は強くなっていた。本格的に降り始める前に帰らなければと思い、本を棚に戻し図書館を出る。外は想像していた以上に寒く、暖房で温まっていた体が冷気にさらされ身震いをする。日は沈み、教室の明かりも消された校舎は暗く重々しさに満ちていた。もうここで授業を受けることは無いのだと、感傷的な気分になり一抹の悲しさを感じる。この校舎から目を背ければ、もう私は学生ではなくなってしまうのだという気がし、暗い校舎をずっと眺めていた。
 ふと、校舎の扉から二人の女が出てきた。よく見かける流行の明るい服装で、いかにも大学生だと分かる。会話の内容までは分らなかったが、体を寄せ合い談笑するその姿は如何にも楽しそうで、自らの惨めさに思わずため息を吐いた。いよいよ雪が本降りの気配を見せ始めたので、家路に就くため校舎に背を向けようとしたその瞬間、女学生と目が合った。シモーヌだった。そして、その横にいたのは毒美。二人は驚いた顔をしていた。私も同じ表情だっただろう。すぐに笑顔に戻り、こちらへと近づいてくる彼女らをよそに、私は祈っていた。

 どうか、そのまま立ち去ってくれ!私などには話かけず、二人で楽しく話しながらこの場から消えてくれ、頼むから私の存在など無視してくれ!
 しかし、祈りは空しく、私は二人に声を掛けられた。

「座長、久しぶり!最近はらいそに来て無かったけどどうしたの?」
「私たち心配してたんだよ、何してたの?」
 誰だお前たちは。
「でも会えてよかった、携帯も全然繋がらなかったし」
「今から一緒にご飯でも行こうよ」
 こんな声を出し、人と話す人間だったのか。そんなに仲が良かったのか。孤独なのは私だけだったのか。
「顔色が悪いみたいだけど大丈夫?」
 毒美が私の顔を覗き込む。
「わぁ、手がとても冷たい。これ使って」
 シモーヌが私の手を取り、その冷たさに驚きながら手袋を差し出す。
「どうしたの?」
 俯き黙りこくった私の手をとったまま、シモーヌがそう言う。その柔らかい手はとても暖かかった。そんなぬくもりなど必要ないのだ。冷淡で超然とした女、シモーヌよ、それがお前ではなかったか。どこにでもいるような没個性の服装、話し方、笑い声、気づかい、そして快活さ。それは何だ!

 顔を上げ毒美とシモーヌをまじまじと見る。
分かっていた。彼女らも結局は普通の人間であることなど。しかし、仮初にでも個性的な人間であることを主張するならば、最後までそうであって欲しかった。よりにもよって学生時代の終わりに、期待は幻想だという現実を叩きつけられる必然性はどこにあったのだ。あまりにも残酷過ぎるではないか。もしかすると、大人へと成長するためのイミテーションとして、この二人は存在しているのかもしれない、そんなことすら考えた。だがそれはあまりにも馬鹿げている。世界はそんなに自己完結的ではない、受け入れるしかないのだ。
 彼女らを、その優しさとぬくもりを。信じていたものを否定し、現実を受け入れ、大人になろうではないか。こんなもんさ、と嘆きながら死んだ眼をして生きていく大人へと。何にも期待せず生きていける強さを持とうではないか、期待したところで裏切られることはなによりも明白なのだから。

「いや、大丈夫だよ。心配かけて悪かったね」
 そう言って私はシモーヌの手を放そうとしたが、彼女は私の手を放さなかった。
「飯だけど今日は用事があるから遠慮しとくよ、また今度誘って」
 謝り、気づかいも忘れなかった。まっとうな人間の対応として、完璧ではなかろうか。だからもう帰らせてくれ。その手を放してくれ。これ以上の対応は私にはできない。だからもういいじゃないか、もう私を苦しめないでくれ。
「じゃあ、帰るわ」
 振り返り帰路へと踏み出そうとする。しかしシモーヌはまだ手を放さない。なんなのだ、嫌がらせなのだろうか。私はため息をつき振り返った。
 シモーヌが泣いていた。
 言葉が出なかった。何故泣いているのか理解できなかった。
「私たち怒ってるんだけど」
 戸惑い茫然とすることしかできなかった私に毒美が言った。なるほど、確かに彼女の形相は憤怒それ以外の何物でもない。
「はらいそは座長が作った団体でしょう。何故それを平然と見捨てることが出来たの?しかも何も言わずに、私たちにさえ」
 毒美の言葉を聞きながら、あぁこれこそが彼女なのだと懐かしんでいた。気が強く、誰に対しても忌憚なく意見を述べ、しかも言っていることはいつも正しい。
「身勝手すぎるでしょ。そりゃあ座長が作ったものなんだから好きにする権利はあると思うけど、他人を巻き込むなら話は別。せめて訳は聞かせてくれない?最後くらいは私達の格好いい座長でいてよ」
 理由など答えられる訳が無い。私はただ睨んでくる毒美から目を逸らすことしかできなかった。
「答えに窮するなら最初から行動なんてするな!」
 最早それは怒鳴り声で、その言葉を発した毒美の顔からは怒りよりも憐みが読み取れた。それはあまりにも確信をついた言葉であった。
「気分が悪いから帰る」
 そう言い毒美は去って行った。雪はさらに強くなっており、彼女の姿はすぐに見えなくなる。

