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田中一匹時間旅行(青春の1ページ)

第二回目の投稿となる。画像は件の会社(前回の投稿参照)の履歴書に使った証明写真だ。よくこんなので面接受かったな。僕が面接官なら有無を言わさず落とすよ。眼光が無さすぎる。髪長すぎる。明らかに、「二ヶ月で辞めます顔」をしている。こいつは確実にやばい。

前回の「田中一匹人生逃避行」が思いの他リアクションを得られた。労いや励ましの言葉も多数頂き、「僕は愛されているな、、」と、おこがましくも感じてしまった。底辺の分際でまじごめん。それに加えて、「続けたらいつかバズりそう!」という声も聞こえてきた。僕は実に安直な人間であるから、とても嬉しく思ったと同時に、万が一、もしも本当にこのnote投稿を続けていけば、人気に火が付きいつの日か働かずして毎日温かなご飯が食べられるようになるのでは!という、アホな妄想に耽っていた。思い上がりも甚だしいとはこのことである。底辺の分際で本当にごめん。働きます。だがしかし、それも全て、僕の愛すべきところであり愛される由縁であるのかもしれないな?と思ってしまうと、自分自身のことを、自分自身の息子であるかのように、愛おしく思うのであった。どうしようもない、おまぬけさんである。父よ。母よ。すまない。あんたらの息子は飛んだおまぬけ坊やだ。

田中一匹8

話は変わる。

最近の夕方以降の気温は最高に心地が良いものだ。半袖一枚で暑くもなく、しかし寒くもないというのは素晴らしい。日が落ちるのもすっかり遅くなり、七時なのにまだまだ明るい。この季節の夕暮れ時は、僕が青春を謳歌していた若かりし頃を鮮明に思い出させる。僕は高校時代、応援部に所属していた。応援部というのは、皆がその名を聞いてまず一番に思い浮かべるであろうそれだ。まさしくそれだ。真夏の太陽の下、学生服に鉢巻き姿。甲子園という目標に向かい、勇ましく闘う野球少年たちを鼓舞する、あれである。僕は応援部で副部長をしていた。(ちなみに大学の軽音部でも副部長だった。幼い頃から、二番手というものがとても好きだった。青レンジャーに憧れを抱いていた。)僕は大きな声を出すと、何故だか声が非常に高くなる。野球の試合の直前、スタンド席で全校生徒の前に立ち、必ず行う「必勝の舞」たる演目では、なんとも気の抜けた甲高い声で「勝っつっゾ!勝っつっゾ!」と叫び、全校生徒の笑いものになっていたことは今でも良い思い出である。

応援部ではもちろん、真面目に練習もしていた訳だが、部員全員が本当に仲が良く、毎日が楽しかった。部活終わり、部室でギターを手に歌い散らかしたり、友達の山田くんにからし入りのシュークリームを食べさせて泣かせたり、両目を塞いだ山田くんに、チョコブラウニーを食べさせ、「これはなんだ!これはなんだ!」と喚く山田くんの耳元で、「犬のウンコだよ」と告げ泣かせたり、つまりは、そんなふうに毎日楽しく過ごしていた。(もちろんただのチョコブラウニーだが、うんこだと言われたら案外信じるらしい。)毎日がキラキラしていた。これは誇張表現ではなく、まぎれもない事実だ。高校からの帰り道、自転車をこぎながら感じたあの空気感を思い出し、少しエモーショナルになってしまう。僕にはもう二度と経験できない青春時代という時間。人生のクライマックスはあのときあの瞬間だったのかもしれない、と、今になって思う。僕は現在、会社を辞めたネオ無職、つまるところ人類の底辺なわけだが、こんな僕でもあの頃は、自分が世界の中心のような感覚にとらわれていたのだ。「あの頃はよかった、、」なんて、負け組めいたセリフを言いたくはないが、確かに良かったよ。僕は今でもモラトリアムの中にいる。

応援

まあそんなことを言っても、過ぎた時間が戻ってくるわけがないのだし、本来、人間の年齢による制限なんてものはただの固定観念に過ぎないのだから、何歳になっても楽しく生きるということはできるはずだ。「もう一度、クライマックスを。」今思いついたこのキャッチフレーズを胸に、前を向き、田中一匹この先も、進みたいと思います。ただただ、楽しい人生を願って。

あでゅー。

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