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好きを語る

 昨日、工場で作業していたときのこと。なんとなく息苦しさを覚えて、外へ通じるドアを開け放していた。音がした気がして振り返ると、ダンボール回収車が来ていたので、「ご苦労さまです」と声をかけた。
 何か仕事をしに来た人には、誰であれとりあえず「ご苦労さまです」と声をかける。お弁当を運んで来た人、コピー用紙を納入しに来た人、ウォーターサーバーの水を持ってきた人。深い意味はなく、いつもそうしているから言っただけのこと。
 すると、ダンボールの回収に来た人が手を止めて、こちらを見た。「失礼します」とか、会釈するとかそんな反応を予想したのだが、まったく違うことが起こった。

「お姉さん、その服、いいなぁ」
 年の頃は同じくらい、もしくは少し下かもしれない。ぼろぼろのトレーナーに作業ズボン、キャップをかぶったおじさんだ。
「ありがとうございます」
「どこの?」
「(そでのマークを見せながら)チャンピオンみたいです」
 正直、そこで話は終わりにしたかった。仕事中だから、というより、知らない人と口をきくのが面倒だから。その人がどうとういことではなく、子どもの頃から変質者に狙われてきた私にとって、見知らぬ人は誰だって怖い。かかわらないのが一番だ。
「洋服、好きやねん」
 おじさんは嶺南というよりは、生粋の関西人のようだった。軽い訛りだけれど、なんちゃってではない。学生時代を関西ですごしたのか、子どもの頃に関西から引っ越してきたのか。

 こうなってしまったら、シャットアウトするのもはばかられる。あとはただ、ペアを組んでいる作業員の人に急かされるのを待つしかない。
 洋服が好きで好きで、古着屋へしょっちゅう行くこと。東京の古着屋へよく買いに行くこと。弟には病気だと言われるくらい、洋服への執着が激しいこと。欲しいと思ったら、どこまででも買いに行くこと。服の値段の何倍もの交通費をかけてでも買いに行ってしまうこと。
 うれしそうにずっと話すおじさん。5分以上経っている。少しずつ距離をとり、作業へと戻りつつ、曖昧に相づちを打つ。
「ごめんな、仕事の邪魔してしもた」
 やっと気づいたおじさんは、自分の作業に取り掛かった。あとは「ご苦労さまでした」と送り出せば終わり、そう思っていた。
「お姉さん、」
 いや、邪魔した言うたやんか。まだ話しかける?
 そこからさらに5分くらい、作業の手を止めておじさんは話し続けた。
「そしたら、お姉さん、その服、捨てるときが来たらくれへん? いや、サイズが合わんか。また次見たら欲しなるから、今度はその服着とかんといてや」

 着るものにこだわりのない私が着ている服に、こんなにも目の色を変える人がいようとは。7、8年前に買ったチャンピオンのトラックジャケット。私の中で捨ててもいい服だったので、油まみれになる工場の仕事用に決めたものだった。
 もしかしたら帰りに身ぐるみはがされたりして。少々身の危険を感じる。いや、1枚はいだら満足するわけで、危険はないか。
 病気と言われるくらい、ものに対して執着するのは理解できる。私もそうだから。今手にしないと二度と出会えない、二度と手にできないと思うと、有り金すべて、借金してでも買ってしまう。痛い思いをして、今はもうしなくなったけれど。
 私の場合は、好きだからではなく、単なる収集癖だった。持つことに意味があり、持ってしまったら興味がなくなる。おじさんは好きで欲しくなるわけだから、私のように執着を手放すのは難しいだろう。

 おじさん、いつ以来なんだろう。こんなふうに好きなものについて誰かと話すの。ものすごく久しぶりなんじゃないだろうか。弟はいるけれど、家族はいなさそうだ。いたとしても、きっと理解はなくて話せないんだろう。
 だから私にしがみついた。話したくて話したくて。迷惑だとわかっていても話さずにいられなかった。
 好きについて話すって、自分を取り戻すことなのかもしれない。特に「夢に破れた(おじさん談)」人にとっては。
 おじさん、3000円で買わないかな。私は3000円で飲みに行く。お互いにとっていい話だと思うけど。なんてね。

 

 

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