第二章-3項 もし否定されたら 逆説思考(パラドックス・シンキング)

(拙著の宣伝です:笑)
マイナスのストロークは、
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げに恐ろしき惨禍を招く不幸の呪文であることをお分かり頂けたでしょう。

その呪文を何気なく使ってしまうのは、世の中が面白くないように出来ているから。

純粋な人ほどマイナスのストロークを出して悩む矛盾

「そんなに面白くない世の中じゃあ、夢も希望も無いじゃないか…」
と絶望させたかったわけじゃありませんよ?お間違えにならないで下さいね。

そりゃあ、「可能性に満ちた 素晴らしい世の中を 面白おかしく生きよう!」なんてヘタな慰めのほうが、当たりは柔らかいでしょう。

では、そんな慰めで、問題の本質が解決しますか?

ありもしない明るい見通しを信じて、座して待っていて、思いがけない幸運に恵まれるほど、世の中は甘くないのと違います?

世の中、良いことばかりじゃありません、絶望したくなることだってある。

その現実を知ることで、プラスのストロークを放たなければならない理由が浮き彫りになってきます。

つまり、他の誰でもない、あなた自身で面白くしなければ、いつまで経っても面白くないままなのです。

世の中は甘くない。甘いの反対は辛(から)い。辛(から)いは辛(つら)いとも読みますよね?世の中はツラいの。


だから、現実を直視し、面白くない世の中だからこそマイナスのスロトークを封じ、あなたが面白いと思えるために、プラスのストロークを放ち続けるのです。あなたが愛されるために。人々から認められて幸せに暮らすために。

とはいっても、純粋な人ほどマイナスのストロークを出してしまいがち。ピュア(純粋)な人というのは、やましい心根が有るか無いかではなく、疑うことを知らない人のことです。

純粋な人ほど、見聞きしたものに対し、それが本当かどうか確信を持たないまま
「へえ、そうなんだ」
と信じてしまう。とくに、専門家の意見というだけで、
「ほー。なるほど」
と感心してしまう。

これをマーケティングではオーソリティ・エンドースメント(AuthorityEndorsement:権威者の承認)といいます。その道の権威者が認めたことは正しいと思いがちなんですね。

それが間違っていると分ったとき「違うじゃん」「ウソつき」「信じられない」と憤慨する。事実と食い違う現実に悩む。そんな苦悩に苛(さいな)まれないためにも、現実を知っておく必要があるのです。

あなたは専門家を信じますか?調査の結果を信じますか?

その道の専門家だからといって、全てを知り尽くしているわけじゃないんですよ?弁護士が六法全書を諳(そら)んじられますか?

たとえば私は、マーケティングの専門家ですから、マーケティングに関しては、大体のことを知っています。

が、「ジムコブスの99のオファー」を全て諳んじろといってもムリです。アンチョコがなければ答えられません。

学校の教師だってそうです。アンチョコがあるから「教師でござい」と、堂々と教壇に立てる。

とはいえ、模試で100点満点を取れる教師が何人いますか?仮に、アンチョコがなくとも100点満点を取れるかどうか、どこかのテレビ番組で企画したら面白いかも知れません。

フジテレビ系列の番組「平成教育委員会」で、その道のプロ達が100点満点を取れないのと同じ結果になるでしょう。

友人の内科医は、「現代の西洋医学で治せる病気は20%に過ぎない。80%は治せない」と、コッソリ語ってくれました。

「医者だからといって完璧ではない。病気の二割しか治せないし、医療ミスだって有り得る。医者は神様じゃない」と。


別に、先生と呼ばれる職業を見下しているわけじゃありません。人は、忘れる生き物ですから、全ての記憶を保っていられないのです。

先生と呼ばれる職業の全てが、生き字引であるはずはない。忘れて当然だし、知らなくて当然。だって人間だもの。

専門家でさえ、この通りです。いわんや素人をや。

仕事か趣味の領域でもない限り、私達は極めてアヤフヤな知識のまま、話の深層まで理解せず、確かめもせず、何気なく会話しています。

たとえば、アンケートという言葉は英語だと思っていませんか?英語ではありませんよ?フランス語です。

第60代総理の苗字にしたって、安部なんだか、阿部なんだか、安倍なんだか、安陪なんだか、阿倍なんだか、絶対確実100%の自信を持てないまま、「アベ首相が云々」と会話していませんか?