 シモーヌはまだ私の手を握り泣いていた。最早吹雪のような降雪の中で、学生時代の終わりに手を取り合う男女。傍から見ればさぞかしロマンチックだろう。だが現実は、ただ寒く、辛いだけだった。
「私ね、座長に救われたの」
 泣きやんだシモーヌがか細い声でそう言った。
「孤独だった私に声をかけて、活動に誘ってくれて本当に嬉しかった。居場所の無かった学校は退学も考えるほど本当に辛くて……昔から人と上手く付き合えなくて、私が生きていける場所はどこにも無いと思ってた。でも、座長と一緒にはらいそを作って、いろんなことをやって、いろんな人と出会って、あぁ大丈夫なんだって、私にも居場所があるんだって思えたの」
 シモーヌの手は震えていた、それが寒さによるものなのか、感情の昂りよるものなのか、或いは私の手が震えていたのか、分らなかった。
「ごめんね、こんなこと言って」
 独白を終えシモーヌは俯いていた。雪によって体温を奪われた私たちの体で、握り合っている手だけが暖かかった。その温もりを全身に求めればよいのだろうか、震える女を抱きしめ、共に帰ろうと言えば私の虚しさは晴れるのだろうか。
「俺は、自分の為にはらいそを作ったんだ」
 人助けの為にはらいそを作ったのではない。慣れ合う為にはらいそを作ったのではない。だがしかし、シモーヌははらいそに救われたという。
「自分は特別だと思いたかった。でも一人じゃ何もできなかった。だから毒美を、そして君を巻き込んだ」
 誰かを救うつもりなど毛頭意識していなかった。身勝手に自惚れ、他人のことを考えることの出来ない私が人助けなど出来るはずがない。
「はらいそに行かなくなったのは謝る。ただ一つ言わせてくれ、俺は救世主じゃない。ただの凡百で無能な人間だよ」
 彼女らもこの私に幻想を抱いていたのだろう。私にとって彼女らが特別な人間であると認識していたと同時に、彼女らもまた私を特別な人間として認識していたのではないか。期待は往々にして裏切られる。浮世離れした女たちという幻想が崩れ去ったように、はらいそを裏切ったことで彼女らが抱く私への幻想も崩れ去った。誰もいなくなったキャンパスで、シモーヌの言葉を待つ。
「ただ、寂しかった」
「え?」
 予期していなかった言葉に耳を疑い、思わず聞き返す。
「寂しかったの!」
 金切り声でそう叫び、シモーヌは体を震わせ号泣した。私の手を放し、両手で顔を覆い泣いている。私は、ただそれを見ていた。
 
 どのくらい時が経っただろうか、もしかすると数十秒だったかもしれないが、永遠にも感じられた時の後に、シモーヌはやっと泣きやんだ。そして顔を上げ、私の目を見つめながら震える唇で言った。
「好きです、座長」
 反吐が出た。馬鹿げている!クソ下らない三文芝居。脚本家は誰だ、毒美か、シモーヌか、はたまた能天気な後輩共か。いますぐここに来い、こんな脚本を書く人間など張り倒してやる!
 しかし当然ながらシモーヌのセリフは台本などではなく、彼女自身の言葉なのだ。それを受け入れなければならない、幻想は完全に崩れ去ったのだと、私の知る彼女はもうここにはいないのだと。
 「ごめん」と言い抱きしめれば良いのだろう?彼女を受け入れ、その温もりに甘え、依存し合いながら生きて行けば良いのだろう?
 誰がそんなことするか!
 彼女は気高く、超然としていて、孤高な芸術家なのだ。その才能の前に全ての者をひれ伏させ、それで尚飄々としている。シモーヌとはそんな女なのだ!
「またね」
 私はそう言って、彼女の頭を撫でた。そして、その手が再び握られる前に、校舎を後にした。
 校門から振り返ると、降りしきる雪の中シモーヌは一人泣いていた。
 結局私は、何も変わらなかったのだ。現実より幻想を追いかけ、人を傷つける。才能など何もなく、まっとうな人間ですらない。毒美よ、シモーヌよ、わかっていただろう。私がそんな人間であることは。後悔の念に押しつぶされそうになる。楽園は消え去った。今更戻ることなどできない。
私は、叫びながら漆黒の闇の中を駆けて行った。その後ろにはシモーヌがいるのだろう。振り返れば、現実の安寧がそこにある。だが私にとって大切なのは幻影だ。その幻影を追い、暗闇の中を走っていく。それはまさしく私の人生そのものを表していた。声が枯れるほどの雄叫びを上げながら、私はただ走った。

 駐車場に長く居すぎたため、警備員に声をかけられた。謝りながら車を出す。会社へ戻るつもりはなかった。もういいだろう。実家に帰り、しばらく休んでから今後の事を考えよう。本当に疲れたのだ。向かないことを無理して行い、適応しようとしたが出来なかった。散々迷惑をかけたと思う、だからもう辞めてもいいだろう。
 毒美は結婚した。あの日、私が裏切ったシモーヌは今何をしているのだろう。せめて幸せであってくれ。
 運転しながら会社に電話を掛け、上司に会社を辞めること伝えた。怒鳴り散らしていたが、どうでもよかった。今は早く家に帰りたかった。手続きなどは勝手にやってくれ、もう私は関わりたくないのだ。そう言い電話を切った。
 自宅まで戻ってきた。こんな時間に帰ることは初めてで、夕暮れに染まった空の美しさに感動する。
 マンションの最上階へ非常階段で昇る。オレンジ色の空と街は全てが燃えているようであり幻想的で奇麗だった。やっと暗闇から這い出し、人間に戻った気がした。
 帰ったらもう一度演劇をしよう。至高の映画を撮ろう。絵を描き小説を書き、詩を詠もう。
 夕暮れの景色に感動したのはいつ以来だろう。以前にも、今と同じような心持で、オレンジ色の空と街を眺めたことがあった。
 階段の手すりの上に座り思い出す。そう、あれははらいその創立日だった。大学校舎の屋上から拡声器を使い叫ぶという、記念すべきはらいそ初めてのゲリラパフォーマンス。その時私が叫んだ言葉は一言一句覚えている。

「有象無象の凡百共よ聞こえるか、我等は前衛一座はらいそ。総合的表現集団である。低俗で没個性の貴様ら、我等をとくと刮目せよ、そして自らの矮小さに打ちのめされるがいい!芸術を理解できぬ者に生きる資格など無い。人々よ、個性的に生きてくれ。たとえその道が暗夜行路だとしても、それもいいじゃないか!ただ社会の歯車となって生きる意味は何なのだ。聞け、全人類よ、我等は楽園にて死すべきだ!楽園はここにある、目を凝らせ。思索し、表現せよ!
流行を追い、仲間と群れておけばそれで幸福を感じる馬鹿共よ。覚えておくがいい、前衛一座はらいその名を。
いつか、いつの日か、俺を見下してきたお前らを、俺の圧倒的才能で見返してやる」

 突然の強風に煽らる。
 眼前の空は赤く燃えていた。群れから離れた三羽の鳥が飛んでいる。燃える空を蛇行し、優雅に弧を描き飛んでいた。あぁなんという大団円なのだろう。私はこの時を待ちわびていたのだ。
 毒美よ、シモーヌよ、悪かった。どうか幸せであってくれ。

 三羽の内の一羽が、沈みゆく真っ赤な太陽に目がけ滑空した。さも、そこに楽園があることを知っているかの如く。
 鳥よ、例えその身が燃えつけようとも飛んで行け。燃え尽きた魂が行きつく果てに、確かに楽園はあるのだから。
 そう私は信じている。

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