『だんな』と呼ばれた9歳児
僕は普段、『だんな』と呼ばれています。
noteやTwitterなどSNS専用のハンドルネームではなく、元々が実際のあだ名です。
小学3年生の時に付けられたこのあだ名の由来は、「お前の太々しさは“だんな“だな。」と言われ、それ以来、中学校卒業までの友達からその親、全ての担任の先生に『だんな』と呼ばれ、後輩には『だんな先輩』と親しんでもらえました。
その後は間が空き、前職に勤めている際に呼ばれるようになるのですが、社長から学生インターン、時には外注先の社長にまで『だんな』と呼んでもらいました。(何となく怪しい雰囲気になるので、さん付けはしないようにお願いしていました。)
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小学3年生の男児に誰が「お前の太々しさは“だんな”」と言ったかというと、当時の担任だった篠原先生でした。
いま思い返すと一風変わった先生で、自分の原体験というか源泉というか、憧れ的なものが篠原先生にあるような気がします。
とにかく面白い先生だった思い出が強く、個性の塊という感じで大好きで尊敬できる先生でした。
音楽の授業は大抵の先生はピアノでやっていたのですが、篠原先生はアコースティックギター。
ホームルームでは、たまに「いつどこで誰が何をしたゲーム」(正式名称知らないですが)をやってくれて、それが楽しみでした。
自分は絵を描くことが好きで、今でも趣味で時折描いたりするのですが、いま思い出せる一番古い絵の記憶では、篠原先生に太陽の描き方を直してもらったこと。
よくある☀️ではなく、光をグラデーションで表現することを教えてもらい、以降はそういった技術的な部分も含めてさらに絵を好きになった気がします。
廊下には先生自作のポスターが貼られていて、その絵もすごく上手かったのでいまだに記憶に残っています。
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いつからかは担任を持たなくなり(昇進?)、篠原先生用の書斎のような小部屋にいるようになり、度々そこに足を運んでいました。
返事が来なくなるまでは年賀状も毎年書いていました。
そんな先生につけてもらったあだ名である『だんな』というのも、実はすごく気に入っています。(いつかの年賀状に「いまだにだんなと呼ばれています」と書いたら、申し訳なさそうにしている返事が届きましたが笑)
自分はおそらく第一印象ではクソ真面目で、実際人見知りなので絡みにくいとも思われているところがあるかもなぁと思っています。
それが『だんな』というあだ名のおかげで、引きができ、印象通りに普通・真面目でなくてもよい免罪符にもなりました。
「名は体を表す」なんて言ったりしますが、面白くありたい、面白いものを作りたいと思うようになったのは、このあだ名に引っ張られているからなのかもしれません。
そして何より、『だんな』と呼ばれることが好きです。
苗字で呼ばれるよりも距離感が近く感じられるし、存在承認を得られているように感じます。
他のあだ名や名前で呼ばれることにもそれはありますが、『だんな』と呼ばれる時にだけ人と違って在ってもいいと感じることができます。
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篠原先生は、後にも先にもあまり出会ったことのない風変わりな人でした。
様々な表現手段を持ち、ユーモアでみんなを楽しませる個性的で、そんな先生に憧れ、そんな先生からもらった『だんな』というあだ名に愛着を超えて誇りのような感覚さえあります。
自分のやりたいことって何だっけ?を考えながら過去を振り返っている中で、ふと篠原先生のことを思い出したので書き殴ってみました。
20年経っても、まだあだ名の面白さに自分自身がついて行けていないですが、何とか追いついていきたいなと思ったのでした。