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話を聞くことで得られるもの

 先週金曜の夜を、まだ引きずっている。引きずるというか、日々ちょっとずつ話した内容を思い出し、自分の中に落とし込んでいる。あの夜の情報量は多すぎて、すべてを咀嚼できる気がしない。もったいないと思うけれど、また聞けばいいかとも思うし、また聞くために足を運ぶ楽しみがある。
 隣席の酔客が、たいそう酔っ払って(くだを巻いて)いた原因のひとつが、その夜一緒にいた人にフラれたから。どうやら好きだったけれど、相手にその気はなく、恋の相談を受けて自分に芽はないと悟ったらしい。
「別にいいんすよ、大したことじゃないんすよ」と何度も口にする。本当にいいと思っていたら、こんなにずっと同じ話に固執しない。

 それに対し、周囲から「今夜だけもダメだったの?」と声がかかり、「いや、だからフラれたんすよ」と答える。「そうじゃなくて、ワンナイトじゃダメだったの?」「いやだからフラれたからないんです」と何度も噛み合わない会話が繰り返された。
 酔っぱらいすぎていたから、だと思っていた。今朝までは。
 今朝、部屋の掃除をしていたら、酔客が求めるものと周囲が思うのが一致していないから会話が噛み合わなかったんだと気づいた。(勝手な推測)
 周囲はセックスしとけばよかったのに、セックスしたかったんでしょ、と思ったから「ワンナイトでもいいじゃん」と言ったのだと思う。それに対し、「いくらでもいい人はいるし、次にいきますよ」と軽い好意にすぎないアピールをしていたけれど、酔客が求めていたのはセックスではなく関係だったのではないか。ただヤれればいいのではなく、デートして楽しい時間をすごし、その延長上にセックスがあればする関係。

 肌を重ねて感じる体温で埋まる孤独やさびしさもあるかもしれない。知らんけど。ひとりじゃないんだとか、生きてる実感とか、誰かに求められることで自分の存在価値を感じるとか、温かさにほっとするとか。そういう効果効能が、ワンナイトなセックスにあるのだろう。知らんけど。
 でも、それは一方でその一夜限りのもの。孤独やさびしさが埋まるのを一度でも経験したら、次に感じる孤独やさびしさは、それ以前よりも深く大きいのではないか。知らんけど。
 そんなでこぼこ、私は経験したくないなぁ。だから人との距離が近くなるのが苦手だったりする。さびしいならさびしいままがいい。
 まあ、酔客がそこまで考えていたのかはわからない。あくまで私の解釈。

 人と話したり、誰かが話してるのを聞くことで得られるのは知識だけじゃない。今日は友だちと久しぶりに話して、先週金曜の夜の課題(別に出されたわけじゃないけど)の解のヒントを得た。
 人の話を聞き、私の中で解釈を得る。人と自分の違いを見つけ、人を知るようでいて自分を知る。これが私の自己理解法。
 人の話を聞き、追体験する。実体験が少ない私の、人生経験を増やす方法。
 明日はどんな話が聞けるだろう。どんな発見があるだろう。その前に、先週金曜の夜の情報を整理しなくては。

  

  

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす