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子供の私のレゴと転校生のこと

1105 /// 筆舌し尽くせないそれを見つめる私の整理をまずはここ数日は記録しています。 / 場があります。 / 筆舌し尽くせないそれと私がいる場です。 / 筆舌し尽くせないそれの言い換えが出来ることはいかなる形にも変容出来て、私は身体という制限がありながらも一定の言い換えが可能であるのですが、私は転校生と言い換えられます。 / 私は今まで片手でおさまる回数、縁もゆかりもない場に移住をしました。 / 移る先々にはそこに定住する人がいて、そんな人々は人々自身を定住する場に分けている感じがしました。 / 人は自分自身の場を必要とするのでしょう。ふんわりと柔い、パーソナルスペースとでも言えるかもしれません。 / という人々を私は見つめていたのですが、そんな私は何度移住すれど変わらぬ家族という場で一度でも家族であれたのでしょうか? / 一度でも息子であれたのでしょうか? / 集団の中にいながら集団の外にいる感覚は良くも悪くも転校生固有の感覚だと考えています。 / 集団の中にいるためにその感覚を隠したり消し去ろうとしてしまう努力をする転校生の人々を見かけたとき、私は気管の奥をじわじわと万力で絞められる感覚になります。生乾き間近のぼろ雑巾を絞ったみたいな、黒ずんだ涙が出そうになります。 / さて。 / こうして今の私の目線に立って子供のころの私を見つめてみても、自分自身の場の必要性に対してやはり子供の私も素直愚直そのものでした。 / まだ新しく柔い子供の私の手には固いプラスチックのレゴが握られていました。 / 私の部屋を掃除する母親にレゴでサプライズの足つぼマッサージをおみまいしていた私はちょっとだけ息子だったのかもしれません。 / レゴは創造性を養う玩具です。 / たくさんのブロックがあれば、想像次第でなんでも作れます。 / 誕生日プレゼントなどで買い与えてもらった大きなレゴを私は誕生日の朝からすぐに作り始めるのが常だったのですが、説明書通りに作られたレゴは遅くとも翌朝には取り壊されていました。 / 飽きる、という感覚ではなかった覚えがあります。 / 単純に、違う、と思っていたのかもしれません。 / 壊しては説明書など無いものを、子供の私はまた作り始めます。 / 家や乗り物になる傾向が強かったです。これは割と覚えています。 / 気に入って長くその形を保った子供なりの作品というものもあったことを覚えていますが、今の今まで残っている作品は無く、どんな作り方をしたかを覚えているものもほぼありません。 / 子供の私のスクラップアンドビルドは私の心の呼吸そのもだったかもしれないし、自分自身に自分自身の状況を説明していたかのような感覚があります。 / いくら家を建てども、乗り物を作れども、そこにいる人形の中に私がいた記憶は一切無いのですから。 / レゴ相手ですらも集団の外にいる私だけあって、もうずっと前からどこにいても別に良かったのかもしれないし、そうだったとすれば私は今まで自分が思っていたよりも、筆舌し尽くせないそれに自分を明け渡すような、そんな準備が出来ていたのかもしれません。 /// 1214

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