見出し画像

【書評】エーリッヒ・ケストナー『ファビアン』 

 「その時、ぼくは、ヨーロッパという名のばかでかい待合室にすわっていたんだ。あと8日もすれば、列車が出る。しかも、その列車はどこに向かっていくのか、自分がそのあとどうなるのか、知ってるやつなんてだれもいなかった」

 エーリッヒ・ケストナー『ファビアン』の一節である。強大な圧力下に置かれた人間が、いかにそれに反応し、変化したかが描かれている。すなわち、ナチ台頭期における人間の可変性を問うている。ケストナーはこう証言する。

 「良心はまげることができる。第三帝国においても、英雄や殉難者たちはいた。つまり時代の流れと共に滅びたのではなく、すすんで滅びた国民がいたのだ」

 彼はいったい、どこでそれを見ていたのか? 出版禁止、執筆禁止、逮捕され、また著作も焼かれた。にもかかわらず、彼はドイツにとどまった。どうして?

 「私はザクセンのドレスデン生まのドイツ人。故郷は私を話さない。私は木に似ている。ドイツで育ち、時がくれば、ドイツで枯れる」

 彼は多くを目撃した。ハイデガーは学生たちに「総統のみが未来だ」と説いた。教師や知識人たちはナチの同伴者になっていた。

 彼は母国にとどまり、ナチの崩壊を見届けた。西からはアメリカ軍が、東からはロシア軍がベルリンに進入した。ナチとかつての支持者たちの間で殺し合いが起こった。

 「1933年から1945年のできごとにたいしては遅くとも1928年には克服のための闘いが起こされていなければなりませんでした。そのあとでは遅すぎたのです。自由の闘いが国家への裏切りと呼ばれるようになるまで待っていてはいけないのです。雪玉が雪崩になるまで待っていてはいけないのです」

 『ファビアン』の刊行は1931年だ。
ファービアン (ちくま文庫 け 2-2) | エーリッヒ ケストナー, 太郎, 小松 |本 | 通販 | Amazon

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?