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そこにいる人

 大好きな友だちは福井県外からやって来た。もう3年くらい、福井で暮らしている。とはいうものの、仕事の多くは県外でのもの。だから福井からどこそこへ、また福井に戻ってしばらくいたのち、どこそこへを繰り返している。
 おととしから週末営業のバーを始めた。撮影や企画など、どれだけ県外で仕事があっても、基本、営業日は休まない。以前は人に任せて一日帰りが遅くなることもあったが、ここ半年以上は必ず自分がお店に立つ。
「続けることが大事」と、他の仕事で数日徹夜していても、体調がよくなくても、納期に詰め寄られていても休まない。

 友だちは福井に来るまで、他の地方でも暮らしていた。同じ生活圏で暮らしたい人がいると移り住んだこともある。けれど、好きだった街が変わっていき、住みたい場所でなくなったこともあるのだとか。
 そして偶然が重なって、福井にやって来た。
 私が初めて会ったのは、2020年のこと。そのときの対応はすばらしかったけれど、しばらくはお店を訪れることはなかった。
 その数か月後、初めてカウンターの内と外で会った。「覚えてますか?」と聞くと「覚えてますよ」と答えたけれど、たぶん話を合わせただけ。便利な二枚舌を持っている人だから。
 いろんな事情が重なって、一部の人しか知らないことに首を突っ込んだり、うち(シェアハウス)に飲みに来て泊まったり、お惣菜屋の背中を押してもらったり、取材を受けてもらったりなど、少しだけ客とマスターの関係からは逸脱している。いや、どうなんだろう、してないのかな。

 ある夜、その友だちと話していたら「どこかに根づきたい」と言った。どう見ても根無草で、所属や所有、束縛をきらっていると思っていたから意外だった。でも大好きな人だから、その望みが叶うことを願っている。
 このところ金曜の夜は客足が鈍いこともあり、今日も顔を出そうかと迷っていた。でも明日もあるし、とパジャマに着替え布団に入った。
 そのときふと思った。あの人はもう根付いてる。
 そこに行けば友だちがいる。そう思って私はバーを訪れる。それはすべての常連客にとってもそう。ここに来れば、その人がいる。だから繰り返し訪れる。
 それはどれだけ他の仕事が忙しくとも、無理をしてでもお店に立ち続けた結果、みんなに「ここにいる」と記憶されたからだ。
 そして「どんな体験を提供できるか」を常に考え、努力したからでもある。友だちが提供する、お酒プラスアルファに価値を見出した人が、また足を運ぶ。
 私たちは「そこにいる」「そこに行けば会える」と、友だちと場所を紐づけている。それは取りも直さず、そこに根づいているということではないか。

 ただそれは外から見て思うこと。本人の実感ではない。私たちがいくら「根づいてるよ」と言っても納得しないだろう。よそから移り住んだ人にしかわからない感覚なのかもしれない。
 これから私もどこかへ行く。知らない土地で暮らすうち、どこまでもふわふわと地に足がついてない感覚を覚えるのだろうか。それはどこか落ち着かない感じなのだろうか。
 でも私は根づきたくないからちょうどいい。どこでも、いつまでも、よそ者でありたい。内側に入るのは苦手だから。
 あ。つまりは、友だちは内側に入りたいのか。遊びを考えては人を集め、なんかかんかやってるけれど、それじゃ足りないのか。でもそれはやはり質(たち)というもので、内側に身を置けるか、置いてる実感を得られるかは人によるのかもしれない。
 根づきたくない私には想像つかないけれど、どうにか友だちが思うように根づくことができますように。と、やはり願うことしかできない。(そして「根づいてるよ」と言いたいけど言うていいもんかわからんから言えない)



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