弱さと強さに嘆く

簡単な二項対立に、思い悩んでいる。「弱さに甘んじで相手にコストを支払わせる弱さ」と「相対的に知能差(情報差も含む)が劣る相手の思考を縛り付ける強さ」の二つがある。どちらか選べと言われた場合、俺は上記二つを選びたく無いと思っている。

穴の空いた「弱さ」は、俺の余剰が無くなった場合、擦り減ってしまう。悪気もない、相手の能力のどうにもならない溝を感じた場合、顔を合わせたく無くなる。高額商品が入っていない一万円自販機のキーホルダーが、永遠に出てくる様だ。
一方で、悪意のある「強さ」は、愛情の欠片も無く、相手の自尊心を砕き、コントロールしやすく、相手に意図的に傷だらけのコースを誘導させる事が出来る。それは醜く、大義もない私利私欲の悪意に満ちている。相対的に劣る相手の思考を確かな悪意で噛み潰し、道端に吐き捨てるガムの様だ。

両極端な表現で入力したが、自分は、強さを押し付けずに、微かな愛情を持ち得たいと思っている。純粋な強さも弱さも相対的な物で、純粋な強さは、いろんな種類があり、強い人ほど、誰かに叱れたいとか、挑んで欲しいと言ったりしているので、身近に観測すると、指摘したいなんて思うが、「アイツ…ワシより強くね?何も言えん」となる。相対的強者を多数見た事や、過去の弱い自分を知っているので、自分は弱い•馬鹿であると公言しているが、それでも、下を見れば、俺は相対的強者であり、相対的強者の中では、自分の公言を否定される事が増えた。なので、卑下して逃げる言動を控えようとしている。

トラブル事の際は、腹の切り方を心得ているから、警察も巻き込むし、ちゃっかりボイスレコーダーで会話を録音したりする日もあった。インターネットで法律を調べて知った気になった日もある(現在は、流石にネットだけだと舐め過ぎなので、自分でも見ながら、弁護士とかに頼む)

脱線したが、穴の空いた「弱さ」に対して、優しく在りたいが、純粋な「強さ」が不足すると、悪意のある、傷つける「強さ」を向けてしまう(すぐに下げる)自分に嫌気がさしている(雑魚狩りをしている気分)。これは、自分の中にある、穴の空いた「弱さ」の甘え、や、逃避が作動しているので、4月迄に蹴りを着けたいと思う。そんな風に、二項対立の「強さ」と「弱さ」に揺れている。

あと、枝葉の分だが、雑魚向けの思考法として、兎に角、多い質問を問答して、フレームワークから質問を導き出して、横と縦を掘る事が、俺が生きてきた中で、雑魚向けの考えるという行為だと思う。

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