調査(リサーチ)に至っては、分析次第で、何とでも解釈できます。たとえば、国税庁が発表した日本のサラリーマンの平均年収は454万円。


平均なので、「450万円が普通」とか「過半数が450万円」などと思ったら大間違い。
年齢別、性別、勤続年数別、業種別、職階別、資本金別、企業規模別に差があるのは当然として、数字のマジックもあるのです。

わかりやすく極端に例えれば、年収1500万円が15人いるとすれば、85人は年収265万円です。

15対85ですから、年収265万円のほうが圧倒的に多い。しかし、平均450万円といわれれば、450万円のほうが多いように感じてしまう。これが「平均年収450万円」のカラクリ。

マーケティング的には、とても平均値だけを信じるワケにはいきません。平均値に加えて、最頻値と中央値の3つが最低でも揃っていなければならない。


しかし、報じられるのはナゼか平均値のみ。省庁は「平均年収が450万円なんだから、みんな、並の暮らしは確保できているよね。日本は豊かだね。税金を払えるよね」とでも言いたいのでしょうか。これが情報操作というヤツです。

ならば「最初から信じなきゃイーじゃん」なんていいません。せめて、一旦は自分で考えてみましょうよ。その考え方が逆説(paradox:パラドックス)です。

断らずに断る!表裏を使い分ける4つの方法

あなたの視点が表だとすると、あなたとは正反対の裏の視点もあります。とくに、私たち日本人は、表裏の使い分けがうまい。

京都で、
「ぶぶづけ(お茶漬け)でも食べはっておくれやす」
と勧める本意は「(お茶漬けのような粗餐しか用意できないので)帰って下さい」という意味であることが有名になったこんにち、かの地では、お茶漬けを饗するときに、
「ぶぶづけ出すさかいゆうて、帰ってほし思てるわけやないで」
と、わざわざ補足することがあるとか。

おぶづけの話は、
「食事をどうぞ」=「帰って下さい」
という日本語の表裏を面白おかしく表現した例え話ですが、日本には、断らずに断ることで、集団の和を乱さないように努める風習があります。ストレートに言えば角が立つから、婉曲な言い方で「あ、そうか」と、気づかせる。特に、女性が上手。

こうした暗黙のルールは、風習や文化を同じくする集団の中で通じます。ファーストネームとファミリーネームの順序のように、組織あっての個人を重んじる農耕土着型の日本的思考に対し、個人あっての組織である狩猟移動型の欧米的思考が異なるようなもので、日本は集団を重んじますから、和を乱さない表裏の使い分けを自然と身につけています。

あなたが日本人だとしたら、あなたにも使い分けられます。その表裏を使い分ける具体的な方法は4つ。

客観的に考えられる逆説思考(パラドックス・シンキング:ParadoxThinking)

逆説の思考は、プラス思考とは異なります。だって、コーヒーをこぼして「あー、良かった」とは到底思えませんよね?

誰だって「あーあ。コーヒーは飲めなくなるし、床や服は汚れるし、後始末もしなくちゃ」と面白くない。

そんな時は、コーヒーがこぼれた事実について考えてみましょう。「どうしてコーヒーはこぼれたか?」

「こぼした人が不注意だから」なんて、犯行の動機当てクイズじゃありませんよ?こぼした本人の不注意だなんて、誰が見ても分りきったこと。

そんな原因や動機を探り当てたところで何の解決にもなりません。目の前にある結果の意味を考えてみるのです。

もしかしたら「飲むな」ということかも知れません。「床を掃除しなさい」ということかも知れません。

「服を洗濯しなさい」ということかも知れません。そうやって逆に考えれば、こぼした結果に対する怒りの矛先は、床の掃除や洗濯という、建設的な方向へ針路変更しますよね?

