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スティーヴン・キング「スタンド・バイ・ミー」読書感想文

初めてのスティーヴン・キング。
映画の原作者とは知っていたし、3本ほど観ていた。

たまたまかもしれないけど、その3本とも、よくわからないまま話が進んで、やがて「軍がきた!」となって、やはりよくわからないまま終わるパターンだった。

それでいて、アメリカでは有名なホラー作家だという。
さらに10年はかかって、映画の『スタンド・バイ・ミー』の原作者でもあるとも自然に知った。

つまりは、興味もなかったスティーヴン・キングだった。

ホラー小説も読んだことがないし、オバケの類は苦手だし、でも『スタンド・バイ・ミー』だったら読んでみたいなと手にとってみた。

すると、すごくおもしろい。
勝手に勘違いしていたようだ
ホラー作家って、暗くて重くるしい人間だと思っていた。

文章は軽快で、シモネタも適度に交じっていて、気の向くままに話が脱線していくもの好みだった。

それと、ホラー作品というのは、よくわからないくらいがちょうどいいと知った読書だった。


『はじめに』の解説

この本には『スタンド・バイ・ミー』と『マンハッタンの奇譚クラブ』の2作がある

表紙の副題には『DIFFERENT SEASONS』とあって、訳されて『恐怖の四季 秋冬編』と記されている。

この『恐怖の四季 秋冬編』が『スタンド・バイ・ミー』として映画化された。

ということは、映画『スタンド・バイ・ミー』は、原作では春夏編があるのか?

それとも、長編の1部なのか?
もともとはホラー作品なのか?

