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想像力の翼で行けないところ

 親ってすごいなぁ。
 私は自分のことで精一杯。せいぜいネコにエサやって、トイレ片付けてするくらいが自分のこと以外でできることのすべて。
 親は自分のことをして、子どものことをして、さらに子どもの生きる先のことまで考え、行動する。
 それって、子どもが生まれたり、子どもと生活する中でわき上がってくるものなんだろうか。
 私はこの先自分で子どもを生むことはないし、養子縁組をすることもない(独身はできないし、経済的にも年齢的にも無理)から、親というものを経験できない。
 じゃあ、自分の親から考えてみよう。親とはどういうものか、想像のヒントがあるかもしれない。

 私の父は昭和11年生まれ。一浪後京大へ進学し、学園紛争の真っただ中にいた。本人が言うには、学生運動の中心で活動し、目をつけられていたから京都での就職は不可能だったそう。卒業してすぐ、仲のよかった教授から「福井から教師のなり手を送ってくれと言われてるのだが、行ってみないか」と言われ、「世界を変えるには教育しかない」と福井へ向かったという。
 父の専門は日本史。何度か試験問題を見たことがあるが、進学校に通う私でも答えられないような内容だった。選択式ではなく記述式。「こういうことがあったが、それがどのようなことだったか説明せよ」とか「これは一体どういうことに由来するのか説明せよ」とか。
 福井へ来てからも活動を続け、とある活動のトップとなった父は、偏差値の低い高校しか赴任しなかった。福井では進学校に着任することがステータスだったり、進学校に着任経験があることが教頭、校長に出世する暗黙のルールだったりする。(※ 我が家における認識)
 行き先は偏差値の低い高校ばかりだったから、受験勉強は必要ない。好きなだけ自分がおしえたいことをおしえられる。だから父はほぼ現代日本史だけをおしえていたらしい。(今思うと、それでいいのか?)
 開国し、世界の中の一国となってからの日本がどのようなことをしてきたのか。国が、国民が選択してきたことが現在とどうつながっているのか、どのような影響を及ぼしたのか。外国、特にアメリカとの関係と自分たちの暮らしとの関係。
 日本史の教科書にないような、ある意味自分の研究をもとにした授業。それが父の考えた「世界を変える」方法だ。

 ちなみに、父の方法は成功しなかった。
 父は一度だけ選挙に出たことがある。「これまでの教え子たちが投票してくれるから絶対当選する」と言っていたが、当然のことながら大敗。保守王国を革新に導くことはできなかった。いや、そもそも教え子たちは彼を覚えてない、もしくは彼の考えを支持したことはなかったのではないか。支持者ではない私はそう思う。
 父が目指した「世界を変える」は「子どもたちにどんな世界を残したいか」を考えた上での「変えなくては」だったのだろうか。
 一緒に暮らして感じた限りでは、彼が興味を持っていたのは「今」と「自分」と「自分の仲間」。「今の政治」を変える。「今の世の中」を自分がいいと思うものにしたい。
 今を変えれば、子どもたちが生きる世界も変わる。そこまで考えていたとは到底思えない。少なくとも子どもである私が生きる世界をよりよいものにしたい、とはさらさら考えてなかったはず。
 なぜなら、彼から大切にされていると感じたことはないから。彼が常に気にしていたのは自分と自分の仲間。
 自分たちの暮らしをよくしたい。それは私が彼を捨てるまでずっと変わらなかった。

 うちは母も高校教師で、同じように大学時代から活動していた。つまりうちはバリバリの左派。しかし私は自称ノンポリのリベラル。政治に無関心ではないが既存の自民党も共産党も支持しない。かつ、一部の富める人がより富んでいく社会システムはクソ、村社会の一般常識もクソ、個人も国も自分より大きな力に忖度するのはクソだと思っている。
 母は「自分の意見を持ちなさい」と私を教育した。にもかかわらず、自分で考え「こうしたい」と言ったことが母の考えに沿っていないと、「子どもは親の言うことをききなさい」と私の意見を却下。理不尽だが、今となってはネタとなっている。
 うちは少なからず他家とは異なっていた。保育園でも学校でも、そこのルールがうちのルールに抵触するときは、絶対に従わない。「みんなと同じがいいな」と思っていたけれど、身に染み付いているのだろう、どうしたって「みんなと同じ」ことができなかった。先生の言うことが理不尽だと思えば議論を吹っかけ(大抵勝つ)、君が代は絶対に立たないし、歌わない。

 父に比べ、母には愛されていたと感じる。少々、おかしな方向性の愛だったが。母はどうしても私を医者か弁護士にしたかった。自分がなりたかった高学歴の専門職になることが、私の幸せになると考えていた。
 それは親にありがちなことだと思うし、高校卒業後3年もぶらぶらしていたのに見捨てずにいてくれてありがたいと思う。(結果、母が死んで目標を見失い、大学を中退するのだが)
 とにかく母が見ていたのは私の職業だけ。その職業に就けば、私は幸せに暮らせると考えていたように思う。
 肩書や収入が身分を保証する世界。学生運動の闘士として、平等な世界を築きたいと思っていたはずなのに。まあ、「弁護士になって貧しい人たちや困っている人たちの助けになりなさい」と言っていたから、医者や弁護士になってお金儲けをしろということではなかったのかもしれない。

 父は自分生きる世界のことしか考えていなかった。母は私の生きる道だけしか見ていなかった。どちらも「自分の子どもが生きる世界をどんなものにしたいか」は欠けていたと思う。
 母には感謝しているけれど、こんな両親だったから私の中に子どもを持つという選択肢は生まれなかったのかもしれない。
 自分には子どもはいないから、私は父と同じように「今の私の暮らし」だけを考えている。自分が生きる時間だけ、変わらぬ世界が続けばいい。20年後、30年後のことは考えない。
 人生経験の足りない私には、想像できないことがたくさんある。どれだけ想像力を働かせようと思っても及ばないところがある。「もし私が親だったら、」と考えようとしても、何も浮かばない。
 子どもがいないから、未来をよきものにしたいと思わない。これは私だけのなのだろうか。それとも。



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