あなたの視点、つまり、あなたにとって表から見れば、こぼした結果は面白くないのものです。が、あなたではない視点、つまり、他の人から見れば、

「後悔したって、事態は好転しないんだから、さっさと後始末すれば?」

という程度のことなのです。他人の観察なんて、そんなもんなんですよ。

親兄弟でもない限り、あなたと一緒になって「コーヒーがこぼれたなんて!何と言うことだ」と憤慨する人は誰もいない。


お分かりになりますか?逆説によって、あなたではない他人の立場で、客観的に考えることができるようになります。まったく別の視点が生まれるわけです。

そうした考え方が日本人は上手で、形ある物を壊したとき、それが商品であれば弁償するのが世界各国共通の認識ですが、日本だけは独自の視点をもっていて、たとえば重要文化財の雪峯(本阿弥光悦・作)のように、壊れた茶碗を金や銀で繋ぐことによって、元の形よりも趣のある茶碗に仕立て直し、さらに価値を高めてしまいます。

この手法は、金継ぎ、あるいは銀継ぎといって、何百年も前から陶芸によって伝えられてきました。

壊れたものや、失われたものを悔やむ気持ちは誰にでもあります。が、後悔先に立たずといわれる通り、悔やんでばかりいても問題は解決しません。

壊れたとき、失われたとき、どうするか?逆説によって逆の視点で考える方法もあるのです。それが逆説思考(パラドックス・シンキング:ParadoxThinking)

相手の身に置き換える逆説思考

逆説によって、相手の身に置き換えることも出来ます。

ガミガミ怒鳴る指導者(親や上司や教師)がいたら、誰しも「うるせえ」と思うことでしょう。
もっと過激に「こいつは、自分のことが嫌いなのかな?」と思う人もいるはずです。

では、ガミガミ怒鳴る現象を逆説で考えてみましょうか。もしかしたら、怒鳴っている人は、あなたに苛立っているのではなく、二日酔いだとか、急いでいるといった理由で、自分に苛立っているのかも知れません。

要するに、八つ当たりです。別に、あなたが悪いわけじゃない。

もしかしたら、「ガミガミ怒鳴るしか教え方を知らない人」かも知れません。
何に対してもガミガミ怒鳴る、そういう性質の人なのかも知れません。

どれもこれも、怒鳴る本人の問題ですから、あなたが矯正できるものではありません。あなたが出来ることは、あなたの受け取め方を変えること。


ひとつ実例を挙げましょう。

ある30歳の男性が独立して、会社を創立したての頃、とても厳しい顧客に巡り会いました。

打ち合わせに行くのが厭になるほど厳しかった。仕事の内容にも厳しかったし、予算にも厳しかったし、求める仕事レベルも高かった。

「そんなの、ムリな要求だよ!」

と、彼は心の中で、よく毒づいたものです。その顧客から電話があると、「今度はどんな難題だ?」
と怯えたこともありました。その顧客から仕事を請けたくなかったくらいです。

あまりの厳しさに音をあげると
「な~んだ。お前もその程度のヤツか」
と鼻で笑われたりしました。


「くっそ~。挫けんぞ」と思って、提示された壁を打開しようと奮起したこと幾多。

そうして年が明け、年始のご挨拶にご自宅へ伺った彼は、奥様から「あなたが噂の…」と言われました。曰く、

「めったに人を褒めないウチの人が、いつも、あなただけは褒めるんです。彼は大きく成長するだろうって」

ブッたまげました!社員でも部下でもない、単なる外注先の彼を、厳しく育てようとしてくれていたなんて!そんなことを口にする顧客じゃありませんから、初めて知りました。

道理で、レベルの高い要求があったり、机を叩いて怒鳴ったり、敢えて厳しいことをおっしゃっていたわけです。

あなたも、顧客に机を叩きながら怒鳴られてごらんなさい?本当に身のすくむ思いがしますよ。


つまりは、すべて、獅子の谷おとしだったんです。それを知らずに「厭だなあ」と思っていた彼は、浅はかな自分に情けなくなり、心の中で何度も何度も自分で自分を殴りました。
大バカ野郎だ!オレは…。ちくしょう…。

それからというもの、どんなにハイレベルな要求であっても、全力で乗り越えるようにしました。

文句は言わない。音(ね)をあげない。四の五の言う前に、まず動く。「ムリだ。できない」と思ったら、

「待てよ。どうして出来ないんだ?人脈の問題かな?それとも自分の能力の問題かな?金銭の問題かな?」
と逆説するようにしました。

できないということは、できない理由があるはずです。それを見つけるのです。

ただ嫌がっているだけでは何の解決にもなりません。


では、どうすれば見つけられるのか?その方法が「逆説の思考」だったのです。

できない理由を逆説すると、できることになる。

逆説して「そうか!ここが問題だったんだ」と判ったら、その壁を乗り越えるための方策を考え、その理由を客観的に説明して理解してもらう。逆に考えることによって、依頼主の立場で考えられるようになるのです。

そうすると、顧客から、「こんな方法もあるだろう?」と、「あっ!」と驚くマーケティング技法を教えてもらったりしました。

顧客は、彼以上にマーケティング数十年のプロです。彼が知らないことを知っているし、経験してきたし、勉強してきたし、実現してきたわけです。

このようにして、全力で仕事をこなすようにしていたところ、知らないところで「信頼」という付加価値がついていたようで、紹介に継ぐ紹介で仕事が入ってくるようになりました。
「やつは、できる」
「やつに頼めば、何とかしてくれる」
と。


「ほう。じゃあ一度お願いしてみようか」
となって、名刺交換したことない人からも
「一度、来社してほしい」と、電話が入るようになりました。

彼とは私のことです。以上は私が実体験した実話です。

思えば、
「あの顧客から仕事を請けたくないなあ。嫌だなあ」
と思った時、自分の心の赴くままに断っていたら、その後の好循環は生まれなかったでしょう。

人は、何を考えているか分らないものです。

「いやがらせか?」と思えることでも、じつは、暖かい導きだったりすることもあります。
もちろん、本当に嫌がらせだったりすることもありますが、それが立証されない時点では、あなたの単なる思い込みや、先入観であったりすることがあります。

先入観というと、大したことのないように聞こえますが、思い込みによって、自分で自分の未来を決め付けているようなものです。否定の未来に好循環は有り得ません。


もし、「あのやろう」と悪意をもったら、逆説の思考を使って、
「悪い人じゃないかも」
と考えてみてください。悪意をもったって、な~んにも良いことは無いんですから。

面白くないことを逆に考えることによって、相手の立場で考えられるようになり、あなた以外の視点を得ることができるでしょう。

心頭を滅却すれば火も亦た涼しい逆説思考

時は戦国時代。織田軍の焼き討ちに遭った恵林寺の快川和尚は、

「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」

と、中国は杜荀鶴(とじゅんかく)の詩を転用して辞世の句を読み、座して焼死しました。
「雑念を取り払えば、火さえも涼しくなる」
と心を静め、猛火に包まれたのです。とても常人には出来ません。

それを知ってか知らずか、私の友人にも、同じ考え方をする若者がいました。夏の炎天下でも「暑くない」という彼の考え方は、

「夏は暑いのが当たり前。だから、30度くらいじゃ暑くない。40度になったら、夏にしては暑い」

そこまで気温が上昇するまでは、絶対に「暑い」と言わない。なぜなら「暑い」というと、本当に暑く感じて、気だるくなってきて、ヤル気が失せるから。だから、暑いと感じたら、「暑くない」と言う。


実際、私が「暑いな」というと、
「いや~、ぜんぜん暑くないよ。これくらいが普通だよ。だって、夏だもん」
と笑っていました。この調子で、冬も
「寒くない。だって冬は寒いんだもん、氷点下になったら、冬にしては寒いってカンジ」
と笑う。

人間が快適に感じる温度は20~25℃。しかし自然界は、いつもその温度に調節してくれません。
自然が調節してくれないのなら、自分で調節するしかありません。

そこで人間は、発汗で暑さを凌ぎますし、寒いときは服を着ます。が、それでも暑いものは暑い。寒いものは寒い。

それだからといって、暑いものは暑いから、「あー、暑い、暑い」といったところで、涼しくなるなら良し。

むしろ、かえって暑さを感じるようなら、暑いと言わないほうが良いという考え方。


同じように、つらいときはワザと「全~然へっちゃら」と声に出して言い、面白くないときはワザと「楽しい~」と声に出して言う。そんな天邪鬼な友人でした。

このように、ありがちなストレスを当たり前として捉え、逆に考えてみることで、雑念を取り払い、気丈でいられるのなら、試しにやってみても損はありませんでしょう?

司会者のみのもんたさんは、アメリカの有力経済誌フォーブスに
「世界のセレブ100人-番外編」
の1人として選ばれたとき、その人気の秘訣をテレビで問われて曰く、
「どんなに忙しくても、忙しいとは言わない」
と笑っていました。

「できない」と思ったら「できる」と逆に考えてみる。

「やりたくないな」と思ったら「やりたい」と何度も念じてみる。

「やらない」と諦めたら「やろう」と挑戦する気になってみる。

そうすることで不思議と意識が逆転することもありますよね?

損得で勘定する逆説思考

損を損のままにしておくと損。だったら、損を得に替えてしまいましょう。

山形さんというセールスのプロがいます。
彼は、会社という組織の営業マンではなく、個人の営業マンとして、クライアント企業の製品を販売しています。

山形さんのように、自分の腕ひとつで営業しているセールスマンのことを、セールスレップといいます。

彼の許へ、営業職に就職した友人が、相談に行きました。

「愛想笑い一つ出来ずに悩んでいます。面白くも何ともないのに、無理やり、作り笑いできません」

お客さんの前へ行っても、仏頂面のまま、ピクリとも笑えないという。そこで付いたニックネームが鉄仮面。

それを聞いた山形さんは、「そりゃいい!」と目を輝かせて、こう言いました。


「名刺の肩書きに、鉄仮面と印刷すればいいじゃありませんか。そして、名刺交換した初対面のお客さんに、

 「私は、作り笑いが苦手なので、日本テレビのテレビ番組「行列の出来る法律相談所」に出演している北村弁護士のように、笑わない男ということで、同僚達から鉄仮面というニックネームを付けられました。

しかし、笑わなくても、悪意があるわけじゃないんです。もちろん、本当に可笑しいときは、ゲラゲラ笑いますので、ご安心ください」

 と、鉄火面の意味を説明するんですよ。
そうすれば、ユーモアの利いた挨拶になりますよね。インパクトがある。そうやって、初対面の挨拶を定型化しておけば、初対面の時に悩む必要もなくなる。

 それに、最初に会った時点で、笑わないことを伝えてありますから、それ以降の商談になって、無理して笑う必要もない。一石二鳥じゃありませんか。
いやあ、羨ましいなあ!鉄仮面なんてニックネームを付けられちゃって」


この回答を聞いた彼が、名刺に「鉄仮面」と印刷したかどうかは分りませんが、これぞまさしく、ピンチこそチャンス!マイナスをプラスに換える逆説です。

どんな不利なことがあろうとも、マイナスのままでは損です。

だったら、そのマイナス要因を、なんとかしてプラス転換できる解釈を考え、不利な損を得にしてみてはいかがでしょう。

憲法九条のように、解釈次第で、いかようにも変えられるのです。

プラス思考や陽転思考ではありません。損か?得か?の損得勘定で判断するのです。幕末の志士・坂本竜馬も、次のように言いました。

「人は、義で動くのではない。人は、利で動くのだ」


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