あったらいいな

 私の住む鯖江には、というか私の周囲には移住者が多くて、ここに住む人にとって「大したものではない」と思っていたものに価値があるよとおしえてくれる。私自身は隣市の出身で、鯖江のことをあまり知らない。だから彼らが提示するこの街のよさを「ほうほう、たしかに」と受け取る。
 私の住む福井県、特に嶺北地方、もっといえば県庁所在地である福井市では「ここにはなんにもない」が口ぐせ。東京みたいな都会じゃない。京都くらい買い物できる場所もない。ワクワクするようなことが起こらない。せめて金沢くらいの”まち”なら。
 そう思って、勉強のできる子たちの多くが都会の大学へ進学する。そして「福井に仕事はない」とそのまま都会で就職する。
 中には都会暮らしが合わず、Uターン就職する人や中途採用でUターンする人もいるけれど。

 U・Iターン組や移住者は「いやいや、ここにはこんなにいいものがありますよ、気づいてないだけですって」と言う。
 ”いい”と言われてうれしくないことはない。なにもないけれどここが好きで住み続けている人にとっては「ああ、ないと思ってたけど、あるのかもしれない」と思える瞬間。
 でも、なにもなくてここを離れたいと思うけれど離れられない人にも”いい”は伝わるだろうか。

 「なにもない」というのは、「あって欲しいものがない」ということ。カレーうどんを食べたくて来店したのに、ソースカツ丼しかない。「ソースカツ丼、おいしいですよ」と言われても「うーん」って感じになりませんか? ソースカツ丼食べておいしくても、「おいしいけど、違うんだよな」ってなりませんか?
 誰かにとって”いい”と思うものであっても、その人にとって”いい”と思うもの、欲しいものでなければ、ないのと同じ。

 ずっとここで暮らしている人にっての”いい”を増やす。そうすれば、離れたくなくなるし、離れても帰りたくなるのではないだろうか。
 巨大イオンとか、おしゃれなマンションとか、巨大シネコンとか、ライトアップとか、有名店とか、遊園地とか、新幹線とか、空港とかではなく。生活に欠けているちょっとしたもの、あったらいいなを少しずつ足していくことが必要。と思う。私は。

 「目指せ、東京!」「金沢みたいになるぞー!」と思って建てたのかどうか知らないけど、AOSSA とかハピリンとか、なんかお金のかかったビルを建ててるのは違うでしょ。これは私だけじゃなく、共感する人多いはず。都会のビルを真似た見た目だけど、住んでる人にとっての欲しいものじゃない。
 一方で、”一部の”が付くけれど住民に愛されている古いお店が潰されていく。開発という名のもとに。都会化するために、古いもの、愛されているものを排除する。
 もちろん、その一角全部が必要とされているわけではない。だとしたら、すべてを潰すのではなく、必要とされているものとの相乗効果が見込めるものをつくる方がよくないだろうか。
 全部潰して駐車場など、誰も欲していない。大手のホテルなど、誰が泊まる? 周囲には閑古鳥が鳴く県営・市営駐車場があり、市民が泊まらないホテルをつくって、それで人口流出が止まったり、移住者が増えたり、観光客が増えると本気で信じてるとしたら、心底バカだなぁと思う。

 あったらいいなは人によって違う。年代、趣味嗜好、人それぞれ。
 人それぞれをいかして、路地ごとに色合いの違うお店が並ぶ。そうかと思うと、誰もが好きな今川焼き店やなんでもそろう本屋、昔からある喫茶店もあったり。映画館だけじゃなく、ライブハウスやギャラリー、芝居小屋もある。そして、おいしいパン屋さんと、夜をすごせるカフェ。
 そんな小さなあったらいいなを展開していく方が、きっと住みやすい街になると思うんだけど。
 利権を排除して、本当に必要だったり、あったらいいものが増えればいいのにな。

 


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