少しの混乱があるが、これについては、スティーヴン・キングは “ はじめに ” で明かしている。

それまでのアメリカでは、ホラー作家として食えた者はいなかったという。

ホラー作家のレッテルを貼られると、その後はやっていけなくなるというのが常識だったが、スティーヴン・キングは連続してホラーを出版して売れて、その常識を壊した。

そして初のホラー以外の『スタンド・バイ・ミー(原題 THE BODY)』を発表するときに、ホラーっぽくて語呂がいいので『恐怖の四季 秋冬編』とつけてみた。

そして編集者が、ホラーっぽいのも1作いれようと『マンハッタンの奇譚クラブ』も一緒に収録した本となったという。

変わったことをやるのが好きらしい。
変わったことが好きだからホラー作家かもしれない。

そして困った。

2作目の『マンハッタンの奇譚クラブ』が、180度に異なるおもしろさで困った。

1960年の夏のメイン州の田舎の12歳の少年たちの冒険の話から、1980年の冬のマンハッタンの地位がある老人たちのホラーテイストの話になる。

やっぱ『スタンド・バイ・ミー』には余韻が残る。

早く次を読みたいのに、2作の間に10日以上は置かなければ読み進めれなかったのが困った。

文庫本|1987年発刊|434ページ|新潮社

■ 原書発表■
1982年

■ 訳・解説 ■
山田順子

『スタンド・バイ・ミー』ネタバレあらすじ

1960年9月のメイン州キャッスル・ロックで

記録となる暑い夏だ、と新聞は報じていた。

暑すぎて、夏休みになってから結成したばかりの野球チームもバラバラになっていた。

わたしたち4人は、汗びっしょりになって、森の中の鉄道沿いを歩いていた。

町から目的地までは、長くみて30マイル(48.2キロ)。
まだ12歳の4人が、そんな遠くまで歩いていけるのか。

少しの躊躇もあったが、出発したときは「いこうぜ!」と勢いづいて、ピーマン畑を横切り、目的地までの道となる鉄道を歩いていた。

陽光のもとで、白く線路が光っていた。
この線路が、わたしの夏のイメージには伴う。

20年後のわたしは、ここに座って、IBMのキーボードの向こうを眺めるようにして、あの緑と褐色の夏を思い出そうとしている。

思うにわたしは、12歳のこのときの仲間のような友人は、その後ひとりも持てなかった。

■ ゴードン・ラチャンス ■
町を出たのは、昼の12時。
キャッスル・リバーの鉄橋を渡り、道のりは半分を過ぎたところだった。

もう、夕方に差しかかっていたが野宿するつもり。
毛布を丸めて洗濯紐で括って、肩から下げていた。

この頃には、小説家になろうと決めていた。

いくつかの小説も書いていたが、1人の友達に見せただけだった。
見せたというより、勝手に読まれた。

まだ文章を書くというのは、マスターベーションのように人知れずに行うものだった。

今では書くことは仕事となり、マスターベーションの喜びは減っている。

出発をする前には、友達の家の庭で1泊のキャンプをすると父には言ってある。

「いいだろう」と答えた父の肩は、がっくりと落ちていた。

父は寂しげに畑に水を撒いていたが、すべてが枯れていた。
目元が不自然にきらめいているのは、涙のせいかもしれない。

その年の4月に、10歳年上の兄が死んでいた。
軍の基地でジープの事故だった。

63歳の父は退職していて、祖父といってもよかった。
兄のことしか気にしてなかった。

わたしは番狂わせで生まれた。
50代になってからの番狂わせは、30代ほど好まれない。
わたしも、それほどすばらしい幸運とは思わなかった。

毛布をとりに2階に上がった。
突き当たりにある兄の部屋は、仮死していた。

「おまえが死ねばよかったのに」という血だらけの兄の幽霊も想像もした。

■ クリス・チェンバース ■
先に2人が歩くあとに、わたしとクリスが歩いていた。

クリスは、わたしには小説の才能があるから、立派な作家になるという。

この町で俺たちと同じように過ごしてはいけない、高校を卒業したら都会にいくようにいう。

兄が死んだあとの、わたしの両親の様子も察していた。
「おまえのことなど気にしちゃいないだろ」とも言い切る。

殴られるのを覚悟している横顔だった。
相手の親の悪口をいうと殴られるという、当時の子供の基本ルールを破ったのだ。

「俺がおまえの父親だったらな」と顔にしわを寄せて続けたが、こんな話し方をするクリスは、まだ12歳だった。

クリスの父親はというと、酒ばかり飲んで、生活保護を受けたり受けなかったりしていた。
母親は、子供を置いて隣町に逃げていた。

暴力もあって、2週間に1日かそこらは、頬や片方の目を腫らして学校に来ていた。

町で問題とされている兄弟というのを、クリスは十分にわかっていた。

長兄は、強姦事件をおこして刑務所にいる。
次兄は、不良として素行がわるい。

話は、クリスの停学に移った。
クリスが当番で牛乳代を集めて、その金が消えたのだった。

なにも訊かれもせずに、ぽいっと3日間の停学処分となっただけだとクリスは自嘲する。

わたしが今までそれを確かめなかったのは、クリスが盗ってないと思っていたからだった。

だけどクリスは盗ったと明かした。
あとで反省して、土曜日になって、先生にお金は返したとも。

いや、返したかもしれないと、先生も受け取ったかもしれないと言い直す。

誰が信じるのかと、クリスが泣きそうになっているのに気がついた。

わたしは、そのあとの月曜日を覚えていた。
クリスは停学になっていて、お金はなくなったままになっていて、その先生は新しいスカートを履いて学校にきていた。

■ テディ・デュシャン ■
先を歩いていたテディが立ち止まって「おい、はやくこいよ、クズども!」と振り向いた。

じっとしてないテディだった。
将来は軍隊に入るのが夢で、ちょっと高いところがあれば「落下傘部隊だ!」と声を上げて飛び降りる。

仲間うちでは、とてつもないヤツだった。
“ トラックかわし ” も、うまくやりおおせてしまう。

道路の真ん中に飛び出して、スレスレでトラックをかわすゲームだ。
数センチの差でかわしたときもあった。

さっきは “ トラックかわし ” と同じことを、汽車にやろうとして、わたしは止めようと線路脇に引っ張り込んだ。

テディは怒って小突いてきて、言い合いになって、ケンカになりかけたのをクリスが割って入ったのだった。

その後にも、テディは大騒ぎした。
町営のゴミ捨て場に無断で入り込んで、井戸の水を飲んだときだ。

太っちょの管理人に見つかって、犬をけしかけられた。
フェンスの向こうに逃げてからは、金網越しに吠えまくる犬を蹴ったのだけど、太っちょは怒った。

狭い町だった。
大人は、わたしたち4人を知っている。
太っちょも知っていた。

テディの父親が精神病院に入っているのも知っており「き○がいの息子!」と罵った。

大戦中はノルマンディー上陸作戦で戦った父親だったが、精神を病んで入院しているのだ。

さっきテディは、その太っちょの罵倒を思い出して、泣きながら悔しがって歩いていた。

クリスが子守唄のような口調でなだめて、気持ちを落ち着かせていた。

元気づけて、背中をポンッと叩いてもいた。
そういうのが、いちばん上手な少年だった。

わたしは、とても不思議に思っていた。

テディが両耳に補聴器をしているのは、その父親が入院する前に、薪ストーブに耳を押し付けられて焼かれたからだった。

それなのに、どうしてこうも、父親を大切に思っていられるのか。

そしてわたしが、父から冷たい扱いを受けたという気はなく、ぶたれたこともないのに、大して気にかけているように思えないのはなぜだろうか。

■ バーン・テシオ ■
一緒に歩くもう1人は、バーンだった。
比べれば、おとなしくて気も弱い。

運もわるいバーンだった。
途中でキャッスル・リバーにかかった鉄橋を渡ったときにも、1日に2度ほどしか通らない汽車が、そのときに限ってやって来たのだ。

当時のキャッスル・リバーは、100ヤード(90メートル)ほどの川幅があった。

それから数年のうちに、いくつもダムも工場もできて川幅は狭くなったが。

ともかく、動きもトロいバーンだった。
さっさと渡ればよかったのに、怖いだのなんだのとグズグズしているうちに汽車が来たのだった。

わたしは早く走れたが、バーンは泣いて「ちくしょう!」と叫びながら必死に走っていた。

よく泣くバーンだった。
このあと野宿した夜中にも、すぐに泣いていた。

真夜中に、変な鳴き声が森の中に響いたのだ。
クリスは、さかりのついた山猫だというが、バーンはあの子が泣いているという。

■ レイ・ブラワー ■
あの子とは、レイ・ブラワーだ。

隣町の12歳で、ブルーベリーを積みにいって行方不明となっていると、ラジオでは繰り返し流されていた。

バーンの兄たちが、この先の線路脇で死んでいるのを発見していた。

迷子になったまま夜になり、線路を歩いているうちに、汽車にはねられたらしい。

今のメイン州の南西部では、そんなことはありえない。
大部分の地域が、郊外住宅地として開発されている。

アスファルトの道路も、あちこちに通っている。
当時は、森の中で方向を見失い、そのまま死んでしまうこともあった。

死体を発見したバーンの兄たちだったが、車を盗んでドライブしていたので、警察には通報せずに黙っていようとなる。

それを偶然に知り、死体の第1発見者になるために、皆で向かっていたのだ。

レイ・ブラワーに興味を持ったのは、同じ12歳だったからだと思う。

ラジオのニュースでは、ケネディとニクソンや、カストロのクソッタレと流れていたが、12歳にはつまらない話だった。

目的地についたのは、翌日の午後3時半すぎ。
線路の下の茂みの中から、見えたのだ。
彼の青白い手が。

一段と激しくなってきた雨は、死体を発見したことを非難して、驚いているようだった。

■ エース・メリル ■

「俺から離れるなよ、ゴーディー」
「・・・」

クリスはピストルを構えて、傍らのわたしに言ってきた。
銃口は、エースに向けられていた。

「離れずに、いてくれよ」
「ちゃんと、ここにいるよ」

クリスの声は低く震えていた。
わたしは傍にいながら答えた。

突然にエースたちが向こうからやってきて、どちらが死体の第1発見者になるのか、言い争った末のピストルだった。
家から持ち出してきたピストルだった。

エースたち不良の7人は、死体の第1発見者になってラジオに出てやろうとして、2台の車に分乗してやってきていた。
クリスとバーンの兄貴もいた。

ピストルを向けられたエースは、一瞬はたじろいだが、どうせ撃てないだろうと引かない。
言い合うクリスのほうは、口調が真剣になっていた。

突然に雨が激しくなる。

遠くで雷も鳴ると、バーンが悲鳴をあげて泣いて、土手を駆け上がって逃げていった。
1分くらい耐えてから、テディも後を追って逃げた。

わたしは、急に怒りを覚えていた。
最後の瞬間になって、ひょっこりと現れた彼らに。

当然のようにして横取りしようとしている、体の大きい年上の彼らに。

なによりも、車でやってきたのが激怒させた。
わたしたちが、どうやってここまで来たのか聞かせてやりたかった。

さらにエースは、わたしに向かって、兄だったら皆に手を引くように話していたとも笑顔で言ってきた。

「オレのデカブツを舐めるんだな!ケチなチンピラめ!」と、それに対して口から出てきたのは、自分でも信じられない言葉だった。

エースは見事に、口をOの字にした。
両側にいる誰もが、突然すぎて唖然としていた。

エースには、さんざんと悪態をついた。

「貴様の母親は、ジュークボックスのコインほしさに男のアレをくわえるんだってな!」とまで、クリスはピストルを構えたまま言い放つ。

それまでは余裕ぶって笑みを浮かべていたエースだったが、母親の侮辱には「殺してやる!」と怒りまくっていた。

が、ピストルから1発が足元に向けて発射されると「また会おうぜ」と言い捨てて、皆を連れて帰っていった。

■ 一晩中歩いて帰る ■
帰りは、誰もそんなにも話さなかった。

わたしは歩きながら、そのまま置いてきた、置かざるを得なかった、レイ・ブラワーの死体のことばかり考えていた。

町についたときは、明け方の5時を過ぎたころ。
4人は一晩中歩いたのだ。

誰もが、足にはマメができていた。
腹も減っていたし、疲れきっていた。

やっと、いつもの溜り場にしているツリーハウスが見えて、4人の足が止まった。

「怒っちゃいないだろ、な?」と、テディはバツが悪そうに、クリスに話しかけた。
あのエースたちを、追い返した後のことを気にしている。

逃げたテディとバーンを責めて、クリスは声を上げて泣いたのだ。
はじめて目にするクリスの姿だった。

そのときのクリスは、静かに訊き返した。
「俺たちはやったんだよな?」と。

皆の顔がほころんで、口々に応じて、いくつかの冗談を言い合って、握手をして別れた。

クリスとは少し歩いた。
お互いに黙ったままで、町は静まりかえっていた。

わたしは森の中で聞いたクリスの停学の話を思い出していたが、クリスもそれを話しはじめた。

誰も知らない土地にいって黒星なしでスタートしたい、でも、それができるのか。

朝の光の中で「俺は、この町から出ていけないのだろうな」と話すクリスの目は暗かった。

家では、不良の兄貴が待っているにちがいない。
なにかを言いたかったが、なにも言えないまま、家の近くの角まできた。

クリスとは、もう1度、握手をして別れた。

家に帰った。
体を拭いて着替えて、キッチンで食べる物を用意して座ると、母が起きてきた。

バーンの家の庭でキャンプとなっていたが、無断のまま2泊に伸びていた。

それを確かめてもいなかった母は、朝早くは兄を思い出すと呟いただけだった。

あの子はいつも窓を開けて寝ていた、毛布をアゴまでかけていた、と呟き終えてから背を向けて、すすり泣くようなため息をついた。

わたしは食べ続けた。
体が小刻みに震えていた。

話はそれで終わったのではなかった

レイ・ブラワーの死体は発見された。
エースが、匿名で警察に電話したらしい。

4人が嘘をついて遠出したのも、どの親にもばれることがなかった。

が、話はそれで終わったのではなかった。

週明けには新学期がはじまり、学校からの帰り道だった。
52年型フォードが、歩道の縁石に乗り上げてきた。

目の前に停まり、ドアが開いて出てきたのは、エースともう1人だった。

わたしは逃げたが、捕まり殴られて、金玉を蹴り上げられて、地面を引きずれて、また蹴られた。

クリスはもっとひどかった。
両腕を折られた。

わたしもクリスも病院にいったが、相手が誰なのかわからないで通した。
あの死体は、わたしたちのもので正しかったのだ。

テディは3人に殴られて闘おうとしたが、メガネが壊れたので盲人のようになってしまい、あとは放っておかれただけだった。

バーンは兄貴に殴られ気絶。
死んだと勘違いされて、それ以上はなかった。

わたしたち4人が、ギプスをして痣をつくって学校にいくと、上級生と男らしくやりあったなどと噂が飛び交った。

噂はどれも的外れだったが、変化がおきた。

テディとバーンが、わたしたちから離れて、新しいグループをつくった。
気弱な者ばかりのグループだった。

2人は、彼らをツリーハウスに集めてコキ使い、将軍のようにいばりはじめた。

わたしとクリスは、ツリーハウスには行かなくなる。

1年後には、テディとバーンとは廊下で顔を合わせても、軽く手をあげて挨拶をするくらいの仲となった。

10年後になって

クリスとは、多くを過ごした。
ほとんど毎晩、一緒に勉強をするようになった。

クリスは、進学コースに登録したのだった。
教師からは、進学は無理だといわれた。

友人たちからは腰抜けと路上でからかわれたし、父親からも気取り屋だとワインの瓶で頭を殴られたが、怪物のように勉強をして、メイン州立大学に受かったのだ。

その前の1966年に、バーンは火事で死んでいる。

おんぼろアパートでパーティーをして、ベッドルームで寝ているときに、誰かの煙草から出火。
運わるく逃げ遅れた。

1971年に、テディは自動車事故で死んだ。
酒を飲んで運転して、スピードを出して電柱に激突した。

結局は、軍隊に入れなかったテディだった。
空軍からは拒否されて、陸軍の徴兵検査では低い等級として除外されただけだった。

ビリヤード場や、ダンスホールをうろつくようになって、高校を1年留学。
卒業してからは、公共事業団に就職していた。

その同じ年の少しあと。
クリスも死んだ。

3個のチキンを買いにいき、目の前の2人がどっちが先かで言い争いになり、1人がナイフを抜いた。

割って入ったクリスは、喉をナイフを突かれて即死した。
弁護士を目指していたクリスだった。

わたしは、クリスの死を新聞で知った。
教師になって、結婚していて、小説を書こうとしていた頃だった。

ラスト、5ページ

わたしは作家になった。
クズのようなものを書くと、多くの批評されながらも、本は売れて映画化もされた。

3人の子供もいる。
すべてが26歳になるまでおこった。

自分のしていることが、意味があるのか心配にはなる。
“ ごっこ遊び ” で、人間が金持ちになれる世界を作ろうとしているのかと不安にもなる。

しかし、エースに再会したときだけはおもしろかった。

最後に帰省したときだ。

3時の時報の直後に、77年型フォードに乗ったエースが工場から出てきた。
するどいハンサムな顔は、肉の雪崩の中に埋もれていた。

わたしは新聞を買いに町に出ていた。
車を降りたエースは、道を渡ろうとしていたわたしのほうをチラッと見た。

以前に鼻を折った相手だと認めたしるしなど、まったく見えなかった。

友達は死んでしまった。
が、エースは生きている。

エースを見守っていると、デカ尻のズボンを引っ張りあげて、酒場の扉を開けた。

そのとき、酒場に充満しているカントリー・ウェスタンの一節と、すっぱい酒の匂いを想像することができた。

わたしは思った。
そう、これが現在のエースなんだと。

左手を見ると、今はもう川幅は狭くなっているが、少しは水がきれいになったキャッスル・リバーが見えた。

上流にあった、あの鉄橋はなくなったが、川はまだ流れている。

そしてわたしもまた、そうだ。

『マンハッタンの奇譚クラブ』ネタバレあらすじ

マキャロン医師は語る

そのクラブには、名称もなく、目的もなく、交流もない。
高齢のメンバーは15名に満たない

東35ストリート249Bにあるビルのフロアには、大きな暖炉のメインルームがある。

暖炉には『語る者ではなく、語られる者こそ』と彫りこまれていた。

図書室もあり、読書するスペースもあり、別の部屋にはビリヤード台も置かれている。

ある者は暖炉の前で酒を飲み過ごし、ある者は本を読み、ある者はビリヤードをしたりする。

ただ、それだけ。
クラブとはいえないかもしれない。

クリスマスには、誰かがとっておきの話をするのが恒例だった。

その年のクリスマスは、80歳の元産婦人科の医師のマキャロンが語る。

1935年の出来事だ。
マジソン・スクエア・ガーデンの向かいにあるバロット・ホワイト病院だった。

ジェーン・スミスという、明らかに偽名の女性が診察を受けた。
結婚指輪をしてない女性だった。

当時そうした場合は、すべてといっていいほど女性は偽名で病院に訪れていた。

妊娠が判明すると、ためらったり、頬を赤らめたり、足元をもじもじさせたり、涙ぐんだりする。

未婚で妊娠したものなら「あばずれ!」と呼ばれる。
毒を飲んだり、ビルから飛び降りる女性も多くいた。

そんな中、ジェーン・スミスは毅然としていて、平静を保ち、てきぱきと事務的に偽名を記していた。

意思の強い女性だとマキャロンは感心した。

が、お腹が大きくなった彼女は「淫売女はいらない!」と勤めていたデパートを即日解雇となる。

大家の態度も変わり「未婚の母親など住んでほしくない!」とアパートからも追い出された。

それが普通の、時代と社会だった。

2ドルの結婚指輪を質屋で買い、新たなアパートではその指輪をつけて未亡人と偽り、子供を生もうとしていた。

こんなもので人が判断されていると、診察室では買った指輪を見せてきて、涙をこぼす彼女だった。

しかし病院を出ると、ニューヨークの街を自分の場所のようにして、人が行き交う道の真ん中を歩いていった。

予定日はクリスマス前

予定日には陣痛がはじまり、タクシーで病院へ向かう。

しかし渋滞している。
1時間が過ぎた。

その間、彼女はタクシーの車内で、教わったラマーズ法の呼吸を繰り返していた。
当時は最新のラマーズ法だった。

タクシーの運転手は親切で、心配もして気遣っていた。
病院が見えて加速したが、路面は凍結していた。

車体はスピンして、衝突して大破して、彼女は車外へ放り出された。
事故を目にしたマキャロンは駆け寄る。

彼女の体には首がなかった。

しかし、体は呼吸法を続けている。
喉はヒュッヒュッと笛のように鳴っている。

死んだ彼女は、いや、死んだといえない彼女は、子供を生み出そうとしていた。

救急隊員も看護師も「ばけものだ」と気味悪がって近づかない中で、マキャロンは路上で出産された子供を取り上げた。

転がったままになっていた彼女の首を持つ。
その目は、依然と気概にあふれていて、こちらを見つめていた。

唇が動いた。

『ありがとう、マキャロン、せんせい』

そう3語が読み取れた。
ぼうやだよ、とマキャロンは語りかけた。

『ぼうや・・・』

唇が動いて、静かに止まった。
目も静かに焦点を失い、気概の色も失せた。

その子供は、今は45歳の立派な大人になっている。

ラスト、4ページ

メンバーは、それぞれ帰る。

すべての世話をするスティーブンスが、ひとりひとりを玄関で見送る。

執事ともいえる申し分ない対応をするスティーブンスだが、クラブには気になる点がいくつかある。

図書室の本の出版社は、ここ以外では存在しない。
ビリヤード台のメーカーも、ここ以外では存在しない。

それらをティーブンスに確めようとしたがやめた。
かわりに、ひとつだけ訊いた。

「もっと、物語は聞けるのかな?」
「はい、ここには、いつも物語がございます」

ティーブンスはコートを広げて、私はそれに腕を通した。

説明はできないが、そういう世界も存在する。
切断された彼女の首が話す世界もある。

いつも物語はある。
実際に、その通りだった。

そして、いつかある日、また別の話をお聞かせできるだろう。