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アンチ結婚式&披露宴

結婚自体、意味不明と思ってるのだが、さらに理解できないのが結婚式と披露宴。

結婚式ってなに?
式にはいろいろ形がある。
・ふたりだけで
・双方の家族で
・双方の家族親戚一堂で
・双方の家族親戚友人知人を集めて

今後の付き合いもあるから、家族や付き合いのある親戚までが顔合わせ的に集まるのは、まだ「そ、そっかー」と言える。
まあ、なんかの際に「配偶者です」と紹介するだけじゃあかんの?と思わないこともないが。

神前でも教会でも好きにしてくれていいのだが、ふたりがなんか神様の前で誓うのを、なぜ人に見せる必要があるのか謎。
知り合い(友だちともいう)が結婚を誓うシーンを見せられて思うのは「へーそうですか」以外にないのだけど。
あとは「ドレス、すてきねー」くらい。

そう、結婚式という晴れやかな場で特別な衣装を着てる私たち、すてきでしょ、見て見てー、と言われてる気がするのだ。それに対して「きれいだねー」「わーすてきー」以外にコメントのしようがない。

そもそも結婚をいいものだと思ってないので「よかったね」とまったく思わないけど、ふたりが幸せそうなら、それはいいことだと思う。
だから平服で「結婚したの」と幸せそうな表情で言われれば、「よかったね、おめでとう」と言える。
でも、「おめでとうって言って」と強制される感のある場で冷めた「おめでとう」を言うのはためらわれる。たとえ冷めていても。

そもそも結婚とは、ふたりの意思では?
ふたりにとって大切なことであって、それ以外の人には関係のないこと。親兄弟であっても、本来は無関係なはず。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない(日本国憲法第二十四条第一項)

※ 個人的には「両性」ではなく「両者」であるべきと思う

ふたりの意思を形とするのが、婚姻届を書くこと。
つまり、結婚式をしたから結婚が成立するのではなく、婚姻届を自由意志に基づき書いて提出したから結婚は成立する。
そこに他者が介入するのは、婚姻届の証人のみ。それも、ふたりが自由意志で書きましたよ、提出しますよ、を保証するための存在でしかない。

結婚をみんなに知らせたいのであれば、メールなり、ハガキなりで知らせれば事足りる。
見たら「そっか、なんかお祝い送ろうかな」となる(かもしれない)。

披露宴もそう。
なにを披露しようというのか?
配偶者とその家族を披露されて、それに2万なり3万なり、会社の上司や親戚であれば5万も払うの、おかしくない?
知らんがな、以外の言葉が浮かばない。
出席したくなければしなくていいと言う人もいるが、そうもいかないのが世の常。付き合いというもので、人は縛られている。

私が参加したのは2回。
中学の頃、親しくしていた同級生からの招待状に「◯◯さんや△△さんも来るからぜひ!」と書かれていたから。同級生たちに久しぶりに会いたくなって行った。
まだ大学入りたてでお金なかったけど、生活費から2万円工面して出した。
しばらく疎遠になっていた同級生たちとは結局、話らしい話はせず、お料理も……で、ただお赤飯と引き出物のドライヤーをもらうのに2万円払った感覚。
花嫁は3度のお色直しで忙しく、特に言葉を交わすこともなく。出口でお見送りのときに握手を交わし「今日は来てくれてありがとう」「ドレスすてきだった、おめでとう」「ありがとう」というのが会話のすべて。

もう一度は、テニス仲間のとき。
特に仲よしではなかったけど、ダブルスのペアの紹介や個人練習に付き合ったりしたからか、お声がかかった。
当時、お金がなく、キャッシングして参加した。
そこまでしてなぜ行ったのか。
結婚に至るまでの紆余曲折を知っていたから。かなり年下の恋人に手酷くフラれ、子どもがどうしても欲しいから結婚したいと紹介やお見合いで何人にも会い、ようやっと出会えたことを知っていたから。だからお祝いしたいと思ったのだ。
が、披露宴は酔っ払ばかりのどんちゃん騒ぎで祝うもへったくれもない有様。
やめとけばよかったと後悔した。

どちらも式披露宴後も付き合いがあったのだが、なぜしたのか聞いてみると見栄と慣習、付き合いのためだった。
家族が盛大にやりたいと言ったから。
家族がお金出してくれるから、好きなドレスを着れると思って。
前に自分が呼ばれたし、今度は呼ぶ番だと思ったから。

結婚式や披露宴ではない、友人を集めたパーティーにも3度参加している。
どちらも付き合いのある友人を招待し、会費は4,000~5,000円。飲み食べ放題にビンゴで景品まで出して、会費を使い切る形だった。
お祝いは含まれてないので、お祝いしたい人たちは個人で、あるいはグループでお祝いの品を持参。考えて買ったのもあれば、新郎新婦に欲しいものを聞いて、その中から選んだものもあった。
新郎新婦それぞれと親しい人たちが30~40人集まっただけなので、参加者同士でも話が弾むし、新郎新婦とも話ができる。仲間内なので、ひどく乱れてセクハラまがいの発言をする人はいないし、間延びして時間を持て余すこともない。

お祝いをしたいと思う人たちが集まる場。
これからも変わらずお付き合いしましょうという確認の場。
なにかをひけらかすことも、見せびらかすこともない。


結婚式や披露宴に人を招待するのはなぜなんだろう。
幸せな私たちを見て欲しいから?
みんなに祝ってもらいたいから?
その欲を満たすべく参じた人たちに、費用を負担してと言うのはおかしくないか?
もちろん、参加は自由で、お祝いとして渡す金額も自由。
だけど、費用がどのくらいかわかっているのに、渡さないなんてことはできない。

参加したら、当然自分のときには招待し返す。そして、招待し返さえれたら、自分のときに来てもらった以上、断ることはできない。
もちろん断ることはできるけれど、人付き合いの観点から断れる人はそういない。

そうして、無駄な呼び合いは続き、無駄な慣習が残っていく。

結婚式も披露宴も、見栄や欲を満たすためのものであり、そこにつけこんだ業界の金儲けの道具でしかない。
にもかかわらず、招待を断るにはそれなりの理由が必要で、理由もなしに断ると人付き合いに影響が出る。
そんな表面的な人付き合いなら切り捨てればいいと言うかもしれないが、そうもいかない。そうできる人が多ければ、こんな慣習は廃れていってるはず。


結婚式も披露宴も、したい人はすればいいし、参加したい人は参加すればいい。
それを私は無駄だなぁと思いながら見ている。



ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす