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【書評】鶴見俊輔『日本思想の道しるべ』

 徳川幕府の統治時代、漂着によって外地を知った船乗りたちは日本に帰ってくると牢に入れられた。彼らのある者は自殺し、発狂した。耐えて生きのびた者は釈放され、金をもらい、故郷へ帰ることを許された。ただし海外で見たことを人にしゃべってはならないと厳命さえた。
 その徳川封建制のもとで漂流者たちが語れなかったことが、太平洋戦争末期の船上で語られた。戦艦大和の沖縄出撃を命じられた兵員たちが、なぜ自分たちが死地におもむくかを語り合った。学徒兵出身の士官より、たたき上げの哨戒長の語りが場を制した。
 「自分たちは戦場に達するまえに撃沈されるだろう。自分たちは作戦の役に立たない。自分たちの死は無駄である。このことが、自分たちの死によってあきらかになることが、自分たちが死ぬことの意味なのだ」
 歴史の道すじをたどれば、徳川統治は開化思想によって消え去り、明治新政府が生まれ、その中央集権と富国強兵の国是は世界大戦でついえる。
 「十五年戦争と、その避けがたい結果として現れた戦後日本とは、明治維新と並んで、世界の思想史に対して大きな意味を持っている。明治維新は、アジア・アフリカ諸国の中で、欧米とおなじしかたで工業化することを通して独立を保つ道すじを最初に作った。それから百年の今日も、アジア・アフリカ諸国が自分の道をさがし求めるさいのひとつの参考例となっている」
 鶴見はそう語る。現在を現代として薄切りにしてはいけない。できる限りの厚みをもたせよとも言っている。
 戦後の日本は、戦争を放棄した新憲法で非戦の国になった。それが日本のたどった近代化の道だった。得たものはあったのだ。

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