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夢や目標だけが「やりたいこと」じゃない

「自分がやりたいと思うことがないから、人がやりたいことをやれるようにしたい。それならできるし、たぶん得意だと思う」、そうあの人は言った。
 でもそれって、「誰かがやりたいことをやれるようにサポートする」ことが、あなたのやりたいことではないの? できることだから、得意だからやるってわけじゃない気がするけど。
 一度試しにやってみたら、意外と自分はうまくやれた。自分の能力を発揮できて満足感が得られたし、サポートした人が喜んでるのを見てうれしかった。そうではありませんか? それを人は「やりたいこと」と呼ぶのでは。

 あきらかにわかりやすい「やりたいこと」を掲げる人がいる。いわゆる夢や希望。
 ○○な場所をつくりたいとか、世界を○○にしたいとか、自分と同じ悩みを抱える人を救いたいとか、誰もが自由であり可能性を狭めない社会にしたいとか。熱い思いを言葉に乗せて語る人。
 一方、○○な人を支えたいとか、大きな目標を掲げる人の雑務を引き受けて思う存分活動できるようにしたいとか、耳をすませて小さな声に気づけるようでありたいとか、そっちの「やりたいこと」は日の目を見なかったりする。
 でも、どっちも「やりたいこと」。

 大きな声で高らかに「私はこれをしたいです! これっておもしろいと思いませんか? きっと大きなものができあがると思うんです! だからサポートしてください!!!」と言う人ばかりがもてはやされる。「私はこれをしたいんだ!」という「やりたいこと」を語る人にはスポットライトがあたり、静かに「こういうことがやりたい」と語っても誰も耳を貸さない。
 でもさ、どっちも「やりたいこと」でしょ。大声の目立つものの方が優れてるなんてことはない。ことの大小によっても優劣は決まらない。「やりたいこと」に優劣つけるなんてバカげてる。
 そして、この地には「挑戦を応援するポジッション」なんてもんがあったりする。いやいや、声の大小、事の大小にかかわらず、「やりたい」という声をできるだけ拾うことがあなたの仕事じゃないんですか? 大きな声の「やりたい」なんて誰でも気づくんだから、それをわざわざ拾い上げる必要ありますか? そしてその「やりたいこと」はやりたい人のもので、あなたの実績づくりの道具ではないってわかってますよね?ーーーこれは特定の人(冒頭の人ではない)へのメッセージ

 閑話休題。

 私にはわかりやすい「やりたいこと」と、そうでもない「やりたいこと」の両方がある。

・思いを込めた記事を書く
・お惣菜屋さんになりたい
・人や物事をアーカイブする
・気になる人に話を聞いて回る
・インタビュー集メディアをつくる
・好きな人たちが動きやすいようにサポートする
・表向きの顔から裏の顔を透かし見てアシストする
・損しがちな人が損しないように手助けする
・小さな声を拾って、しかるべきところへ届ける
・好きな人たちが笑顔になれるような、ちょっとしたことをする

 私もシューターではなくアシストが性に合う。副社長や専務としてバックオフィスを切り盛りするようなタイプ。さらにいえば、副社長や専務の秘書として、あるいは部長として実務をガンガンこなすのが得意。(役職は適当に書いてる)
 その人のことが好きで、成功して欲しいと思えば、身を粉にして手伝う。その人がひとつことに集中できるように、それ以外を担うのが私の役回り。
 それが私の得意なことだし、やりたいことのひとつ。でもたぶん、一番得意で一番自分の能力を発揮できる。だからやりがいを感じられるし、またやりたいと思う。

 耳障りのいい夢や目標だけが「やりたいこと」であったら、主役しかいない世界になる。主役を主役たらしめる脇役や裏方がいるから、物語は進む。脇役や裏方にも「やりたいこと」はある。わかりにくくとも「やりたいこと」以外の何物でもないと、私は思う。

 

 (それにね、「街に人通りを増やしたい」って、それは明らかなあなたの「やりたいこと」ですよ。)

 

 


ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす