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ひとりで死ぬ

 昨夜思ったとおり、今夜は熱発で寝込んでいる。38.4℃、暑くて寒くて、頭が痛くて体も痛い。さっきフェイスタオルをぬらしてレンチンしたホットタオルと、冷凍庫にあった小さな保冷剤を2個持ってきた。
 まずはホットタオルで目元をおおい、上に手の親指の付け根の肉厚なところをのせる。押さえるのではなく、ただぽんっと置く。ふくらみがちょうど眼窩にぴたりとはまり、いい具合の指圧となる。
 何度かタオルをひっくり返していたらぬるくなった。寝床の脇の机の空いてるところに広げて置き、今度はタオルを冷やす。もう温くなくなったところで、保冷剤をはさみ、おでこに置いた。そして、その状態で書いている。

 子どもの頃はよく風邪を引いた。虚弱で長生きできないかもと言われたが、もう50を超えた。熱を出して寝ていると、母や父や、両親が仕事に行っている間は祖母や祖父が世話をしてくれた。
 お腹が痛いと言えばお腹をさすり、高熱でつらくて泣くと氷枕を用意してくれる。一、二か月に一度、みんなが優しく大切に扱ってくれた。もうみんな死んでしまった。
 この25年くらいは、それほど風邪を引くこともお腹が痛くなることもない。いや、あるにはあるが、自分でどうにかできないほどのは極々たまにあるだけ。
 ずっとひとりで生きてきたから、こういうときの対処法も心得ているし、起こりそうな気配にも敏感だ。
 事前に「このくらいかな」と予想する。のどの違和感や鼻水の状態、なんとなくの体の様子から、いつ、どういう症状でどの程度のものか読みとって、必要なら動けるうちに買い物に行って準備を整えておく。
 それでも思ったより重いときは、住んでいるシェアハウスの住人に代わりに買いに行ってもらう。コロナらしきときも、そうやって助けてもらった。

 だが、結局のところ、家にはひとり。運んでもらったものを動けなくなる前に冷蔵庫へ入れたり、冷蔵庫から出してお布団の横へ置いておいたりは自分でする。
 もちろん、ネコにエサをやり、水を変える。一日、2回。つらくとも、はってでもやる。泣きながらでもやる。
 ネコは不機嫌な気配は察知するが、しんどいことにはまったく気づかない。お布団にのってきて、いつの間にか真ん中を占拠していたり、お腹が空いただか何だか分からないけれど鳴き続けたり、なんなら頭の横でけんかしたりする。ちっとも看病してくれない。当たり前だけれど。

 今日はそれほどではないが、40℃近い発熱だと死にそうになる。何が、どこがか言葉にできないけれど、とにかくつらい。しんどい。苦しい。
 つらくてつらくて涙が出る。寝返りを打つのも、腕を持ち上げるのもままならない。走ってもないのに息が上がり、はっはっと過呼吸のようになりながら「苦しいよー、つらいよー、苦しいよー」とうめき続ける。
「今夜が峠」とはよく言ったもので、ある瞬間を通過すると一気に楽になる。目を開けると、世界の色が違って見える、本当に。
 そのときまで、ひとりで耐えるしかない。もう目が開くことはないかもしれないと思ったこともあるが、なんとか無事に生き抜いてきた。

 たぶんこれが死だ。目を開けようとするのに開かない。開けようという気すら起きないときもあるので、そんな感じだろうか。意識は体を置き去りにしてお布団を突き抜け沈んでいく。何も考えず、ただ真っ暗な世界にゆっくりと落ちながら暗闇と同化していく。
 怖いかもしれないし、怖いとすら思わないかもしれない。事故ならなおさら一瞬でこの世とのつながりは切れてしまう。あるいは、耐えられないような痛みに、終わりにしてくれと声にならない叫びを上げ続けているだろうか。
 死ぬときは、あの私をなでてさすってくれた手を感じたいと願う。現実世界ではひとりだけれど、死の淵から一歩進んだところに母や祖母がいて、私の手を取ってくれたらいいのに。
 寝込むといつも、そんなことを考える。

  

  

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす